松本:不良老年組の安曇野収穫祭

2010年 伊達美徳

松本・不良老年組の安曇野収穫祭

伊達美徳

仲間と八年間続けた年中行事の安曇野訪問を、今年で幕を閉じることにしたからか、この秋の常念岳はすねて霧の中に見え隠れ、すなおに姿を見せてくれない。

その代りというわけでもないが、北アルプス展望美術館を訪ねて、山下大五郎の描く常念岳を観たのであった。

大学で同じクラスだった友人が、仕事を引退してからの趣味にしては本格的に絵を描きだした。安曇野の南東はずれに菜園付きのアトリエを構えて、晴耕雨描をやっている。

その農作物が実る頃、安曇野収穫祭と称して、同期仲間十人ほどが押しかけて、近くの貸しロッジで泊りがけ自炊宴会をするのだ。

今やガハクと呼ぶその友人は、自作の野菜類を美味いぞとふるまい、近作の絵を何枚も上手いだろうと見せる。つきあい長い気ごころ通じた仲間だから、うまいまずいと減らず口を叩きあって酒呑みの夜が更ける。

次の日は、例年定番の安曇野めぐりである。ほら見ろよ、ここから見る常念と森と農家の配置が良いだろうとか、ここから描いた絵を見せただろうとか、さすがガハクガイドである。

今年は国営公園内のホールに展覧会を訪れて、ガハク出品の常念岳の大作油絵の前で、減らず口ごっこの鑑賞会となった。

わたしの安曇野との最初の出合いは、五十二年も昔になる。大学山岳部で春の白馬岳と秋の鹿島槍ケ岳合宿の折、駅とのゆきかえりに静かな村里を重い荷物を背に黙々と歩いた。安曇野というよりもその奥座敷と言うべきだろうか。今の白馬駅は信濃四谷駅だったし、山はハクバではなくシロウマとよんでいた。

八年前の安曇野再訪で、臼井吉見が同名の小説を雑誌「展望」に連載した昔のことを思い出し、大河小説五巻本を古書店で手に入れた。実名登場する個性豊かな人々とそれを生み出す風土に感銘する。以前からこの同期生たちの集まりを、新宿中村屋のレストランでちょくちょくやっていたのも、奇縁である。

四年前の安曇野めぐりで、禄山美術館を訪ねた。彫刻群の中の力強いトルソの作者に、掘進二の名を見つけて仲間たちと思わず声をあげた。堀先生はわたしたちの大学の美術講師で、仲間みんなが教わったのである。荻原禄山とのつながりを知って、安曇野が更に身近になった。

身近といえば、仲間のひとりが山下大五郎の出身中学の後輩という。山や里を描く山下画伯は、実は海辺の湘南ボーイだったのか。

あの画伯が惹かれたように、このガハクも常念岳を飽きずに描き続ける。四季ごとに遷り変わる山容と野の姿を、何枚ものリリカルな油絵に定着して見せてくれる。

だが今年、もうアトリエを引きはらい、東京に引きあげると言う。古稀を過ぎての山里暮らしは、億劫になることはよくわかる。宴会の自炊も面倒になった。不良老年組の気ままな年中行事は、これで幕引きである。

収穫多かった安曇野も見納めかと、帰りに仲間と別れてひとり大糸線普通列車に乗って安曇野を北へ北へと行く。車窓から秋野の向うに常念、鹿島槍、五龍、唐松、白馬の姿を眺めつつ、かつての自分の想い出を重ねれば、わたしの人生も秋野にさしかかったようだ。(完)

注:このエッセイは「安曇野エッセイ賞」の公募に応募して落選したものに、少しの訂正と画像を加えたものである。(2010.12)

 

安曇野風景

 

御宝田と常念岳(作:笠原弘至)

 女のトルソ(作:堀進二 1915年 禄山美術館)