都市を再生するー都市構造の再編成2008

都市を再生するー都市構造の再編成

伊達美徳

2008

(1)低密・外延化する地方都市

20世紀の都市計画は、人口増加と自動車の普及に対応して進む市街地の拡大圧力を、いかに適切にコントロールするかが命題であった。

市街地の拡大は、困った現象を地方都市にもたらしてきた。郊外部に立地した大規模店舗に街なかの商店街が負けて閉店してシャッター通りになった、市役所や病院などの公益施設が郊外に移って不便になった、郊外に大学が移って通学が不便になったなどなど。どこにも公共交通機関のアクセスは不十分なままで、自動車がないと暮らせない。

住宅も自動車があることを前提に、中心部から郊外に移っていくので、ますます中心部は空洞化する。郊外住宅地とはいえ、田園を虫食いにつぶして希薄に拡散しているからコミュニティ形成が難しい。

車を運転できない子どもは通学にも遊びにも誰かに車に乗せてもらうしかない。高齢者は病院に行くのさえ難しい。郊外に移った頃は若かった住民も高齢化して自身が買物にも医療にも困る。

雪国では、郊外まで広く除雪する費用が財政を圧迫する。地方都市は人口減少になって郊外にも街にも空き家が増えている。

今、人口減少と超高齢化時代に突入して、この自動車がなければ暮らせないような、密度薄く外延化した非効率な生活圏と就業圏のままで、都市を維持するコスト負担に耐えることができるのだろうかという問題に直面しつつある。

これまでの拡大を促進する都市計画のあり方を見直し、かつての賑わいある便利な中心市街地を再生してコンパクトな生活圏を取り戻すべきとの考えが20世紀末からでてきた。

(2)まちづくり三法の失敗

1998年に「大規模店舗立地法」によって大型店の設置にあたっては、立地環境に配慮するように規制し、「中心市街地活性化法」によって中心部の活力再生を図り、更に「都市計画法」に郊外部への立地規制策(準都市計画区域、特定用途制限地区、特別用途地区指定等)を盛り込む改正をした。

これらを合わせて通称「まちづくり三法」といわれ、中心市街地が再生する切り札と鳴り物入りだったが、実態はまったくといってよいほど、全国のどこの中心街も再生への効果が発揮さなかった。

その原因は、大店立地法は狭い範囲で立地規制しか効果を発揮しないので広域立地規制には役立たず、中心市街地活性化法はこれまで失敗を繰り返した商店街振興策と変りなく、都市計画法による立地規制策制度はほとんどの地方自治体で政治的に適用できなかったからである。

特に都市計画の施策がなされなかったことについては、その決定権者である市町村長の都市計画への関心の薄さとともに、都市の将来を見据えないままに市町村相互の調整ができずに大型店誘致競争にはまりこんだことにある。

郊外政策と中心政策とをなんら連動させないままに、郊外部の拡大策と中心街の活性化策を平行してやって来たことに、おおきな失敗の原因がある。

(3)コンパクトシティへ

この失敗したまちづくり三法の反省のもと、2006年に中心市街地活性化法を大改正して、商業政策中心から市街地での生活圏づくり政策へと方向転換した。

これまでに国に届け出るだけだった「中心市街地活性化基本計画」は、単なる事業の羅列で効果がなかったので、改めて各自治体が基本計画を作り直して、国で内容を審査してその実効性を認定したものについてのみ積極的な支援策を講じることとした。

同時に都市計画法も改正して、大型店のみではなく大規模な施設あるいは病院や福祉施設等の郊外立地規制を強化して、これまでの原則立地可としていた基本的あり方を変えて、原則として立地不可に転換した。

つまり、商業系の地域指定外の地区に大規模施設が立地するには、自治体は規制を解除する新たな指定をする必要がある。これは都市計画が規制をすることができる施策から、規制を解除する施策に転換をしたのである。

こうして中心部の活性化促進策と郊外部の開発規制策とがようやくセットなり、コンパクトシティ政策が登場した。

成功すれば21世紀型の便利な生活圏をもつ都市構造に再編成できるが、端緒についたばかりであり、自治体の長や住民がこの政策を採るかどうか、まだ見えないところがある。

たとえば、しかし、規制する大規模施設の床面積規模が1万平方メートル以下というのだから、大型店は3敷地3棟に分けて3万平方メートルの出店を図るに違いない。

あるいは原則立地規制を解除する制度も用意されているから、自治体の長によっては、財政難と雇用拡大を理由に市街地拡大型の当面の都合による政策をとることもあるので、先行きは不透明である。

事例:浜松市中心市街地土地区画整理事業

静岡県の中核都市・浜松市ではJR浜松駅を中心とする中心市街地のほとんどの区域を土地区画整理事業によって整備をしている。戦災復興により既に終了地区もあれば東地区のように進行中の地区もある。東地区は古くから市街化が進み戦災にあったが、整備未着手で戦前の細街路構成のままで、都心部の発展が阻害されていた。地区の健全な発展と活性化を目的として1987年から土地区画整理事業にとりかかった。街路や公園整備とともに官公庁が立地する「シビックコア地区」、静岡文化芸術大学等の教育施設の立地する「教育文化ゾーン」を設けている。


事例:飯田市橋南地区再開発事業

長野県飯田市は人口約10万7千人の地方中心都市。中心市街地は1947年大火後に都市基盤整備済みだが商業も居住も空洞化は進んだ。生活・交流・仕事の体化したまちづくりをめざし、居住人口の回復をテーマに地域初の分譲共同住宅による拠点再開発に取り組んでいる。

事例:日田市豆田活性化事業

大分県日田市は人口6万2千人の小都市。JR 日田駅の南にある豆田町商店街は古くからの中心地であったが、1970年代から駅北の近代化した駅前商店街に押されて衰退の途をたどっていた。80年代後半から市民たちが中心となって、伝統的な街並みや地場産業を活かし、昔からの行事を復活し雛祭り等の新たなイベントも立ち上げた。地元主導まちづくりで商店街は再生し、今では年間約50 万人の観光客が訪れる拠点的な観光地として再生した。 (20080329)

小論は、『初めて学ぶ都市計画』(伊達ほか編著、2008年3月、市谷出版社)に掲載した原稿に、本サイト用に一部手を入れたものである。