鎌倉ミュージアムタウン論

鎌倉市公募「わたくしのまちづくりプラン」最優秀章

『鎌倉ミュージアム・タウン』制度

ーその実現の方法ー

伊達美徳

鎌倉市独自のまちづくりへの制度として、『ミュージアム・タウン制度』を提案いたします。

「ミュージアム・タウン」とは、ある広い地域をそっくり博物館とする『エリア・ミュージアム(地域博物館)』の考えを、まちづくりの手法として、生きた本物のまちに適用しようとするものです。

ここでミュージアムの意味について「博物館」とすると、古色蒼然たる趣となって町を凍結するように誤解されてしまうので、「美術館」という言葉を使いたいと思います。

まちをそっくりそのまま、商業や生活の活動を持つままに、そこの人、家、道等が展示物であり、そこにやってきた人も車も展示物を構成するのです。

もちろん、どこでもエリア・ミュージアムになるというわけにはいきません。そこには人々が求める特殊な情報を豊富に備えていなければならないからです。

その点、鎌倉には多くの貴重な情報源を外にも内にももっている地区が豊富にありますから、エリア・ミュージアムを形成する資格を十二分に備えています。

鎌倉のまちに、それぞれのミュージアムが特色を持つように、いくつかの『ミュージアム・タウン』を設定していくのです。

『ミュージアム・タウン』とすることは、鎌倉らしい良いまちという認定でもあり、住民の誇りとなるでしょう。

ミュージアム・タウンでは、そこにあるもの、いる人、やってくる車も人もみんな展示物です。そのまちそのものが巨大な展示ギャラリーで、町並の建築は彫刻や絵であり、それは現代作品もあれば古典もあり、抽象もあれば具象作品もあります。

この美術館は一般のそれと違って、展示物を見る・見せるの関係が判然としません。見る側の市民は見せる側のイベント参加者になることもあり、観光客のファッションはそのまま見せる側の展示物にもなります。

ここは常設展示が続くのですが、時代とともに変化する企画展示の継続とも言えます。すなわちここはその町が、鎌倉において占めてきた過去から現在そして未来を、すべて展示する美術館であり、博物館もあり、科学館かも知れません。だからミュージアムといいます。

さて、この「ミュージアム・タウン」は、まちづくりのコンセプトであるソフトな概念として、まちに網のようにかけるものです。

それでは、何も変らないではないか、と言われるかもしれません。

だが、これは今あるまちの動きを、「ミュージアム」というある種の高質概念で統一することによる効果を期待しているのです。

鎌倉のようなところでは、歴史と風土のもたらす「ミュージアム」の概念は、市民、住民あるいは観光客にもソフトに理解され、コンセンサスの基調となると思うのです。

ミュージアム・ゾーンでは行政のまちづくりのいろいろな事業を、横断的に「ミュージアム事業」と銘打って優先的に進めることにします。

また、民間の事業でミュージアム・タウンにふさわしいものを認定して、行政から助成金を出すことも必要です。

まちのイベントとして、その年にできた施設の表彰をします。つまり展覧会の入賞作品をきめるのです。

その企画、認定や審査のために「ミュージアム委員会」をゾーンごとに住民が主体となって構成しますが、これは美術館の運営委員会のようなもので、委員長は館長と呼ぶ方がよいでしょう。

こうして、鎌倉のまちにはいくつものミュージアムが登場します。もちろん博物館法に定めるような美術館ではありませんが……。

例えば、『若宮大路ミュージアム・アベニュー』は大路とその沿道地区を指定します。 『滑川ミュージアム・リバー』、『江の電ミュージアム・レール』等もあるでしょう。 このようにハードをソフトにくるみこんでいく、鎌倉らしいまちづくりを提案します。(89.5.3)

(この稿は、鎌倉市の公募したまちづくり提案に応募して、最優秀賞を得たものである。ただし、写真は本掲載にあたって付加した。010203)

鎌倉の新しいグランドデザインを描く27

鎌倉プラン研究会(1995年6月「鎌倉朝日」掲載)

鎌倉環境ミュージアム構想

伊達美徳

観音「今年になって天災や人災もおおいけれど、雨もよく降りますね.地球環境がおかしいのでしょうか」

大仏「いろいろな事件があってわかってきたことは、地域や地球のレベルの広い目で、ものごとを考えなければならない時代になっていることだな」

まちがいだらけの環境論

観音「鎌倉についても、鎌倉全体をひとつの環境構造としてとらえて、そのうえで街や山のあり方を考えるべきです」

大仏「その前に言っておきたいのだが、その環境という言葉がこのごろ流行だね.だけど環境要素と環境構造とがごっちゃになっているようだね」

観音「ええ、どうも間違っているようです。たとえば、人間が環境と共生其生するとか、自然と人間が共生するなどの言い方をよく聞きますが、これはおかしいと思いませんか」

大仏「それはおかしい.こちらに人間がいて、あちらに環境や自然があるかのような言い方だけど、人間、動物、植物などは、対等な関係にある環境要素であって、環境とはそれら多様な生物群を含む全体構造をいうのだからね」

観音「環境共生ではなく、共生環境といえば、わかりますね。多様な生物と人間とが共生することのできる環境、という意味で、、」

蛇や蚊とも共に生きる人間

大仏「環境に似て、アメニティという言葉も流行だが、人間に快適な環境ととらえていて、蛇や蚊がでて雑草が生える自然は嫌いで、きれいな花が咲いて歩きやすい石畳がア メニティだと思っている。人間は勝手なものだね」

観音「アメニティとコンフオートとを混同してはいけません。その本来の意味は、しかるべきところに、しかるべきものがある、ということです。当たり前であって不自然でない、文字通りに自然な環境のことですね」

大仏「そのあたりまえの環境とは一体何なのか、それが分からなくなってきているのは、本当に困ったものだ」

人間が滅びても自然は困らない

観音「地球にやさしいとか、自然にやさしい、という言い方も、気になります。人間が地球や自然よりも偉くて、おまえらに優しくしているんだぞ、と威張っているようで…」

大仏「人間も自然の一員だから、地球からやさしくしていただくように、ふるまうべきだよ。地球も自然も、人間がいなくなっても全然困らないからね.逆に人間は、地球や 自然がなくなると生きていけないが…」

観音「産業革命以来でしょうか、環境も自然も人間が支配していると思ってきましたが、実は人間も自然という大仏様の手のひらにのってるようなものですね」

鎌倉エコ・ミュージアム

大仏「鎌倉を私の手のひらのミクロコスモス・・小さな宇宙とする考え方は、環境論としておもしろいね」

観音「その鎌倉ミクロコスモスを、エコミュージアムという新しい概念でとらえてはどうでしょう。エコミュージアムとは、フランスで生まれましたが、地域の現状の人や歴史、自然などをそのままに、博物館や美術館としてとらえるのです」

大仏「なるほど、まちづくりの考え方でもあるな。ここでエコとは、街も山も含む環境の総体を意味するのだね.だから鎌倉全体をひとつのミュージアムにしてしまおう、というのだね」

観音「できるだけあるがままをミュージアムとしてとらえるのです。博物館というと古くさい感じですが、ミュージアムというとしゃれていますね」

大仏「たしかに鎌倉は古社寺や美術館もあるが、街や社寺は歴史民俗博物館だし、山や海は自然科学館だ〕

観音「大船駅はそのままで鉄道ミュージアムです。こんど市が寄付を受付た川喜多邸の利用についても検討がされるようですが、できるだはあるがままにしながら、鎌倉エコミュージアムの拠点にしてほしいですね」

街も海も生きたミュージアム

大仏「博物館だからといってそのまま凍結保存するのではなく、日々動いている街そのものが展示じゃ.ただし、ミュージアムとしてキチンとしたテーマを待つことが大事じゃ」

観音「大船仲通りや小町通りも、由比ガ浜通りや腰越商店街も、よく見ると実におもし ろいミュージアムです」

大仏「漁港も、海と人間との出合いの風景は、まさに科学館であり、博物館だね」

観音「丘にある緑につつまれたやぐら群は、自然史科学館であり歴史博物館です」

大仏「若宮大路は修景されて美しい建築が立ち並ぶと、美術館そのものじゃ」

観音「景観としての建築デザインや店のショウウィンドウの展示も大切ですね」

大仏「そう、それらはみんなミュージアムに展示している美術品だよ。市民は館員として学芸員であり研究者だし、観光客は来館者だから、みんなそれなりの行動をするのだね」

ミュージアムタウン・コンペ

観音「街ごとにミュージアム・タウンとして、テーマを持ってはどうでしょう.そして毎年どこがよいミュージアムであるかコンペをするのです」

大仏「よし、わが長谷の街は当然に大仏ミュージアムタウンだな.テーマは大仏じゃよ」

観音「それなら、大船は観音ミュージアムタウンです」

大仏「お互いせちょっと強引な我田引水だねえ.まあ、とにかく明確なテーマを持って街をつくることが大事じゃよ」(明)

(注:1995年6月「鎌倉朝日」に掲載した)