わたしたちは都心に住めるか1994

私たちは都心に住めるか

都市計画家 伊達計画文化研究所 伊達 美徳

(1994「レジャー産業」掲載)

日本の巨大都市の都心に住む人が次第に少なくなっている.特に東京では過疎地になった都心に住民を呼び戻そうと苦心中だ。

「東京の都心では、なぜ低密度の土地利用なのですか.都心への人口抑制策があるのですか」

「いえいえ、日本では日当たりのよい南向きの住宅をつくらなければならないので、どうしても高密度にできないのです」

「???」

これは先月訪問した香港住宅協会での専門家と私のやりとりである。彼らからみると南向き住宅であるべき理由と、それと低密度との関係が解せない。

●超高密度の街・香港

香港では都心であろうがニュータウンであろうが、超高層住宅の隣同士の棟が接するほどに詰めて建っているし、北向き住戸は当たり前である.

ここでは住戸からの海の眺め具合が価値の基準で、高くて海が見えるところが高価で、山側を向いて低いところほど安価になる。日照に恵まれるという概念はなく、暑くて家具も傷むのでむしろマイナス要素だそうだから、日本のマンションの基準は理解しがたいことだろう。

香港のあるニュータウンでの人口密度は二六〇〇人/ヘクタールで、これは日本の一般の街の十倍にもあたるが、この地では普通の値だ。

計画開発地でさえうなのだから、都心部の既成市街地ではそれ以上だろうから、その高密度ぶりはわれわれの感覚では理解しがたい。街路や上空の窓々から突き出す洗濯物を巻きこんで、生活という雪崩に襲いかかられるようだ。

超高層住宅のユニットは狭いし、家族数も多いし、加えて貸し間ならぬベッド貸しの習慣もあるから、人口密度はますます高くなる。

これでは家の中は渡るだけの場となり、家の外での生活が中心とならぎるをえない。街が居間や食堂となって三食とも家族で外食が普通というありさまで、朝から夜中まで活気にあふれている。

コミュニティのにぎわいとでもいおうか。人の住まない渋谷や新宿の夜の、どこか空しいにぎわいとは根本的に異なる。

これは上海でも同様であり、旅の訪問者には面白い光景だが、自分で住むとなると、これはかなり疲れるだろうな、と敬遠したい。いま香港では都心から郊外への人口移動を政策としている。

●東京の都心居住の問題

東京の都心の千代田区や中央区では、バブル経済時の業務ビル建設や地上げ屋の横行で住民が出て行き、いまではどうやって区民を引き戻すか、対策を躍起となって探している。香港とは逆である。

都心ばかりでなく周辺区でも世帯数はふえても人口は減るし、残る者も高齢者が多い傾向にあり、過疎化という空洞化がみえる。

ある区では、新婚さんが区内の借家に住むなら家賃を補助しましょうという制度をつくったら、家賃相場が補助を見込んで高値になるという問題が出たりした。

地価だけはいまだに一般の家賃支払いや住宅買入れの能力に見合うレベルになっていないから、やはり都心には住みにくい状態が続いている。

業務地区として高度に特化した丸の内などでは、住民として登録した人の数は過疎地なみであるともいわれる。

ところが一方で、世界都市となった東京では、こちらが夜でも地球の反対側の昼の国との情報交換のために、夜中でも働くことが必要となる。都心業務地区では住民はいなくても働いている人は四六時中いるので、実は単純に過疎とはいえないのであるから問題は複雑である。

●都心に住むことは快適か

ところで郊外に逃げ出した人を都心に呼び戻すとしても、都心に住むことは快適であろうか.

都心居住のよいところは、これまで蓄積された都心の各種のストックを利用できることだ。

交通が便利だから通勤が楽になる.各種の文化施設があるから文化活動の機会が多い.医療施設も充実しているから安心だ。生活に多様な選択ができる。

実は私も神奈川県に自宅があるのだが、東京のオフィスに通うのに歳相応に疲れて、いまではオフィスの近くの山手線駅前に、大学に通う息子とともに週日は暮らしている。気どっていえばマルチハビティション、早くいえば別居である.

二重生活のコストはかかるが、これを通勤にかかる時間と費用を対応させ、生まれた時間の生産性を考えると、体験的には十分見合うものと考えている。前に述べたような都心近くに暮らす文化的メリットも享受している。

都心を再開発して住めるようにすると、既存ストックを活用できるのだから、新しくつくる郊外ニュータウン建設よりはるかに安くて済む。通勤にかかる社会的ランニングコストも安くて済む.

都心の過疎地に通勤電車に揺られて近郊の住宅から通う人々のエネルギーロスを合算するとたいへんな量であろう。

そのエネルギーコストを都心再開発に振り向けて投じる政策が必要だ。

(「月刊レジャー産業」1994年8月掲載)