丸の内はお遊びテーマパークか(2004)

街はお遊びテーマパークか(2004)

伊達美徳

東京丸の内の大地主・大家主の三菱地所は、丸の内にある三菱商事ビル・古河ビル・丸ノ内八重洲ビル建替計画を発表しました。

そしてなんと、昔そこにあった「三菱一号館」を復元するのだそうです。

三菱一号館は、1894年に赤レンガで建てられた3階建ての事務所ビルでしたが、1968年に壊されて、今は15階建てのビルになっています。

今度は15階建を壊して3階建てにするのか、それはすごい、と思った。

でもそんなことはないのが当たり前で、15階建て、9階建て、8階建ての3ビルを壊して、床面積20万平方メートルのビルを建てるそうですから、当然超高層大規模ビルになるのでしょう。

では、3階建て赤れんがの復元ビルは、どんな形になるのでしょうか。

それはそれで昔のままの形で3階建てで独立して建ち、残りの場所に超高層ビルが建つのでしょうか。

あるいは、超高層ビルの腰巻かスリッパみたいに、赤レンガビルの形をしたかさぶた一枚がくっつくのでしょうか。

ところで、三菱一号館が取り壊されたときのことを思い出します。

当時、それを重要文化財に指定しようとする動きがあったのですが、三菱地所は指定されては建て替えることができない、不動産事業としてはそれは困るとて、ある日突然足場を組んでたちまち取り壊したのでした。

それが今になって復元とは、どういう風の吹き回しでしょうか。

あのとき文化財への配慮がなかった、すまなかった、という反省の気持ちが出たのでしょうか。

それとも、一部でも復元すれば、歴史的ナントカカントカという制度で容積率緩和され、巨大建築の建設が可能となって経済的に儲かるからでしょうか。わたくしはそれが動機として悪いと言うつもりはありません。

でも、40年前にあたふた取り壊した重要文化財級の建築を、取り壊したご当人が今になってコピー復元するのは、どういう論理なのでしょうか。

東京駅も、60年前に戦火で壊された丸ドーム・3階建てを復原するのだそうです。東京駅のことは、東京駅復原反対ページで論じていますから、そちらを見てください。

ちなみに、わたくしは1961,2年ごろ、まだ建っていた赤レンガ建築(三菱仲四号館といった)のなかで仕事したことがあります。木造床がギシギシときしんだ。

気になるのは、今のビルがどうしていけないのでしょうか。それもよりによってコピー赤レンガ建築になさるとは、、。

もしかして三菱地所は、丸の内全部を赤レンガ時代の街並みになさるおつもりでしょうか、それはすごいけど、、、。

ここで建て替える3棟のビルのうち「丸の内八重洲ビル」は1928年建設ですから、いまや文化財級でしょう。

あの3層にデザインされた外観、角にある三角帽子の階段塔は、いまやなんの変哲もないビル群となった丸の内大名小路では、ちょっと味のある風景です。これをどうなさるのでしょうか。

他の2つのビルは1965年、1971年の建設です。それをもう壊すのですから、建築の寿命は短くなったものです。それだけ又ごみが出るということでしょう。リニューアルして使えないものでしょうか。

東京のこのあたりは今、バブル景気みたいな状況です。

あのバブル期には、なにやら奇妙な建築があちこちに生れましたが、こんどは明治大正の擬似模倣洋風建築コピーで、街はテーマパークになっていくのでしょうか。(20040701)

(まちもりコラム2004年7月号)