多治見・美濃・関:連携する伝統産業都市サミット

多治見・美濃・関:連携する伝統産業都市サミット

伊達美徳

地域に育ってきた伝統的な産業を生かすまちづくりの模索は、各地で模索され続けています。越前漆器もそうですが、繊維も眼鏡さえも鯖江の伝統産業と言ってよいでしょう。

飛騨の高山市には、飛騨木工という伝統産業があります。そして有名な三町重要伝統的建造物群保存地区の街並みがありますが、それらの間には関係があるでしょうか。その街並み観光に訪れる人々は、年間200万人を超えますが、その街であの優美なる飛騨家具にお目にかかれて、手に入れるのはちょっと難しいのです。

高山と同じ岐阜県にある美濃の多治見市は、陶磁器の美濃焼の産地です。陶磁器は昔から消費者が産地で買うことができるし、まちづくりと連携しているところも多くあります。最も有名な例は佐賀県の有田です。多治見では、オリベストリートという、陶磁器産業を生かした街並み作りを進めています。オリベとは、桃山江戸初期の茶人古田織部のデザイン思想を今日に生かそうという岐阜県のデザイン政策のひとつです。

美濃には伝統産業として、関市の刃物、美濃市の和紙もあります。これらの家具、陶磁器、刃物、和紙など出、ひとつの風景画を思い浮かべることができます。それぞれ別々のものではなく、例えば飛騨家具のダイニングテーブルの上に、美濃和紙のテーブルクロスやナプキン、美濃焼の食器、関刃物のナイフフォークがならび、上から和紙の照明器具が柔らかな明かり、このような組み合わせると美しいインテリアトなります。

2002年の2月、岐阜県多治見市で「伝統産業都市サミット TIC’02in多治見~産業が地域の文化を創る~」と題したイベントが行われました。

高山・関・美濃・瑞浪・多治見の市長たちが集まり、都市として総合的な連携し、産業異業種交流を超えて何ができるか、伝統産業都市の連携の方法を探ったのです。ここではファッションタウンとはいっていませんが同様なコンセプトであり、それらの産業と都市の相互連携へとステップ生み出そうとする動きです。

ところで、高山で有名な街並みと飛騨木工とが結びついていないと言いましたが、木造建築の技法には飛騨の匠はいかされているでしょう。ただし、消費者から見れば、せっかくの飛騨家具を飛騨で手に入れるには、かなりの努力をしなければならないのです。これは、上に述べた児島のジーンズや鯖江の眼鏡と同様です。

では和紙はどうか。越前今立と美濃とは和紙の双璧です。どちらも美しい街並みや集落風景をもっていますが、和紙産業との結びつきは必ずしも親密と言えません。

2月にわたしは美濃市を始めて訪れました。中心部に高山の三町と同じ制度による国指定の「美濃町重要伝統的建造物群保存地区」があます。江戸時代からの和紙問屋が、うだつの上がる瓦屋根が美しい商家のまちなみを形成しています。この重伝建指定は比較的近年の1999年ですから、高山と比べるとまだ整備途上といえます。

整備途上であるだけに、まちづくりの持っている諸課題が透けて見えてきます。和紙問屋はいまは数少なくなっているので、有田の伝建地区の陶磁器商店街のように表で売り、裏で作るような地場産業風景が見えてこないのです。お土産的な和紙製品の販売店があるくらいでしょうか。

地場産業が活気を持ってその街で生きており、暮らしはたらく人の動きが見えるような街は、もう望むべくも無いのでしょうか。順次整備されて、電柱はなくなり、カラー舗装され、伝統形式に建築は復元されてくると、しだいに美しくなるその一方で、映画のセットのような生活感の失われた風景になるおそれもあります。街は生き物ですから、時代とともに風貌を変えているのは、それなりの必然性があるからです。

どうやったら活気のある産業風景が生きる美しい街並みになるのでしょうか。多治見のオリベストリートについても同じように思います。伝統産業都市サミットを契機に、それらの都市の伝統産業を互いに取り入れること出、何か新たな展開はできないものでしょうか。

ついでに、今回の3都市訪問で考えさせられたことがあります。

美濃市の和紙産業振興のための「美濃和紙の里会館」は美濃町重伝建地区から10キロも離れているし、高山市の飛騨・世界生活文化センターも同様に郊外の山の中だし、多治見市にもうすぐできる「セラミックパークMINO」も街はずれにあるのです。車の時代だからといいい、街中には土地がないといって、空洞化している市街地の外でないと、本当につくれないものなのでしょうか。(2002年2月)

注:本論は、鯖江ファッションタウン2002市民報告会のために書いた原稿の一部であるが、国土交通省の大都市地域リンケージプログラムのイベントの報告でもある。