社会環境の変化による市街地再開発事業の新たな方向に関する研究―鎌倉市大船駅東口地区をモデルに―

社会環境の変化による市街地再開発事業の新たな方向に関する研究―鎌倉市大船駅東口地区をモデルに―

2002

伊達美徳(伊達計画文化研究所)

1.大船駅東再開発事業の基本的課題

鎌倉市大船駅東口の市街地再開発事業(都市再開発法による第一種市街地再開発事業)は、土地の高度利用を通じて商業基盤、道路基盤などの都市機能の強化と都市防災性能の向上を図るため、1972年(昭和47年)に都市計画決定した。

1986年(昭和61年)の都市計画決定(変更)を経て、1992年(平成4年)に区域の地区の南半分の第1地区(交通広場と第4街区)が完成し、交通状況は改善され、商業基盤も整備された。

しかし、第2地区については、2本の都市計画道路や第1街区~第3街区などが未整備のままとなっている。

これらの宿題ともいえる積年の課題を解決するため、再開発事業の早期実施をするべく、市としての権利者等との対応を続けているが、その都市計画決定をした当初の1972年あるいは変更した1986年と比べても、再開発事業をとりまく社会経済環境は激変をしており、既定方針のままでっ進めることに問題がある。

この研究では、30年を経ての社会環境の変化はどのような状況にあるか、そして今後の新たな方向はどうあるべきかを考えるものである。

大局的には、本事業が抱える課題は次のように考えられる。

①人口減少、少子高齢社会等の著しい社会環境の変化への対応

②価値観の多様な時代に多様な市民ニーズへの対応

③市民参加による新たな事業の進め方への対応

そして、新たな方向として、市民にとっても権利者にとっても考えるべきことの基本的な課題は、『次世代に誇りをもって渡す街』をつくることができるかどうかである。

今のままの街で次世代に渡してよいか、どのような街なら自身もって渡せるか、そこに再開発の基本となる視点がある。

権利者・住民・市民・行政が責任もって協力し合って、環境、景観、居住、就業、公益、商業、交通、憩い等の多様な機能を複合して備える、次世代に誇りを持って渡すことのできる街をつくることがこの再開発の究極の目的である。

2.社会環境の変化

(1)人口増時代から人口減少・少子高齢時代へ

①人口増加から減少へ

大船駅東口再開発の都市計画決定を行った1972年から、30年後の今日までに起こったもっとも大きな日本の社会環境の変化は、人口の増加時代という、いわば右肩があがりの社会から、数年後に始まる人口減少という右肩下がり(必ずしも否定的ではない)の時代を迎えようとしていることである。

日本の人口減少は、中位予測として2007年から始まるとされるが、現実は下位予測の方向にあるので2、3年の内に人口減少が始まるといわれる。これまでの人口増加を前提とした都市拡大型の近代都市計画は大きく転換して、人口減少を前提とする凝集型のまちづくりを早急に進める必要がある。

それとともに世界でも有数の超高齢社会に突入するので、その前に超高齢でも生活できるまちづくりをしておかなければならない。特に、まちづくりは目標の実現のためには、長期を要するので、人口減少が始まってからでは遅い。

大再開発の都市計画決定をした1972年から70年代前半は、新規宅地開発が進行して鎌倉の人口も急増した時代であり、それに対応するように駅前大規模再開発の方針が定められた。鎌倉市では1987年に約17万6千人をピークとして毎年連続して人口減少傾向に転じ、1993年から自然減の傾向が進んできている。

近年は、鎌倉市は社会増の傾向となり減少傾向が緩やかになってきているが、これから増加する方向になるとは見られない。人口の減少にもかかわらず世帯数は増加傾向にあり、世帯分離は進んでいるが、中でも高齢者世帯が増加している。

人口減少時代に向かうとき、現在の市街地の人口がそのまま減少するのを手をこまねいて見ているだけであれば、市街地の空洞化がはじまり、地域社会の維持が難しくなるし、投資してきた社会資本を有効に維持することも難しくなる。

70年代に各地でおきた郊外開発住宅地が、空洞化と老齢化によって維持が難しくなっている現象がおきているのが典型的である。そして一方で、東京都心への人口回帰のような、凝集現象も人口減少時代への予兆を見せている典型的な動きである。

人口減少時代に求められるまちづくりの方向は、増加する人口に対応して拡大させてきた市街地を、減少する人口に対応して適切に市街地を凝集する方向のまちづくり施策も必要となる。

大船駅東口再開発には、その施策のモデルとしての意義が求められる。

②高齢化から超高齢社会へ

人口減少と表裏一体の関係にあるのが、人口の高齢化である。高齢社会に関する国連の定義を使えば、鎌倉市ではすでに1960年代に高齢化率7%を超えて高齢化社会が始まり、1990年に14%を超えて高齢社会にはいった。

2000年には高齢化率20.6%で、県平均の13.2%を大きく上回っている。その一方で生産年齢人口比は同年67.7%(県平均72.65)、年少人口は11.2%となり、典型的な少子高齢社会となっている。

地域的に見ると、いわゆる旧鎌倉地域では自然減の傾向で高齢化が進むのに対して、大船地域を含むいわゆる新鎌倉地域では自然増の傾向が見られ比較的若い層がいることが分かるが、その若い層の比較的多い大船地域においても人口減少の傾向が進んでいる。

それは、地価の高い鎌倉では、若い世代向きの適切な住宅が少ないことが原因のひとつにあげられており(住宅マスタープランや都市マスタープラン)その対応策となる住宅政策が求められる。

●鎌倉市の人口

高齢社会は決して悲観的な方向ではなく、現実には65歳以上人口の老齢人口の8割以上は元気老人であり、特に介護の対象ではない。65歳を超えたとしても多くは健康であり、たとえ体力的には下降したとしても知力と経験は豊かであるので、その能力を地域社会に生かす都市政策が必要である。

超高齢化とともに生産人口の減少がすすむと、今後は労働市場においても活力を維持するためには、高齢者を求めざるをえなし、また求めることがむしろ生産力の向上となる経営施策が必要となる。

それを積極的にとらえて、知力と経験を生かして地域において就業ができるまちづくりが求められる。それには、就業の場の整備とともに移動の手段の整備、そして仕事と暮らしの調和するまちづくりである。

また、高齢者一人当たりの収入は、若年世帯のそれと大差はなく、むしろ教育費や住宅ローンを負担がないので、可処分所得は若年世代よりも多い。高齢者を市場と見ないで若者にこびようとするこれまでの商業の傾向を、高齢社会に対応するように変えるならば、地域の活性化への展望が開けるし、高齢者にとっても地域社会への参加ともなる。このような新たな視点が必要である。

(2)高度成長時代から成熟安定時代へ

①高度成長期から安定成長へ

大船駅東口地区再開発の最初の都市計画決定をした1972年は、日本の高度成長が大きな進展をしている時期である。1975年には日本の総人口は1億人を超え、東京一極集中が問題となっている。

太平洋戦争の戦災の経験から、不燃都市建設を目的として1952年に耐火建築促進法が制定され、防火建築帯事業が再開発事業のはじまりといえる(例:横須賀市の三笠ビル)。次に帯から街区へと面に広げる施策として1961年に防災建築街区造成法と市街地改法が制定された。

前者が建築の共同化を目的としていたのに対して、後者は道路や広場等の公共施設整備を目的としていたが、それぞれに都市計画としては限界があった。

これら二つの法を統合して1969年に都市再開発法が制定され、防災建築街区造成事業と市街地改造事業を合わせて、都市計画事業として市街地再開発事業へと移行した。日本の70年代の高度成長に乗って全国各地で市街地再開発事業は進み、特に駅前商業再開発を典型として進んだ。大船駅東口地区再開発も典型的なそのひとつであるといえる。

1973年から第1次オイルショックに続くドルショックによる円高、景気低迷、建築費高騰となり、77年には戦後最大の数の倒産、79年に第2次オイルショックがおこり、各地で進行中の市街地再開発事業でキイテナントの中途撤退や権利変換が暗礁にのりあげて頓挫するものが続発して、市街地再開発事業は停滞期に入った。

1980年代にはいると景気は持ち直してきて、大船東口再開発事業の都市計画変更を行った1986年は、規制緩和と民間活力による都市の再開発が進められて、景気は上向きでバブル経済期に入ろうとしていた時期であった。

その頃は戦後では「いざなぎ景気」以来の好景気を迎えて、都市再開発も息を吹き返し、全国各地の駅前地区等で大型店舗を核とする商業再開発が進められ、大船駅東口再開発のうち第1地区の事業がその典型的なひとつとして1992年に完了した。

外圧も加わって規制緩和の波に乗りバブル経済が押し寄せて、大型流通業が郊外やフリンジ地帯へ進出がすすみ、そのために中心市街地の空洞化が始まる。

②都市再生の現在

90年代のはじめは、バブル経済による地価の高騰がすすみ、再開発事業はその内部にシステム的な難しい局面を迎え、バブル経済対策として大蔵省の不動産関連融資の総量規制も追い討ちをかけ、一方で郊外開発との競合に立ち向かうことも難局となる。

1992年バブル景気は破綻し、あいつぐ大型流通業の破綻によってそれまで主流だった大型商業化型の市街地再開発事業は足踏みするばかりでなく、各地の「そごう」の例に典型的に見るように、すでにできあがった再開発ビルの経営破綻に及んでいる。

再開発ビルの核であった大型流通業商業キイテナントの閉店撤退は、権利床も含めて全体をひとつの運命共同体として構成している大規模店舗では、再開発ビル全体の経営が成り立たなくなることを意味する。

大規模な巨艦重装備型再開発よりも、地域の身の丈にあった小規模あるいは軽装備の再開発ビルのほうが、景気に左右されることなく生き残っている例も多いことから、外部大資本に頼った巨大商業型再開発への反省がされつつある。

たとえば、ショッピングセンターのように一体構成する店舗よりも、外向きの独立店舗のほうがむしろ柔軟に時代に対応して生命力がある。あるいは、スクラップアンドビルドの開発よりも、再利用できる建物をとりこんだり歴史的な建造物を生かしたほうが個性的で魅力がある。

あるいは、外部に頼るからこう容積率の保留床処分が必要となるが、自助努力で資金調達して低容積率開発で開発して自助努力の経営をするべきだ、などの声が各地で出ている。このように、安定成熟時代の市街地再開発事業の新たにして古典的な方向が模索されている。

いま、政府の掲げる都市再生政策も明確な方向を出しにくく、景気対策的な特定プロジェクト対応となっており、市街地再開発は本格的な都市政策としてどうあるべきか転機を迎えている。

④新たな公共性を求めて

都市再開発も、かつて50年代の初期のころは自助努力による共同建築で、権利者たち自らがリスクを負いながら、まちづくりへ本来的な意味で参画して事業を行っていた。

まちづくりへの住民参加や市民参加という言葉が言われだしたのは80年代からであろうが、60年代までのかつての防災街区造成事業の時代は、自らの財産を投じて、自らの資金調達によって、自らがまちづくりを行っていたのであり、これこそが参加(参画)のまちづくりであった。

ところが、バブル景気前期のころから、土地さえ持っていれば、やってくる大企業に乗って再開発して一儲けという投機的な市街地再開発事業になり、権利者もデベロッパーも浮かれて、本来の市民のための都市計画事業という公共性からはずれるものもでてきた。

大規模工場跡地の再利用とか郊外開発商業のような、本来的には市街地再開発事業の趣旨から疑問のあるような状況でも市街地再開発事業にしたてて、都心では地上げによる権利者不在の再開発も出てきた。

バブル景気破綻の今、そのような再開発のあり方の見直しが求められている。

特に、行政の財政的な能力の限界が見えていることや、身の回りの生活圏への眼が注がれる時代となって、市民の参加によるまちづくりが正面に出てきたことにより、市街地再開発事業も新たな公共性とは何かを問われている。

そこには、これまでまちづくりは行政の役割として、行政におんぶに抱っこになりがちで、総論賛成各論反対だった市街地再開発事業を含めての地域まちづくりへの反省もある。

NPOやNGOなどが表舞台に登場してきたことにより、行政との役割分担による新たな公共性が求められている。もともと都市再開発法による市街地再開発事業は、権利者のみではなく多様な参画の可能性のある制度であり、公共団体の参画はもちろんだが、民間団体としては、不動産デベロッパーあるいは大規模商業者の参加がほとんどである。

しかしいま、大規模テナント誘致型の再開発事業が破綻を見せているとき、行政や大資本デベロッパーに頼る巨大開発型から転換して、ふたたび地元関係者の身の丈にあった自主的なまちづくりへと転換が模索される時代となっている。

と同時に、市街地再開発事業は権利者と行政の事業として、一般市民の参画が難しいのも事実であるが、多額の公共資金を投入する事業として、市民の責任ある積極的な参加が必要である。

特に大船再開発においては、公共施設(道路、広場など)と公共公益施設(行政サービス施設)の整備がともなうので、それらに関しては市民の参加を行うことが考えられる。なかでも公益施設に関しては、その内容から運営まで、市民の責任ある参加の可能性が求められる。

(3)大量生産消費時代から環境保全循環型社会の時代へ

①高度成長からオイルショックへ

1972年に国連人間環境会議で、現在および将来の世代に環境を保護し改善する責任があることを、人間環境宣言し、その年に鎌倉市は環境保全基本条例を定めた。

日本の1970年代は高度成長期であり、大量生産大量消費の時代であったが、その産業の進展とは裏腹の状況として、公害問題がおきて環境保全が叫ばれた時代でもあった。 特に1973年、79年と2度のオイルショックからは、地球規模での環境対応が認識されて来るようになった。

鎌倉の丘陵部の宅地開発が70年代から80年代にかけて進み、緑の保全が叫ばれるようになってきた。「お谷戸騒動」(鎌倉八幡宮の裏山開発阻止運動)に端を発して日本版ナショナルトラストが鎌倉で発祥し、その後も起きる緑の保全問題は、今に引き継ぐ鎌倉の課題となっている。

②環境自治体の時代

1990年には国際環境自治体協議会(ICLEI)設立されて、94年に鎌倉市も加盟し、94年には、鎌倉市環境基本条例を定めて、次の3理念を掲げている。

ア、良好な環境確保と将来世代への継承

イ.環境負荷の少ない持続的社会の構築

ウ.地球環境保全の日常的推進

1996年には鎌倉市環境基本計画をさだめ、「環境自治体 鎌倉」を標榜しており、地球環境の保全、人の健康の保護と生活環境の保全、歴史的文化環境の確保、良好な都市環境の創造、健全な成果池の保持、人と自然とのふれあいの確保、循環型社会の構築、環境教育・学習と自発的な環境保全運動などの施策を展開している。

環境自治体の登場は、環境という自然と人間の問題を社会制度化する時代となったことを示している。

鎌倉市は基本的には消費都市であり、生活基盤を他地域に依存しているので、循環型の消費活動や産業活動に変えていく必要がある。鎌倉はそのもっている豊かな古都の環境を保ち続け、鎌倉の個性として将来に伝えていく必要がある。

鎌倉は人間の活動に最適な規模の都市特性を生かして、親しみある景観づくり、安全で快適に歩くことのできる都市づくりが必要である。

大船再開発においても、消費型の大規模都市開発から脱して、循環型社会を目指しての環境問題に取り組むことが求められる。

3.社会環境変化への対応方針

(1)就業・居住調和型まちづくりー少子高齢化時代に対応して

①就業・居住圏モデルまちづくり

これまでの日本は、人口の増加の時代に対応して市街地をひろく拡散させてきたが、これからは人口減少時代に向かって、市街地を適正な規模に凝集する方向に再編成する必要がある。

さらに、これからは人口移動が起きる時代となり、地域により人口の減少が加速度的に進むところと、東京の都心のように収集が進むところ、そして鎌倉のように微減か横ばい状態になるところがでてくる。

大船地域は、高度技術の産業都市でありイメージの高い住宅都市である鎌倉の一角として、拡散市街地から凝集し移動して集まってくる人口を受け止める重要な市街地のひとつなると見られる。

居住の場としては、立地的にはことの一角であり、鎌倉女子大や鎌倉芸術館などの文化圏の一角であり、交通拠点商業拠点としての利便性も備えており、鎌倉のイメージの中にあって市場性も備えており、今後の居住圏構成のモデルとなりうる。

就業の場としては、横須賀海軍工廠関連に発する柏尾川沿い平地の工場群は、今は高度技術開発の産業となり、地域に就業の場を提供している。大船に居住することは、他の地域への就業の利便性も高いが、地域内就業の場があることが大きな地域特性を持っているのである。

その点では職住近接の立地として、高齢社会における居住の場として、あるいは子育て世代のための居住の場としても適しているといえる。

大船地域を就業の場と居住の場との調和する「就業・居住圏づくり」としてまちづくりを進めるものとし、大船駅東口再開発事業はそのモデルまちづくりとして、商業、業務、居住、公益等の仕事と生活のための各種の施設整備を図る。

②家庭機能を社会化するまち

核家族の進行は家庭が社会的機能を失い、パーソナリティの形成のための機能のみを持つようになって、家庭機能が社会に移行する傾向となっている(ただし、SOHOという形の新たな社会かも始まっていることは後述する)。

親子兄弟の数が少なくなる少子時代の育児は、家庭から社会への依存の度合いが高くなる。さらに女性の社会進出もその傾向を進めることになる。

また、高齢社会の介護に関しても、家庭内ケアから社会的なケアシステムへと移行しつつあることは介護保険に見るとおりである。

このような家族機能の社会化の傾向を受け取るのが福祉国家であり、行政ステムにそれが組みこまれるのである。環境自治体として環境という自然と人間の問題を社会制度化したように、人間社会内部の分配の問題を社会制度化する「福祉自治体」としてもまちづくりが必要な時代である。

超高齢社会に向かって、市街地のコミュニティの中でケアの目の届く範囲で暮らすように、再開発において高齢者向け政策住宅の整備を図るとともに、老齢人口の8割以上を占める元気高齢者が、仕事を続け、社会に参加しやすいように、暮らしの場と仕事の場とが共存するまちづくりを進めるために、再開発で仕事の場の整備を図る。

超高齢社会は避けようがないが、若い世代から高齢世代までができるだけバランスよく共存する人口構成を誘導するようなまちづくりを進めるために、再開発において多様な住宅と多世代交流の場の整備を図る。

③多様性のあるまち

1970年代から女性の有業者が増えフェミニズム運動がおきてきたが、こんごはさらに生産人口の減少により女性が労働市場にもとめられるようになる。

女性が暮らしかつ仕事をすることができるようなまちづくりを進めるために、再開発において居住と就業の場の提供を図る。特に、共働きの子育て世代が、安心して子育てができるように、再開発において子育て世代の住宅、子育て支援の公益施設等の整備を図る。

特に近年は、SOHOと呼ばれる家庭での就業形態が、高度情報通信システムの普及によって可能となり、子育て世代や高齢世代の家庭の社会化が再び起きつつあり、そのような居住就業環境の提供を行うべきである。

高齢者世代から子育て世代含めて、できるだけ偏りのない地域社会を作ることが、社会化する家庭機能を地域受け持つことができるように、再開発においては多様な居住の場の提供を図る。

また、来訪者も子どもも高齢者も外国人もだれもが街を安心して利用できるように(ノーマライゼイション)、施設利用は分かりやすく不便がない(バリアフリー)、誰もが使いやすいまちづくり(ユニバーサルデザイン)を進める。

④「大船生活街」

大船深沢地域全体としては就業の場にも恵まれ、居住の場としてのイメージにも恵まれているので、ここに再開発により、上に述べたような多世代による多様な社会構造の、仕事の場と暮らしの場が調和しているまちづくりを進めるものとする。

そのキャッチフレーズは「大船生活街」とし、ここに住みたい、ここで働きたいと思えるまち、ここに住み働き暮らしていることが誇りになるまち、そのようなまちづくりを展望し、駅東口再開発はそのモデル事業としてとらえる。

(2)自立・連携型まちづくりー成熟安定時代に対応して

①近隣市場を基本に

大船地域は深沢地域とともに就業の場に恵まれた地域であり、この地域に暮らし地域で働くという、自立しつつ近隣地域と連携するまちづくりを進める。

商業開発においては、現在のような周辺都市の開発が進み飽和した広域市場を対象とする商業開発よりも、市場の自立をまず考えて、地域の生活圏を基本的な市場として、個性的で親しまれる近隣型の商業中心、地域生活拠点の形成を図る。それは現に大船仲通りに見られるような、業態の延長上に視点すえて、地域内連携を図ることである。

②相互ケアのコミュニティへ

暮らしの場づくりにおいては、これからの超高齢社会で必要な介護の社会化あるいは子育ての社会化に対応するために、互いにケアしあうことができる親密な近隣型まちづくりを進めるものとする。

駅東口再開発においてはそのモデル事業として、多様な世代のための居住形態、それを支える多様な公益機能と商業機能を備え、自立と連携の密なコミュニティ形成を図る。

④地域連携へ

大船地域にある地域企業が生産型から研究開発型へ転換しつつあることや、また鎌倉女子大学の開校などを視点に入れて、高度知識社会の形成と地域文化圏の創造をめざし、大船駅東口地区の再開発においてはそれらに対応する文化や教育機能を備えた公益施設を整備する。

単独の建築としての再開発ではなく、周辺住宅地区や仲通りなど周辺の商店街あるいは横浜側の再開発などとの間で、ハードウェアとしてもソフトウェアとしても地区間相互協力連携型まちづくりとする。

行政と民間とのパートナーシップによる新たな公共性がまちづくりに求められる時代に対応して、再開発事業に権利者はもとより市民やNPO等の積極的な参加と連携によって、自立性の高い事業とする。

都市災害に対して、再開発施設建築物がそれ自身ハードウェアとして安全であるとともに、地域ぐるみのハードウェア及びソフトウェアの連携による安心型のまちづくりを図る。

(3)環境創造・循環型まちづくりー環境保全時代に対応して

①循環型まちづくり

再開発による工事や施設の環境に与える負荷をできるだけ少なくするように、エネルギー消費を低減するとともに騒音や排気ガスの少ないまちづくりを進めることを図る。

再開発によってできる街を利用をするために、自家用車による交通に頼るよりも、バス、鉄道、モノレール等の公共交通が便利であり、また歩いて利用することが便利なように、歩道、広場、公園、植樹、モール、エスカレーター、エレベーターなどの、歩行者のための環境整備を充実する。

事業中や事業後も環境負荷を与える排出物ができるだけ少ないゼロエミッションを目指して、建設事業中においては廃材の再利用、施設の維持管理においては水の再利用やごみ廃棄物をできるだけ少なくする、循環型の施設整備を図る。

②投資の総合的適正化

一方、投資コストに対する開発の効果をできるだけ大きくするように配慮することも大切である。

有効な公共投資のために、再開発の施設に関しては、建設事業費のイニシヤルコストの低減とともに、将来にわたって継続的に保全修復を繰り返しリニューアルしながら、長期的に活用できる施設整備をするような、施設の維持管理を長期的な視点から見るライフサイクルコストの考え方の導入を行い、総合的な投資の適正化を図る。

③開発の将来余裕

市街地再開発事業は、その枠組みが短期局地採算性を取っているので、一気に大規模開発となるのが基本的な事業構造となっっているとされてきた。それは、地域の潜在開発能力をすべて使い切ることでもある。そのために時代の変化に対応しにくい開発にならざるを得ない構造でもある

市街地再開発事業の法的枠組みは、権利者の全員参加となっており、転出(不参加)は特別の場合とされている。権利者が転出しないならば、かならずしも土地価額を顕在化させないで再開発が可能であり、つまり権利者のもつ土地の潜在的開発能力の全てを使い切る必要はないはずである。

権利者には、将来開発への余力を残した再開発とすることも検討して、大規模巨艦開発でない市街地再開発事業を行うべきである。それが「次世代に誇りを持ってわたす街」のひとつの役割りでもある。

④美しい都市環境創造

同じような建築や同じような町並み風景ではなく、地域の現在の環境や景観に調和させる都市デザインとして、美しい都市環境の創造を図る。

参考:大船再開発の詳細は下記参照のこと。

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/of-jimusho/e-1info.htm

●小論は、2002年4月に大船再開発の社会環境変化への対応方針として、調査研究の一部に加筆訂正したものである(030504掲載)。