中央区日本橋:有名建築家たちが関わった
老舗百貨店の白木屋が消えた
伊達美徳
(週まち掲載 2000.01)
昔、東京日本橋のそばに、「白木屋」という有名な百貨店がありました。江戸時代の呉服屋から続いた、三越や松坂屋と張り合った老舗でした。
先先週の関東の各新聞に、東京・日本橋の東急百貨店だった建物を壊して、跡地にオフィスビルを建てる計画が、完成予定写真つきで出ました。
その壊されようとしている建物が、白木屋のなれの果てです。戦後高度成長期に新興鉄道資本にのっとられて東急百貨店になりました.
それも去年閉店して、300年以上の歴史を閉じました。
さて、その建物ですが、東京駅みたいに、だれも、なんにもいわないのは、なぜでしょうか? 実は建築の世界では結構有名なのですが、建築家さえも、言ってないようです。
そりゃ、東京駅みたいに派手じゃないからだろうって? そうですね、なんだか灰色のコンクリ板がはりつけてある、なんの変哲もない建物です。
でもね、あの建物ができたのは1928年のこと。そのときは大変な評判のデザインでした。あんな格好がどうしてって? そうじゃないのです、あのコンクリ板は1957年に、全面改装してからの姿なのです。
戦前の姿は、クラシック様式の三越の向こうを張って、外はインターナショナルデザインとかいって直線とガラスで構成しながらも、入口やら内装は金ぴかタイル貼りのお飾り過剰のアールデコ風やら、まあ、いかにも商業建築らしくあれこれと派手な俗受けするデザインでした。設計は石本喜久治という有名な建築家。
では、それを何ゆえあんな愛想のないデザインにしたか。そこが建築界の面白いところで、1950年代頃は、あのようなある種の純粋さを求める建築デザインが主流だったのです。
今見るとえらく無愛想なデザインを賞賛した時代があったのですね。
改装デザインをしたのは、これまた有名な建築家・坂倉順三です。けっこう、そのときも評判になりましたが、建築界だけのことで、さすが俗受けはしなかったですね。
面白いのは、裏通りから見上げると、昔のままの姿が見えることです。
でも、えらく無愛想な純粋に柱と壁だけの構成なので、これも戦後の坂倉デザインかと見間違うのですが、実は裏は戦前からの姿なのです。
これが手抜きじゃなくて、はじめからその意匠なのですが、どうしてそうなのかを語るのも結構面白い建築デザイン史になるのです。これは専門的面白さなので別の機会にします。
ちょっとだけ言いますと、山口文象がそのデザインをしたらしいのです。
ついでながら、白木屋の百貨店としての歴史もその建物の歴史とともに、数奇な運命をたどっています。例えば、白木屋火事という、日本女性下着史に大きな影響を与えた大惨事がありました。
白木屋のっとり事件も、横井英樹や五島慶太など、時代の怪しげな猛者どもが登場して、新聞沙汰になって面白かったですね。
さてと、そんな白木屋がなくなってしまうのですが、今の建物を見ても面白くもないので、だれもなにもいわないのだろうと思います。
でも、あの建物の中に込められた歴史も、東京駅に負けないものがありそうだなあ、なのに、この新築予想図は白木屋の歴史をなんら感じさせないデザインだなあ、このネオクラシックスタイルは三越との競争に負けて三井軍門に下った象徴だなあと、思ったのでした。
わたしは去年の閉店売り出しのときに、この建物にお別れにいってきました。
補足:テレビを見ていたらこの日本橋東急跡地開発の絵が出てきた。以前とはなんの関係もない姿の建物らしい。(2001.4.8)