多治見:美濃焼の多治見はオリベイズムを生かせるか

多治見:美濃焼の多治見はオリベイズムを生かせるか

伊達 美徳(委員)

1.陶磁器の町はMONOまちづくりの原点

日本の陶磁器の街は、MONOまちづくりの原点である。有田も伊万里もそうであるように、多治見でも街の中で陶磁器工芸の職人たちが、ものを作って売っている。

日本のいくつかの産地とよばれるものづくりの町を訪れたが、多くの産地では、大都市の流通事業者に企画、デザイン、販売を任せてしまっており、産地は単なる工場のまちとなっている。

そのまちの産物を、そのまちで企画デザインして、そのまちで作り、そのまちで売っているところは、陶磁器の産地だけであると言ってよいだろう。その意味で、陶磁器産地はMONOまちづくりの原点である。

2.素晴らしい町並みがありながら衰退する中心市街地

多治見は名古屋の通勤圏であり、人口は増加の傾向にある。しかし、中心部では人口が減少し高齢化が進んでおり、生活圏の空洞化と商店街の低迷という地方都市の課題を負っている

今回のアドバイザー派遣に関しては、岐阜県が提唱する古田織部をテーマとする「オリベストリート」づくりが、MONOまちづくりの中心テーマである。

多治見の中心市街地は、伝統的な町並みを持っている町筋が多くある。しかしどこの地方都市でもそうであるように、ここでも必ずしも町並みとしての評価がされていないために、せっかくの伝統街なみが隠されている。

建築的に一級品とみられるものに目が行きがちであり、単体の建築としては必ずしも素晴らしいものではないが、町並みの連続としてみると個性的な表情を持っている建物群でありながら、地元の人たちが気が付かないままに壊されたり隠されたりしていることが多くある。

多治見でのわたしの町歩きで見た範囲では、中心市街地の駅前商店街、ながせ商店街、本町筋、小路町筋、釜町、神楽町などの界隈に、素晴らしい伝統町並みがありながら、看板、電柱、照明灯、飾り物などで隠されているのである。実にもったいないことである。

商店街の陶磁器店舗はそれらしい風格があるし、釜町あたりの陶磁器工場も産業の町らしさを秘めていてなかなのものだし、本町筋の裏あたりで職人が絵つけをしている工房があちこちにある路地もいかにも美濃焼の町らしい風情がある。

市ノ倉でも、建物として見るとありふれた道筋だが、美濃焼のある町並みとして見ると、煙突も倉庫も、打ち捨てられた焼き物屑も、陶磁器を運ぶトラックさえも、地域景観として生き生きと見えてくる。

ついでながら、宿泊した国道沿いのホテル周辺に立地する沿道型安売り店舗群の町並みの、なんとまあ安っぽくて汚らしいことよ。多治見の玄関となるこの所のこの風景を、車で便利だというだけで、市民はなぜに許すことができるのだろうか。多治見の中心市街地の伝統街並みのある商店街が、なぜにこんな代物に負けなければならないのか。

3.本物がうまれてくる迫力

1997年のこと、「MONOまちづくりサミット」でわたしは多治見にやってきた。そのときに市ノ倉の幸兵衛:釜を訪れたのだが、いつもは仕事関係資料の外の買い物をほとんどしないわたしが、ついつい高い焼き物をたくさん買ってしまったのだった。

実は有田を訪れたときもそうだったのだが、この人(人間国宝の加藤卓男氏に出会った)が、この素材で、こうやって、あの釜で焼いたのだという、本物のもつ高い価値観が目の前で生まれてくる(かに見える)ことが、わたしをついつい買い物させたのだろう。

それだけではなく、あの窯元のどっしりとした民家や私設ミュージアムの作品群が醸し出す本物環境が、そうさせるに十分な演出なのである。

ここにMONOまちづくりという、ものづくりとまちづくりの融合が、一個人の世界だけで見事になされていることを見ることができる。これを街として作ることが、多治見のMONOまちづくりなのである。

4.商店街から生活街・生業街へ

商店街の再生が今回のテーマであり、それを「オリベストリート構想」として具体化しようとしているのである。そのコンセプトは素晴らしく、地域にそれにかける人材もおられるようである。古田織部のデザインごころが、どう生かされるか楽しみである。

このオリベストリート構想は、中心商店街の再生のための活性化策として商店街の景観整備、イベントおこし、サービス策など提案されている。

それはそれで誠に結構なのだが、中心商店街をとりかこむ中心市街地の人口空洞化の進行と高齢化を放置していては、せっかく商店街を整備したのに、買い物してくれる肝心の住民がいなかったということになる。これでは手術は成功、患者は死亡である。

なによりもまず、中心市街地で暮らしやすい環境づくりが最優先の政策となるべきであろう。生活の場としての街の再生こそが、商店街の再生の道である。

わざわざ遠くから顧客を呼び込まなくとも、商店街の目の前に暮らす毎日の客がいてこそ、基礎的体力のある商店街になり、その上で観光客にも対応する広域型の商店街になりうるはずである.

その意味では、商店街というよりも生活街へ、あるいは生業街(なりわいのまち)へと言う方がよいかもしれない。そして陶磁器産業こそは、多治見の生業であり、生業のある生活街づくりこそが、MONOまちづくりなのである。

陶磁器が動いている風景、つまり他から仕入れた製品が単に店で売られているだけではなく、製品が生業として街の中で作られている風景があることが、ほかのまちではない多治見らしさを見せている。これを大切にすることが、多治見のMONOまちづくりの本質であると考えたのだった。

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懇切丁寧にご案内して下さった多治見市役所の方々、活発な討議で存分に話合った商工業者や市民の方々に、厚くお礼申し上げます。

注ー小論は国土庁の「MONO まちづくり研究会」における1989年の報告である。ただし、写真は本掲載のために編集した。(2001.07)