池田町:地域伝統芸能の田楽能舞でまちおこし

池田町:地域伝統芸能の田楽能舞でまちおこし

伊達美徳

毎年2月15日、福井県池田町の水海(みずみ)地区にある鵜甘神社で、今年も『田楽能舞』が奉納される。小さな山里の神社である。専用の能舞台はなく、広い板敷きの拝殿の中央が舞台で、観客はすぐまわりに敷く畳に座って見る。地域の人ばかりでなく遠くから来訪者も多く、300人ほども集った拝殿はぎっしりだった。

国の重要無形民俗文化財に指定された郷土芸能で、田楽能舞というように地域からおきた農耕神事の「田楽」と、他から伝った「能」の両方を舞う。

厳寒の川に入って体を清める水凝りから始まる行事は、能楽の原点を見るようで、その素朴さが心に染みる。

池田町のまちづくりのコンセプトは、『田楽アートビレッジ池田』という。田楽能舞をまち起しの中心にすえたのだ。

それというのも池田町のあちこちの集落に、古くは中世の能面が多く保存されているし、今は初めに紹介した水海だけだが、19世紀初めまでは他の集落でも田楽能舞が演じられていたという。まさに『能楽の里』だからである。

能や田楽はごく少数の人しか知らない芸能じゃないか、それで地域が活性化するものだろうか、という声も初めはあったそうである。

今年は『新作能面公募展』を開いたら全国から567点も集まり、その大賞作品の面をつけて能を舞う『能面能楽祭』も、『能楽の里文化交流館』のホールの組立て能舞台で行われ、大成功だった。 これまで全国田楽能交流大会も、毎年ここで開いてきた。

今年の水海の田楽能舞に多くの来訪者がきたことなど、施策が間違っていないことの証明だろう。

町の中心にあるお稲荷さまの境内には、モダンデザインの能舞台『能楽ステージ』があり、8月の薪能は町のメインイベントである。その隣には『能楽の里歴史館』もあり、装束や面が展示されている。

能面師の桑田能忍さんは、この町に根をおろして工房で能面を制作し、それを展示する『能面美術館』もある。

自然がいっぱいの山里であるが、そこに根付いている田楽能という歴史のある文化が、この町の大きな資産である。そこが他の町とはひと味違うが、これからどこまで徹底していくのか楽しみだ。(1998.3)

(この稿は、雑誌「まちなみ建築フォーラム」のために書いたが、廃刊のため掲載されなかった。改めてここに掲載した。010203 伊達美徳)

(補追)

●池田町田楽能舞は夕日に映えた

5年ぶりに、福井県の山間部にある池田町に行きました。お天気がよくて気持ちいい日でした。池田町の水海地区にある鵜甘神社の田楽能舞鑑賞は、このたびは2回目の訪問でした。

天気がよすぎるぐらいよくて、舞人の動きにつれて金・銀・赤の縫箔の能装束が、拝殿に差し込む冬の低い陽射し、それはそれは豪華にきらめくのでした。

能楽堂の中でばかり能狂言を見てきた私には、まことに得がたい経験でした。かては田楽のような芸能は、明るい太陽の下で舞っていたのだと実感しました。

少年たちも重要な演目の舞いに加わっていて、地域文化の継承をしているのを頼もしく思いました。面といい装束といい、お金がかかるものを地域で伝え、それが地域の誇りとなって、「能楽の里」という池田町のコンセプトになっているのです。

このような冬の農閑期を楽しみながら豊作を祈願する祭は、あくまで地域の方々のものであり、よそ者の私たちは遠慮しながら見せていただくべきものでしょう。地域の方々の店で、そば、漬物、餅をいただきました。おいしい。

が、どうもカメラマニアども(老いも若きも女も男も)がうるさいですね。それにつれて観光との接点がどうなるのか、気になりました。

池田町の企画したツアーバスに乗ったのですが、福井駅前から神社までの送り迎え、車内での案内と講演会参加だけで、あとは帰りのバス出発時間まで勝手に見てください、と、考えようではそっけないものでしたが、それはそれで変に観光ずれするよりもよいと、好もしく思いました。

農村地域での能楽として有名なのは、山形県櫛引町の黒川部落でおこなわれる「黒川能」です。数年前に行きましたが、これは池田町とは比較にならないほどに大変な行事でした。有名になって観光化と地域住民の祭事とのバランスに苦しんでいる感じもしました。

若狭にも能が生きていますが、こちらは純粋に地域のものだけの楽しみという感じです。佐渡にも能楽がありますが、ここは観光とバランスがとれているように見ました。

観光と地域振興とは矛盾する点もありますが、能楽による地域起こしとして池田町がこれからどうするのだろうかと、興味あります。(2003.2.15)

(初掲載2001年2月、補追2003年3月)