生活文化圏としての中心街づくりー人口減少時代に向かってー2002

生活文化圏としての中心街づくり

ー人口減少時代に向かってー

都市計画家・伊達計画文化研究所 伊達 美徳

◆アメニティ・シティは生活文化圏

本号のテーマ「アメニティ・シティ」のアメニティとは、「あるべきところに、あるべきものがある状況」と、人間社会のごくあたりまえの「自然な状況」と、わたしはそう考えている。

ちかごろ、たとえば華美に装飾した橋や道をつくって、景観に配慮して地域のアメニティを向上しました、というように、特別の快さ豊かさ美しさなどキラキラ状態の意味ととられているようだが、それは違うと思う。

必要なところに橋や道があり、歩道は人が歩き、車道は車が走ることができる道や橋であること、それがアメニティのある状況である。

身の回りに緑や水の自然があり、その地域らしい個性的な風景の街があり、街には隣近所の日常的な付き合いがある、そのようなごく普通の環境をもって「アメニティ」というべきである。

いま、都市にアメニティが叫ばれるのは、そのあるべき「自然な状況」が破壊され「不自然な状況」になったからである。アメニティの回復とて、特別のキラキラした不自然な状況を改めて作ることは、間違っている。

アメニティに対応する日本語がないことが、誤解を生むのかもしれない。わたしは「生活文化」をもってあてたいと考えている。

生活文化を論ずる紙面はないが、人間生活の衣食住から展開すれば、「衣」は寒さをしのぐ段階から「ファッション」へ、「食」が飢えをしのぐ段階から「グルメ」へ、「住」が雨露をしのぐ段階から「ランドスケープ」へと、それぞれに暮らしを文化にする状況をいう。

それらが総合的に組み合わさって「生活文化圏」を構成する。それがアメニティ・シティだ。

◆活性化と衰退化の矛盾する政策

新潟県に新発田市という、私の好きな城下町がある。中心市街地は、江戸時代の水路のめぐる街割りをいまにそのままに使っていて特徴ある街である。周囲は肥沃な越後平野だ。

だがこの街も、現代の地方都市のもっているすべての問題を抱えている。その中心街は、寺社、城郭、庭園などの歴史的な街並みだが、駅前には大型店と繊維工場が撤退した大規模空き地があり、外周部へのスプロールで居住人口が激減して空き家空き地空き店現象が著しい。

郊外では豊な稔りの田園をつぶして大型店や沿道安売店があり、更に市街化調整区域に大規模な土地区画整理事業による開発計画があり大型店舗誘致という。加えて、中心街の真ん中にある県立総合病院の郊外移転計画が発表された。

もちろん、中心市街地活性化基本計画も策定されて商店街再生等が書いてあるし、都市計画マスタープランにも中心街整備は重要とある。

まさに活性化と衰退化の矛盾政策を同時にやっているのだが、実はいまの日本では珍しくないだろう。彦根市のキャッスルロードという中心街まちづくりは有名だが、一方で商業集積法による郊外大型店舗建設も同時にやっている。

全国の中心市街地活性化計画でそれなりのことが行われているらしいが、成功と聞くのは極めて少ない。それには、中心市街地活性化を中心商店街活性化と勘違いしていること、中心市街地問題は郊外開発問題と表裏一体であるのを忘れていること、この2つの大問題がある。

人口減少なのにニュータウン開発の裏には、農業よりも儲かる都市開発があるが、行政側には固定資産税の増収期待がある。だが、一方で中心街の衰退で減収することを忘れている。長期的な都市経営哲学が欠如しているのだ。

◆参加しない市民と安住する行政

新発田商工会議所から中心商店街の商業問題として相談をわたしが受けたとき、この2つの問題点を超える新たなまちづくり計画を、市民と行政に向けて提案することを説いた。

それにこたえて商工会議所メンバーが、自ら汗して『新発田を再構築する21世紀都市ビジョン「新世紀城下町づくり」2000年1月』を世に問うたのである。

いま、その実現に向けての展開を、行政と市民に向けて行っている。

新発田のビジョン提案までに、一般市民や行政を巻き込む作戦、メンバーの能力を高める会合などやっているうちに、企業市民、一般市民、行政それぞれに数々の問題があるとわかった。

たとえば、大型店舗の進出する郊外開発は、土地区画整理事業に向けてその地区を市街化区域へ編入する都市計画手続きの完了の直後だった。

その都市計画に反対の意見書を出したのかと聞けば、その手続きのあったことさえ知らないのが大方である。会議所メンバーから都市計画審議会委員を出していたのに、である。

その前年策定の「新発田市都市計画マスタープラン」を見れば、その新開発は位置づけられており、大型店舗の進出しそうな大規模商業地や沿道商業地が描いてある。その策定委員に会議所メンバーもいたのに、である。

都市計画に関しては、それほどに重要でありながら市民が関心持たないのは、日本各地で珍しくないことであろう。行政に参加する仕組みがありながら生かせない市民や、参加しても漫然としている当て職市民側に大きな問題がある。

そして行政側も、異議申立て不在状況に安住していて、課題を先送りするだけであることに気がつかないという大問題がある。後に問題が出てはじめて両方が気づく有様である。

都市計画マスタープランは、市民参加による策定が義務づけられた画期的な都市基本政策だが、せいぜいアンケートでお茶をにごして、コンサルタントの作文になっている代物も多い。

中心市街地活性化計画も同様であり、商業近代化地域計画、コミュニティマート計画、特定商業集積計画など、これまで失敗を重ねた商業計画のなぞりで、また失敗するおそれ大である。

中心市街地活性化政策とは実は人口減少時代の居住政策であり、商店街再生ではなく「生活街」再生であり、新発田ビジョンでは「生活文化都心」づくりを提案している。

先例を挙げる。幕末の黒船に目を覚ました横須賀に昭和の黒船ダイエー進出を機に、20年前から中心市街地活性化策を営々と続けてきた。特に、住宅と文化に重きをおいた行政施策は、中心市街地活性化の模範例である。

◆行政は市民の事務局

まちづくりには、目先の儲けの商売人は2年先、次の選挙の政治家は4年先しか見ない。だが、そこに住む市民は子や孫の世代まで見て生活の場づくりをするべき運命にあるのに、そこのあたりが市民にも、「市民の事務局」(田村明さんの言葉)たる行政にも意識が低い。

行政は、計画や市民参加の仕掛けをつくっても、それを一片の広報紙のお知らせで義務を果たし、市民は市民で面白くもない広報なんて見もしない。どちらも悪い。

今、長崎県平戸市で「まちなみ探検隊」と称するワークショップを毎月重ねる市民まちづくり活動をしている。第1回目の開催1週間前になっても、市の広報紙をみた参加者は4人だけ。そこで支援するNPOが仕掛けて、中学生たちにポスターを作らせ商店街に貼る活動をしてもらった。父母、商店主、買い物客が見てたちまち90人が集まった。中学生もたくさん来て、次世代の担い手が育つ期待が出てきた。

昨年、国交省が全国自治体に、都市計画行政にどのような人材が必要かアンケートした。回答のトップは、市民と行政の間に入ってコーディネイトするプランナーが必要とあった。つまり、今の行政は市民対応を最も不得手としていることが、図らずも露呈されたのだった。

市民と行政をむすぶ仕掛けは、次第に成長してきていて、行政計画や事業へ市民団体が参画する機会が増えている。東京都三鷹市のように「基本構想」策定を、市民主体でおこなうほどに、市民も行政も育っている都市もある。

昨今のバブル的といわれるNPOの設立は、その仕掛けの新展開だが、先般、全国のNPOの集まる会議に出たが、中には行政の下請け機関的な役割としてとらえている様子もある。

◆生活安心拠点をもつ中心生活街

さて新発田のことだが、会議所メンバーの大きな心配は、郊外大型店もそうだが、それよりも県立病院の郊外移転問題だ。市民一人一人として考えると、安心して暮らす街に大きなかげりをもたらすことだ。中心街の駅前に大きな工場跡地がある。移転先としてそこならばこれまでと大差がない。病院を核とするまちづくりをすれば中心街の再生にもなる。

そこで商店街が動き出した。日ごろの顧客である一般市民を巻き込んでワークショップや子供のポスター展などをやり、県立病院駅前移転運動を進めたのであった。商業者の利益誘導活動とする新聞種にもなったが、暮らしの安心拠点としての病院の郊外移転反対は、市民だれもが同じ思いとわかった。運動が功を奏したのか、県立病院は駅前工場跡地に移転が決まった。

これからの課題は、新病院と病院跡地に関して周辺と一体となるまちづくりである。医療行政と都市行政、県と市、行政と市民、市民と地権者といういくつかの壁を乗り越えなければならない。

衰退産業の大型店を核とする郊外新開発よりも、成長産業の病院を核とする中心街駅前まちづくりにこそ、人口減少高齢時代に必要なアメニティタウンだ。

病院の郊外移転案は、施設老朽化のほかに広域道路アクセス、広い駐車場確保が言われた。この論理で市民施設を郊外移転させた中心街空洞化促進都市があちこちにある。福井県の武生市では、バイパス沿いの田んぼの中に商工会議所と総合病院が移転して、パチンコ屋と並ぶ。

最近の心配は、市町村合併騒ぎのなかで、合併前の各中心街の重心あたりの田畑か山中に新中心街の計画が乱立しているらしい。定見のない新たな中心市街地空洞化計画そのものである。

◆都市政策と産業政策の一体化

新発田ビジョンの項目は、①長寿活躍都市、②女性活躍都市、③水緑環境都市、④生活産業都市、⑤食料供給都市、⑥生活商業都市、⑦移動便利都市の7テーマである。

市域全体の各集落や街をクラスターとし、その中核となる旧城下町地区を「生活文化都心」と名づけて、全体をコンパクトシティとして再編する構造である。

ここで注目すべき提案は、「生活文化都心」の中心街を再生することが、人口減少・少子・高齢・女性進出の時代まちづくりの必須条件であることを説き、そのためには郊外部コントロールの必要性を説いたことである。

「食料供給都市」とは、肥沃な新潟平野をスプロールから守るのであるが、実は自給率4割の日本の食料問題への地方からの問題提起でもあるのだ。

もうひとつ重要な視点は、「生活産業都市」である。かつて地方都市には地域固有の地場産業といわれる家内工業群があり、固有の物づくりを生活の中で行っており、それが地域の底力であった。産業構造の変革により中央資本がそれを破壊し、地方は企画力も生産力も喪失した。今、その中央資本は国際競争に埋没している。

これから地方が生きるには再び個性的な地場産業をおこし、地域の産物を、その街の中で企画・製造・販売し、高い付加価値の産業とする。これまで背を向けあう傾向にあった工業政策と都市政策とを合併するのである。それはとりもなおさず中心市街地活性化策の新展開となる。

これに関する政策は「ファッションタウン」(通産省系)と、「ものまちづくり」(国土庁系)がある。群馬県桐生市、福井県鯖江市、岡山県倉敷市の児島地区などが先進的にとりくんでいる。鯖江市では都市計画と産業振興を一体化して「ファッションタウン課」とした。この10年ほど、いくつかの都市でこの政策が試みられたが、進展を見ているのは行政・産業界・市民を巻き込む活動をしたところである。

アメニティ・シティの展開は、これら3者を結ぶNPO活動に期待しなければなるまい。

もっと言いたいことはあるが、紙面が尽きた。

興味ある方は、

まちもり通信・都市産業論」を参照されたい。(2002.09.16)

注)小論は、雑誌「地方自治職員研修(特集アメニティシティへ)」(2002年11月号 公職研発行)に掲載した。なお図版類は、このサイト掲載に際して新規に取り入れた。