東京中央郵便局再開発と歴史的建築保全

3.劇薬の副作用(090307)

劇薬だから副作用も大きい。

なにしろ容積移転した先のビルは、普通の容積率より200から300パーセントくらい多くなるから、それは超高層ビルの8階分前後の高さが加わるだろう。

にょきにょき高い超高層ビルとなって、べたっと横座りする芸者島田(復原後の姿)の東京駅を見下ろして取り囲むのだ。

先日しばらくぶりで丸の内を歩いてきたら、頭の上からかぶさってくる風景にちょっと息苦しくなってきて、八重洲側に回ってみたら、昔このあたりに職場があって懐かしい京橋の、昔からたいして変わらぬごたごたした街の姿を見たら、ほっとしたほどだ。

元をただせば東京駅を低くするために作り出したギャップの風景である。そのうちに慣れっこになるのだろうか。

特例容積率適用地区という保存手法が生み出しつつあるこのジレンマは、この先どうするのか。中央郵便局はそのジレンマを一身で抱え込む羽目になっている。

●中央郵便局保存運動と建築家(090309)

東京中央郵便局の再開発を巡って、総務大臣の鳩山さんが全面保存せよと発言して、急にマスコミが騒がしい。

去年、郵政会社がこの再開発を発表した時とは大違いであることが、なにか奇妙な感じがする。鳩山さんだって東京の人だから去年のニュースは知っていただろうに。

ところでニュースをあちこち読んでいたら、いろいろマスコミが報じているが、都市や建築の専門家から見たら常識的に気になることもある。

まずは、マスコミにはこの再開発ビルの設計者である建築家が登場してこないのである。すべてを承知で設計しているのだから職能としての責任は重いが、誰からも相手にされないほどに日本の建築家の地位は低いのである。

なお、この再開発ビルの設計者は、三菱地所設計であり、デザイン顧問はアメリカ・シカゴの世界的建築家ヘルムート・ヤーンであることが、昨年の報道で出ていたので知っている。

ところで中央郵便局を設計した人は、逓信省経理局営繕課に勤める吉田鉄郎という建築家だったということは、報道の片隅にちらと書いてあった。

しかし、建築家だって、この名を知っている者はほとんどいないだろう。知っているとしたらかなりマニアックである。

ましてや一般の人が知っている名ではないのだが、保存を唱える建築家たちは、吉田鉄郎設計であることを金科玉条にしているのだ。このあたりが一般の中から保存の声があがりにくい原因でもあるように思う。

建築家を世に知ってほしいと思う建築家と、建築家なんて知らないで設計士という職業はゼネコンの下請けにしか思っていない世の意識とに、大きなギャップがある。

●中央郵便局保存運動と都市計画(090307一部訂正)

もうひとつ気になることは、すでに都市計画決定をしていることである。この再開発を行うためには、まずこの地区にかかっている地区計画や容積率などの都市計画を変更しなければならない。

東京都の都市計画審議会のサイトを見ると、すでに2009年2月6日の第184回東京都都市計画審議会に変更が終わっているのである。 その前に千代田区は地区計画変更をしているようだ。つまり都市計画では千代田区長も都知事もGOサインを出していた。

都の都計審議事録を読むと、これに関する都市計画は都市再生特区の都市計画提案として郵政会社が出し、これを都と区が審査して法的に問題なしとし、 区長と知事がこれまでの都市計画の変更案として都市計画審議会に付議し、24対1の圧倒的多数の賛成で原案通りに可決している。

都の審議でこの議案に意見を延べた委員は出席25名中3人だけで、いずれも都会議員の委員である。そのうち1名は全面保存を検討せよとして、検討しないとする都市計画決定権者(都知事)の答弁をうけて、原案に反対している。

ほかに学識経験者委員たちは何にも発言をしていないのは、学者は全面保存反対だったのだろう。反対でも賛成でもよいが、こういうときに学者が発言しなくてどうするのか。議員だけの発言では、都計審が政治の世界のものになってしまうではないか。

ところで千代田区議会は全面保存要望書を全員一致で議決しているから、普通に考えると区の都市計画審議会 の区議委員は原案に反対だったはずだ。千代田区の都市計画審議会は情報公開度が悪いので分からないが、どうだったのだろうか。

この原案は2008年11月28日~12月12日まで公開縦覧されたが、都市計画審議会の議事録を見ると、反対意見書が出たとは書いていない。出たなら必ずそれにどう対応したか報告があるはずだ。

いろいろな人たちが再開発に反対して、重要文化財に指定せよ、全面保存せよと唱えているらしいが、法律上の手続きによる意見を出す絶好のチャンス なのに、反対意見書も出さなかったのだろうか。

マスコミもこんなことが縦覧されているとか、都市計画審議会でこう決まったとか、なぜ報道しなかったのだろうか。政治的なことしか興味ないのか。

まさか都市計画のことは知らなかったというのなら、全面保存論者には建築の専門家が大勢いるのだからそれもおかしい。都市計画審議会はそれほど重要なことを決めるものなのに、反対派の人もマスコミも注目をしないなんて奇妙なことだ。

●東京中央郵便局保存の政治家と原理主義者 (090228)

東京駅前の東京中央郵便局の建物を、重要文化財級だから残せ、郵政会社の高度利用開発反対と、国会で大臣が答弁したと今日(2009年2月28日)のニュースである。

とうぜんに文部科学大臣が言ったのだと思ったら、なんと総務大臣だった。国会の総務委員会で民社党の河村議員の質問に、鳩山総務大臣の答弁だそうだ。

何で総務大臣かと思ったら、中央郵便局の持ち主の郵政会社を監督する立場だかららしい。

とすれば、なんだかおかしいような気がする。郵政民営化して作った会社の経営をうまく離陸させるための監督官庁だろうが、これでは足を引っ張ることになる。そういえば、かんぽの宿の件でも、足を引っ張っている。

もちろん歴史的な建物の保全に関しての一般論として総務大臣が言うのはおかしいとは言わないし、文化についての見識を持つことはよいことだが、なぜ文部科学大臣ではないのか、そこが変である。

昔、1988年に赤レンガの東京駅舎の建築保全についての前向き発言は、当時の中島文部大臣が国会で答えた。決して運輸大臣(石原慎太郎)ではなかった。

河村議員は前から中央郵便局の保全を唱えているが、彼としては政治的駆け引きからみて文科大臣よりも鳩山なる政治家に質問するほうがうまく行くという戦術があったのだろうと推測する。

その裏には、あの麻生さんも実は反対だった郵政民営化論議もありそうな気がする。

ところで鳩山さんは大阪中央郵便局については、どうして何も言わないのかしら?同じ論理ならそちらも保存を言うべきでしょうにね。

文化論として発言するなら、ちょっと前に壊された中央郵便局近くにあった三信ビルについても残せと発言してほしかったね。

どうやらこれは文化論ではなくて、政治的な発言であるらしい。(噂では、鳩山さんは切手収集マニアなので中央郵便局に思い入れがあるので発言したという。それでは大臣をかさに着ての私的発言だったのかしら?)

まあ、何がなんでも当初形態復原を唱える保存原理主義者たちは、変な人でもいいからどんな手段を使っても(例えば、容積移転した先が超超高層化して環境や景観が悪くなっても)その現物さえ保存されれば勝利って、マキャべリ的スタンスだからなあ、、。

●三菱1号館コピー出現(090304)

東京・丸の内の場と先通りと大名小路の角に、レンガ造り3階建てのえらくクラシックな建物が建った。

実はこれは、ここにあった三菱1号館の原寸大模型というかコピー建築なのである。それは19世紀末の昔昔に建った、日本で初めての洋風貸事務所であった。

丸の内は19世紀末以来営々とオフィス街の経営として、何度も建てては建て直してきた。

20世紀半ば、丸の内の高層建て替えがすすみだして、三菱1号館も1968年に壊された。もちろん当時すでに重要文化財級の建物として、文化財保護委員会(後に文化庁)も学会も、その指定をして保存をするべきと考えていた。

所有する三菱地所に要望して保存策を検討していたが、まとまらないままに、1968年3月23日(土曜日)、三菱地所は取り壊し工事を強行してしまった。理由は耐震的に危ないからということだった。

三菱地所社史によると、どこかに移築するかもしれないとの考えもあったので、解体部材を三菱開東閣(これは重要文化財となっている)に保存したが、移築先がなくてほとんど廃棄されてしまい、ほんの一部が残っていたそうだ。

跡には15階建ての普通のオフィスビル・三菱商事ビルが建った。

そして21世紀はじめ、この15階建て三菱商事ビルのほかに、9階建ての古河ビル、8階建ての丸の内八重洲ビルをまとめて壊して、丸の内パークビルという超高層ビルが建った。

なんとその足元には、三菱1号館の原寸大模型が、もとあった位置に建っているのである。

残していた一部の部材も使って、内外のデザインも工法も昔の図面通りに(基礎はそうはいかないが)再現したそうである。

これはどう考えるのか?

第一の問題は、これにともなって壊した丸の内八重洲ビルは、1928年建設でそれなりに重要文化財級であったということだ。かつて文化財級と分かっていながら1号館を壊したことを、再度行ったように思うのである。

第二の問題は、このコピー再現建築(レプリカ)は、果たして文化財なのかということである。京都三条通りにあるみずほ銀行の建物が外観を再現して建て直したが、どうもこれは文化財とは認めない風潮のようだ。今後文化庁は新1号館をどう判断するのか見物である。

第三は、景観としては新旧のギャップをどう見るのかということである。

丸の内で歴史的な建物としてなんらかの保全的再開発をしたものは、第1生命、明治生命、銀行協会、工業倶楽部、東京駅であり、現在時点で取り掛かろうとしているのは中央郵便局である。丸の内は歴史的建築ばかりの街だったから、このほかは全部なくなったといえる。

ところがここに来て、一度なくなった景観が一部に復活してきたのである。

だが、それが消えていた40年の間に、あたりの景観は激変している。

ひとつだけぽつんといまさらの出戻り浦島1号館は、頭の上にかぶさる超高層を見上げつつ、かつての壮麗な赤レンガ1丁ロンドンを思い出してため息をついているのだろう。

わたしも、その40年の長き不在に、その景観を忘れてしまっていて、あれッ、ディズニーランドの出先がここにできたのかい?、なんて思うのである。

さて、これは東京中央郵便局の現下の問題に、何か教訓になるでしょうか。

そういえば、東京駅赤レンガ駅舎保存問題が起きたときも、国鉄民営化と大いに関係していたなあ。

東京駅と中央郵便局の

再開発と歴史的建築保全のジレンマ

伊達 美徳

参照→東京中央郵便局保全を考える

●中央郵便局保存運動と都市計画(2003/09/22)

2009年2月22日午後、建築学会で「緊急シンポジウム東京・大阪中央郵便局の文化的価値」と題する会議があり、参加してた。150名を超える人数だった。

学会は歴史意匠委員会ではなくて建築計画委員会が主催したので、都市計画的なことも話題にになるかと思ったのだ。

内容はもっぱら東京中央郵便局の保存を文化財として保存できるのかって問題であった。

都市計画との関係についてだが、結論を先に言うと、やっぱり都市計画については、みなさま分かっていないようであった。

わたしはかねてからの疑問を、会場の方たちに質問した。

「今日、ここにいらした人たちで東京に住む方の多くは、都市計画案縦覧時に反対意見書を出したはずだし、重要文化財にする会の方は審議会を傍聴しているから、そこで意見書についての説明があったはずなので、その数や内容や決定権者の見解書はどうであったのか教えてほしい」

これに対して、会場からひとりだけが意見書を出そうと思ったけど縦覧公告が区報に載っていなかったので見落したこと、都決定の都市再生特区は一般意見募集しないと都からいわれたこととて、意見書を出せなかったとのお答があった。

結局、運動を主体的に進めておられる人からも、ほかにも誰ひとりお答えがなかった。少なくとも会場にいた人で意見書を出した方はひとりもいないのである。

やっぱりそうなのか、がっくり、脱力しした。

都市再生特区の都市計画決定には意見書出す機会がないなんて、どんな話の行き違いがあったのだろうか。

反対運動しながら意見書をなぜ出さなかったのか、反対の意見をひとりでも表明できる法によって保障された絶好の機会なのに、世の中は都市計画の手続きになじんでいないことをつくづく思った。左右の政治家には近づくのに、、。

政治家といえば千代田区議会議員が二人、保存派としての応援発言があった。千代田区都計審議事録が当日配布の資料にあってはじめて見たが、3名が原案反対である。保存要望書を全員賛成で出した区議会の議員の都計審委員は、どういうスタンスだったのだろうか、質問すればよかった。

保存運動の大御所前野まさるさんは、都市計画には文化財を保全する手法がないのがけしからんと相変わらずの気炎だが、景観法による景観地区(都市計画のひとつ)ができたのになあ、。

建築学会の学者の報告は、あいかわらぬ単体保存としての建築家作品論であり文化財論で、都市や景観からアプローチはないのであった。

市民運動も建築学会も、もっと都市の法制度を使いこなす、制度に切り込む姿勢がいるように思った。

このことは、別の言い方だが五十嵐敬喜さんも問題提起しておられた。

・「昔の姿に戻ります東京駅」に「揺れる気持ち」(2007/04/16)

東京駅復原に反対、現状形態保全論を述べてきている私の意見と同じ方向の意見の方を発見するのは、大海の中で針を拾うようなものらしいである。

このサイトを見て、ごく稀に同じ意見を下さった方もあるが、復原したら今より美しくなるから安心せよと、ピントはずれ意見のお方もいて、なかなかに蟷螂の斧では爪楊枝さえも割れない。

雑誌『東京人』(都市出版)の2007年2月号に、米山勇さんという江戸東京博物館助教授の方が、東京駅復原について触れて書いておられる記事を読んだ。

「昔の姿に戻ります」という表題で、東京駅、三菱一号館、日本橋についての紹介である。その中の東京駅については、復原プロジェクトが動き出した話の後に、次のように書いておられるので引用する。

『ところで、東京駅を三階建てに復元することについて、読者のみなさんはどうお考えだろうか。僕自身、かつては「復元賛成派」だったけれど、正直、最近になって気持ちが揺れている。考えてみれば、三階建てが本来の姿とはいえ、戦後から今日まで二階建ての姿で親しまれてきたのだし、年月の長さから言えば「二階建て状態」のほうが長いのである。当初は応急処置としてかけられた寄棟型の屋根もすっかり人々の心に定着したし、ローマのパンテオンを模したドーム天井も、なかなかに味わいがある。建築史学的な「復元」と、馴染み深い現状の「維持」、どちらになびくか決めかねている今日この頃である。』(『東京人』2007.2 77ページ)

おお、建築史の専門家で、40歳代の若い人で、やっとこっちになびきそうな人が出てきたぞ。正直、うれしい。どうぞ、もう少しこっちにお寄りくださいませ、米山先生。 (070416)

●江戸初春飛脚屋苦虫(2009/03/07)

江戸城の丸の内にある駕篭屋には、赤れんが姐さんと呼ばれている大姉御がいる。赤いレンガ色のおべべが、この姉御のトレードマークである。

近頃、姐さんはちょっと足腰が弱り、若い頃の火傷もうずきだし、色香が薄れてきた。

姐さんはこの辺で起死回生若返りとて、大胆な方法で昔の色香を取り戻すことにした。

そのためにはお金がいるが、手元にない。頭をひねった末に、しょうがないので蓄えた身代の一部を、隣近所の土地成金長者たちに切り売りを始めた。

買った成金長者たちは、それを元手にしてうまく稼いで、それぞれ豪華で大きな屋敷を普請するものだから、駕篭屋の姐さんの家は次第に日陰になってきた。

赤れんが姐さんは、今は足腰の手術中だが、これから豊胸や美容整形、それが済んだら辰野風芸者島田の鬘をあつらえ、緋の衣装を仕立て、紅つけ化粧したり、あれこれやらなければならない。

でも問題は、まだまだ身代を売らないと金が足りないのに、若い頃そっくりの晴れ姿になる頃には、すっかり周りを高い塀と屋敷でとり囲まれちまって、文字通りに日陰者になりそうである。

こんな筈じゃなかったと、姐さんは憂鬱である。

最近、お隣の飛脚屋にも身代の一部を売ってやることにした。

飛脚屋の西川爺さんは、オールドミスになった自分の娘に洋服と化粧品を買ってやり、背の高い婿もとるつもりになって、うれしくてあちこちに吹聴した。

そうしたら、娘に横恋慕している文京あたりのお大名の鳩山総務守様が、2回も自ら足を運んで怒鳴り込んできた。

「洋服など着せては相成らんぞ、背の高い婿とりも破談にせい、もってのほかじゃ、取り消せ~いッ」

これを聞いた口さがない江戸っ子たちは囃したり笑ったりだが、飛脚屋の西川爺さんは苦りきっている、なにしろ鳩から豆鉄砲を食らったのだから、。

●保存と開発の劇薬ジレンマ ー東京駅と中央郵便局ー

1.特例容積率適用地区制度という劇薬(090307)

3月6日、東京中央郵便局の部分保全して超高層を継ぎ足す再開発計画に関して、その敷地の都市計画変更を東京都が告示した。要するにやっても良いよって、都知事がGOサインを出したってこと。

この都市再生特別地区の都市計画内容を見ると、一番の大きな点は容積率1300パーセントを1630パーセントまで、大サービスしたことだ。

よく見たら「特例容積率の限度の指定が行われない場合又は取り消された場合は10分の141とする」と、注意書きがついている。

これの意味は、補修して3階建てで保全する東京駅赤れんが駅舎から、その余っている容積をJR東日本から買い取って、こちらに乗せる下話がついているのだが、もしその話がおじゃんになったら 1410パーセントに下げるぞってことらしい。

つまり220パーセント分の容積率は、JRから買う下約束があるらしい(あるいはJRが床を乗せるのかも)。

この東京駅からの容積移転は既に、新東京ビル、新丸ビル、丸の内OAZO,丸の内パークビル、2棟のグラントウキョウビル、中央郵便局を加えると7ヶ所になる(ほかにもあるかもしれない)(注)。コマギレに移転していることが分かる。

東京駅を3階建てに復原する工事も始まっているから、3階建てのままで保全するために発明された特例容積率適用地区制度という劇薬は、それなりに効果を発揮していることが分かる。(注:090726訂正=090307記述で住友信託・UFJビル、パレスホテルにも容積移転したと書いたが、この2敷地間での容積移転であったので、間違いを削除、訂正)

2.丸の内牢獄の囚人のジレンマ(090309)

だが、ここで奇妙なジレンマが見えてきた。

もしも中央郵便局が重要文化財となって全面保存することになったら、東京駅の余剰容積率はここに移転できないことになる。

そうなったら東京駅の復原保全の資金が不足する(実際にそうかどうか知らないが)。

そればかりか、今度は中央郵便局もどこかに余剰容積を切り売りすることになる。いっぺんに一ヶ所に移転すると、移転先の容積率が巨大になりすぎて環境も景観も問題が出るから、認定する特定行政庁の千代田区はうんと言いっこない。

そこで上に見たようにすでに東京駅では、あちこちの5箇所の再開発に分けて、少しづつ切り売りせざるを得ない。

もしも中央郵便局の全面保存によって、東京駅に倣って更に5箇所もの容積移転先が必要あるとすれば、大丸有特定容積率地区内でこれからどれくらいの移転可能な再開発先があるのだろうか。赤レンガ東京駅の容積率と販売競争することになる だろう。

あちら立てればこちらが建たず、とはこのことで、保存と開発はジレンマに陥ることになる。これって例の囚人のジレンマみたいですな。 さて、これから先はどうなるのか。

JR東日本は、どうやってあちこちの開発に容積セールス営業をしているのだろうか、聞いてみたい気がする。どれくらいの値段で売れているのか、契約の仕方はどうしているのか、すでにわたしが知っているだけで 7箇所にコマギレ移転したか、しようとしているが、あちこちと地役権の設定も面倒なことだろう。移転先の家賃収益予想の差によっては、容積率の評価額が異なるのだろうか。