高齢・少子・環境時代のコンパクトタウンづくリ
国土庁MONOまちづくり委員会
報告者 伊達美徳委員
1.ものづくりのまちは今
ものづくり」と「まちづくり」を調和することで、活力ある地域・都市・街を再生しようとするところに「MONOまちづくり」の本質がある。
ものづくりのあるまちは、産地と呼ばれる。産業のある地域というのが語彙だろうが、日本の多くの産地は今、[産]にも[地]にも著しい空洞化におそわれている。アジア諸国に低廉な労働力を求めて工場が地域から出ていくと、工場跡地がポッカりと空洞のごとく街に発生する。そこを埋めるのはショッピングセンターであるが、これがこんどは中心商店街の空洞化を誘発する。
一方、自動車社会となって、ものづくりのまちでは、ものの運搬のために道路整備が必要だということで、幹線道路を土地の手当てがしやすいから郊外部に作っていった。ところが、ものを運ぶだけでなく、人間を運ぶ自家用車の普及で、郊外の道路をあてにして住宅地の開発がすすめられてくると、中心商店街をとり巻いていた中心市街地から住民も外に出ていくとことになり、中心市街地全体が空洞化してきたのである。
こうして街は次第に希薄に拡散していくとともに、郊外には中心市街地のような伝統がないから、勝手な作り方の建物で見るも無残な景観のまちが薄く広がっていき、それまでの地域イメージを低下させていく。
こうして産地における「産」も「地」も衰退していながら、産は産として悩み、地は地として悩むばかりなのである。つまり、産業振興と地域経営とが、必ずしも連係・連動していないのである。
たとえば、産地でその産物が手に入らないのは、日本の流通業界との関係で、産地では常識の通常のこととされている。タオルの今治、かばんの豊岡、めがねの鯖江など、いずれもしかりである。産と地とがべつべつの動きをしているのである。そしていずれの街も空洞化が進んで悩んでいるのである。産と地を結べば、地の産物をその地域で売ることができるだろうに、しようとしない。
では、それが産地の宿命なのかといえば、現にものづくりとまちづくりが永い間に連係しているまちがあるのだから、できないのではない。それは、陶磁器産地である。
有田、伊万里、多治見などでは、まちの中にものづくりが息づいており、そこでその地で特有のやきものを手に入れることができる。その地にその産物をつくる高度の技能を持つ工芸作家と呼ばれる人たちが居る。
日本特有の伝統産業のもつ、永い間の地についたものづくりの伝統があるのだろう。近代産業がそれをできないとはいえないであろう。イタリアのファッション産業がそうであるように。
2.迫りくる高齢、少子社会のものづくり
日本の高齢社会を超えて超高齢社会の到来は、準備が間にあわないほどの世界に例を見ない速さでやってきている。それは一方では生産年齢人口を中心として構成してきた労働市場の見直しを行わざるを得なくなるはずである。
たとえば、団塊世代といわれる人たちが定年をむかえると、そのとき全国にそれまでよりも500万人も多くが労働市場からはずれることになるとされるが、それは産業構造に大きな影響をもたらすものとなるに違いない。定年延長が行われないと、産業事態を支えることができない現象がおきる可能性もある。
そのような高齢者の労働市場への大幅な参加がおきるときに、いまのままの空洞化して拡散した街ではたしてよいのだろうか。元気な高齢者が多くなっているとはいえ、やはり肉体的なハンディは出る。
通勤には自転車の使えるくらいの範囲が望ましい。街で暮らし、街で働く、つまり、ものづくりの場と暮らしの場とが連係しているまちづくりが求められるはずである。
それは希薄な郊外へと拡散する都市や地域ではなく、コンパクトにまとまった範囲に職場、住宅、遊び、交流の場を持ている街である。これを「コンパクトタウン」という。
一方では、子供が少なくなってきている。特殊合計出生率が1.39というレベルにみるように、女性たちが子を生まなくなってきているからだが、それも産業構造に大きな影響を与えずにはおかない。
子育て世代の女性たちの社会参加、つまり文化活動やボランティア活動ばかりではなく、職業に従事する意欲が高いが、剃れと子育てとを両立させる社会的環境が整っていないことが、子をつくらない現象として現れている。
子育てをしながら働ける環境とは、安心して子を預けて働きに行ける施設が家や職場の近くにある、家庭から遠くないところに職場がある、育児のために柔軟な就業体制ができる、などの条件が整備されていることである。
これをまちづくりの観点から見ると、子育て支援施設・家庭・職場が連係する街であり、それはコンパクトにまとまった街といえるから、実は高齢者会への対応と同じコンセプトであることがわかる。
高齢者と女性の労働市場への参加が、次の時代の日本のものづくりを支えることになるだろう。そこには創造意欲の高い世代の女性が居て、長年の蓄積を持つ高齢者が居て、それらの能力を生かすことで、付加価値の高い「産」が生まれると期待できる。
3.ものづくりのまちづくりはコンパクトに
これからの産地は、コンパクトなまちづくりをすすめていこう。実は、それは昔からの中心市街地の再生なのであり、古くて新しい考え方といえる。中心市街地とは伝統市街地であり、そこには永い時間をかけて社会資本を投資してきているのである。
どこの都市でも中心市街地には、商店街、市役所、町役場、病院、学校、町工場、文化施設などがあって、もっとも暮らしやすいところのはずである。
そこを空洞化して、郊外に町を作り、工場団地を作り、安売り店舗をつくるのは、いわばこれまでの投資を持ち腐れにするものであるとともに、人口が増えない時代に人口定着の新開発という無駄な投資であり、いわば二重投資である。もちぐされの伝統町並みが失われ、祭りや行事の文化が消滅していけば、更に無駄な投資の度合は高いものとなる。
都市をもう一度中心部に戻していく施策が必要であるが、それには、郊外開発した地域をもとの山林田畑を戻すことも行わなければならない。コンパクトな都市のまわりは、空気と水を供給し、機構を調節してくれる自然がとりまき、食料を供給してくれる農地がとりまいている。
もちろん、これには産業政策と都市政策に新たな視点からの農業林業政策が導入されなければならないだろう。現在のような、農地に作物を植えるよりも、車を植えたり、安売り店舗を植えるほうが採算性が高いような社会経済環境を改める政策が必要となろう。農林漁業も立派なものづくりであり、MONOまちづくりは、第1次産業の産物もその対象としよう。
コンパクトタウンは、地球環境時代にも対応する町である。通勤や通学に、自家用車や大量交通機関を使わなくてもよい規模であり、エネルギー消費が少ない。郊外に大規模な開発をしないことも、これまでのストックを生かすことも、環境時代に対応しているといえよう。
そしてなによりも、山川の多い日本の国土の、美しい田園や丘陵の緑の風景が保たれることが、未来への資産となる。(1998.01)