ヨーロッパアルプスは棚田だった
2006

ヨーロッパアルプスは棚田だった

伊達 美徳

 2006年の夏、グリンデルワルト、チェルマット(スイス)そしてシャモニー(フランス)の、ヨーロッパアルプスに行ってきた。「行ってきた」で「登ってきた」でないところが、ちょっとなさけない。
 実は大学時代には山岳部にいて、日本アルプスはさんざん登ったが、今のように外国旅行が簡単に出来る時代じゃなかったのだから、ヨーロッパアルプスの写真を眺めてため息つくばかりの、遠い遠い夢のあこがれのところだった。
 その夢を半世紀近くも後になってやっと果たしに行ったのだ。しかし、さすがに古希ともなると岩登りも山登りも無理で、山岳鉄道やらロープウェイで登って、2~3000m位の標高の中腹の草原をテクテクと4~5時間歩いて下るのであった。
 天気は良くて、あこがれだったアイガーだのドリュやらグレポンやらの岩峰が目の前にあって、それはそれでうれしかった。

●山行きでドレスアップとは

 歩き仲間の友人が誘ってくれたのだが、旅行会社が企画する一般募集にツアーにもこのような山行きがあるのだ。これまでのわたしの外国旅行は、仕事関係の視察や仲間との遊びの独自企画ばかりであって、既製パックの海外旅行に乗ったのは実は初めてなのであった。

 山行きだからちょっと大き目のリュックサックに、何もかも詰め込んでキャリーバッグに載せて持っていったのだが、成田の団体旅行集合の場に行ってまずおどろいたのは、30人足らずの一行の7割は女性なのである。それも中年以上ばかり、つまりオバサマ方なのである。
 山に行くのにこんなに女性ばかりのはずがない、と、集合場所を間違えたと思った。ところが、近頃の海外ツアーはいずれもこうなのだそうである。そしてまた、その荷物の大きなこと、重そうなこと、山に行くのにどうしてなのだろう?

 この疑問は、その2日後のホテルの夕食のときに始めてわかった。一流ホテルのディナーだから、ドレスアップして来いというのであった。男は折り目のあるズボンをはいて、襟のある上着を着て来い、というのである。
 こちらは登山旅行のつもりだから、よれよれズボンにティシャツの着たきりすずめである。そして女性たちは見事に、おしゃれ着でやってくるのであった。そうか、毎夕食ごとに着替えるとなると、あんなに重くでかい荷物になるのも仕方ない。
 しかし、山登りに来たつもりのわたしには、しゃくぜんとしないままに毎晩の食事が過ぎていったのであった。1960年前後の時代の、わが夢の中の山行きだから、仕方ない。

●スイスの美しい風景は牛糞の中に

 実は今回の目的はもうひとつあって、スイスの牧場の風景が美しい自然景観の典型みたいに、よく言われるのだが、どうも疑問に思っていた。 特に植生に関する文献などでいろいろと読んでいて、あれは本当に自然景観なのだろうか、あんなにきれいに単一植生になるはずがない、なるにはそのゆえんを知りたいと思っていたのだ。 和辻哲朗の名著『風土』で言うところの西欧の「牧場」風土は、和辻が目で見てきて言うような本質的な自然では、どうもなさそうなのである。どうしても自分の目で、それを確かめたかったのである。 結論を言えば、スイスアルプスの草原は、人間の飼う牛と羊の糞尿まみれで、自然ではなかったのであった。

 お花畑とでも言うように草花が競って咲き乱れる季節であり、エーデルワイスとかアルペンローゼとか、女性たちは山よりもそちらに目を魅かれてガイドの説明を聞きたがっていたが、わたしは花には興味がない。花のまわりあちこちに落ちている牛糞に興味があるのだ。おかしなことに、花を見る女性の目には糞は 見えないらしい。

 弁当を食うために座るときにも、糞を避けるのが難しいこともあるほどだ。遠目には緑でなだらかな草原も、近寄ってみるとボコボコだし段々状になっている。それはガイドによると牛の踏み跡だそうだ。日本の山岳よりははるかに傾斜のきつい山岳草原で、さすがに牛も足場を作らないと草をのんびりと食むのが難しいようだ。現に傾斜が余りにきついと、牛も入らなくて林になっている。

 そうやって、牛羊が草を食い糞尿を落としてまわり、その糞尿を養分としてまた草が生え花が咲き、また牛羊が食って糞をするという、数百年もつづいた循環の中で、この草原の牧場景観ができあがってきたのである。樹木が生えないのではなく、牛や羊が樹木を生えさせないように、つまりその飼い主の人間の牧畜農業がこの景観を作っているのであった。これは完全なる人工的な文化景観なのであった。自然景観ではないのであった。予想通りのことを、わが目で見て確認したのであった。

●人間の営みとしての牧場と棚田の景観

 生態学者の沼田真が述べているが、和辻が「牧場」をヨーロッパの本質的な風土のキーワードとして与えたのは間違いであった。咲いている花や生えている草は、牧畜によって喰われることに対抗しつつ、その種を保存してきたのであろう。発芽から成長の間に食われることに対応するには、草は「成長点」を表層の土や石ころよりも低くして、伸びる前に食害から逃れるのである。そのような草のみが、ここでは生きることができるのだそうである。

 雨量は600ミリ/年くらいだから、普通ならこのあたりは森林になるはずである。それがモミやトウヒを主体とする針葉樹がまばらに群生していて、草原が優先する景観となっているのは、牧場とするために人間が森を伐り開き草原とし、毎年毎年と繰り返す牛や羊の草食の結果によって、この景観が保たれているのである。

 もしも、牧畜をやめたらどうなるだろうか。標高によって異なるが、針葉樹ばかりではなく、シラカバやブナなどの落葉広葉樹が生えて森林になるはずである。現存植生に針葉樹が優先しているのは、多分、広葉樹の幼樹は牛羊に喰われるが、針葉樹は食われないためであろう。現に牛の入れない急傾斜地にはそのような広葉樹も見ることができる。

 こうして、草原に針葉樹の林が混じる典型的なスイスの景観が保たれることになる。そう、これは西洋版棚田である。人工的に芝生にしている点ではゴルフ場とも同じなのであるが、生産の場だから棚田と同じと考える方が良いだろう。

 スイスではあれほどまでに山の上まで牧場という生産空間にしているのに、日本では田畑を高山地帯まで作らないのは地形的理由だが、牧場にさえしないのはなぜか。あちこち文献などをつまみ食いしてみると、どうもそれは農産物の生産効率の違いの問題らしいのである。

 牧場で牛1頭を養って育てるには、草原が1ヘクタールは要るのだそうである。しかも1年ではその牛を食料にするほどに育たない。ところが米つくりの田圃なると、1ヘクタールあれば10人が1年間食える収穫が1年間でできる。生産効率が米の方が断然優位なのである。日本で無理して山岳の傾斜地で牧場を経営することはないのである。無理するなら棚田で米を作る方が良いのだ。そうやって山地に住む人々は棚田をつくったに違いない。

 ではスイスでなぜ棚田にして米をつくらないのか。それは年間雨量が足りないので、水生植物である稲は育たないのである。日本の雨量は平均1680ミリで、スイスの3倍 近いのである。それがもともと熱帯性の植物である稲を育てるのである。ヨーロッパから見れば、日本は熱帯の地なのである。

 そしてまた、この大量の雨量の日本でスイスのように山を禿山にしてしまうと、洪水に襲われる確率が非常に高くなるという問題もある。もちろんスイスでもその可能性は日本よりは低くてもあり、人造ダムもあるし氷河のカール湖 の天然ダムが洪水調整の役割を果たしていることを、現地に見ることができる。
 こうしてスイスの牧場は、日本では棚田になるのである。

●スイスに見る環境問題

 マッターホルンのふもとにある小さな盆地のチェルマットの町(村か)は、ガソリン車を入れない。鉄道も道路も通じているのだが、ひとつ手前の駅前でガソリン車の観光団体バスから降ろされて、荷物を手押し車で電車に運び、鉄道に乗り換えて入らされた。そのチェルマット駅につくと、駅前には馬車と電気自動車が待っていて、荷物はこれでホテルに運ぶ。小さな盆地だから人々は歩けばよいのだ。

 そうやって環境を守っているのである。人口3千人のこの街に年間120万人もの観光客が訪れるそうだが、観光パンフレットにはここが空気が清浄であることうたっていて、環境を観光の売り物にしているのであった。

 街並み景観は、原則として木造による外装をする建築協定があるらしく見えたし、その建築意匠も伝統的な木造ログハウスのデザインコードを引用した取り決めもあるに違いないと見えたのであった。これが街並みを特徴付けており、グリデルワルトやシャモニーよりも明確にその街並みの風景を思いだすことができる。

 ところで、その盆地には周囲の山々から流れ込む河があり、砂まじりの雪解け水がごうごうと波打って流れていた。飲料水は当然この河の上流からとっているのだろうが、考えてみるとまわりはみな牧場である。果たして水質は大丈夫なのであろうか。
 日本の山岳と比べるとはるかに傾斜がきついし、表土が薄いから、地下水にしみこむ糞尿の流れ下る時間が短いだろう。牛や羊の糞尿の量は制御されているのだろうか。

 インタネットで調べていたら、放牧の頭数を1ヘクタール当たり肉牛なら4頭、乳なら牛2頭以下の制限があると書いているものが見つかった。孫引きするには元の文もこのくだりの出典が分からないので確実ではないが、そのようなことがあってしかるべきである。

 さて牛や羊は制限しても、人間はどうなのであろうか。120万人観光客のほとんどは周辺の山を歩くだろうから、その糞尿もすごいように思うのだが、どうなのだろう。実際にあの山岳地帯を歩いてみた感じでは、これくらい雄大だと人間の影響なんてたいしたことはないようにも思えたが、正直言って分からない。

 ちなみに、日本人観光客が非常に多かった印象がある。なにしろホテルで持たされた昼の弁当が、タクワンつきの握り飯だったが、その日本式専門弁当屋が成り立つほどなのである。アイガーを眺めつつ握り飯を喰うというのも、妙な気分だった。

 氷河の後退が著しいことは、1865年にマッターホルン初登頂したウィンパーの著書にも書いてあるくらいだが、今はもちろん更に著しいそうである。グリンデルワルトから登ったあたりの雪渓の表面が、ピンク色を帯びているのである。ガイドに聞くとアフリカ砂漠から飛来する砂のせいだという。日本では中国から来る黄砂が、こちらでは紅砂というわけだ。これが氷河後退を促進する原因のひとつにもなっているだろうと思った。

 氷河を見たのははじめてだったが、それにしても形態と言い、規模と言い、異形の風景と言わねばならない。人を拒否するかのごときこれが本物の自然なのであり、 あまりの異形にわたしたちの身のまわりには本当の自然はあってはならないのかもしれない、とさえ思えたのであった。(2006/09/03)

参照⇒

「中山間地論」(まちもり通信:伊達美徳)

「まちもり通信」(「伊達美徳)