https://sites.google.com/site/dandysworldg/hukusimagenpatu-worldheritage

まちもり通信siteとは、まちもり散人伊達美徳)主宰のウェブサイトです

他に伊達の眼鏡blogfake bakatwitter】もどうぞ


WHATS' NEW最新記事掲載と変更2017/08/16

http://datey.blogspot.jp/

2017/08/15【敗戦記念日定点観測】金モール軍服長靴の若者がスマホをいじる靖国の夏

2017/08/10【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド.10】DNタワー設計者と歴史的建築保存と再生

2017/08/08【癌かもしれない日々・1】紫外線のせいで顔が癌になりそうな診断、さてどうなるか

2017/08/03【日本の家展と超高層建築群】近代美術館「日本の家」展は“建築家”好み

2017/08/02【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド・9】キメラ建築DNタワー歴史的景観の背景

2017/07/25【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド8】明治生命館は丸の内では超一級重要文化財

2017/07/22【日本橋首都高撤去話】高度成長開始期日本の歴史記念碑として首都高を保存しよう

2017/07/17【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド7】丸の内に昔あった江戸大名屋敷黒門を戻そう

2017/07/11【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド6】浦島太郎が美術館になって戻ってきた

2017/07/07【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド5】40年前に取り壊した三菱一号館が出戻り

2017/06/29【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド4】JPタワーは現代世界戦争時代の開幕記念碑か

2017/06/20【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド3】空気を売って修復費用捻出「2012東京駅」

2016/06/13【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド2】「1947東京駅」は米軍への復讐戦だったか

2017/06/02【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド1】今見る東京駅赤レンガ駅舎は4代目の姿

2017/05/26【タイムマシン】中学生の作文と大学生の論文が前世期からやってきた

2017/05/17【東京風景GSIX】草間ツブツブ提灯、外に暖簾「銀六」大箱出現で銀座の空が狭い

2017/05/12【正岡子規の展覧会】徘徊老人が俳諧巨人の偉大な足跡に驚嘆してきた

2017/05/06【銀座観世能楽堂】超便利になったが地下3階しかも狭くなって閉所恐怖症には苦手

2017/04/27【言葉の酔時記】ナニナニするものとすることにするものとすることにすることとする」

2017/04/17【横浜ご近所探検】半世紀前のモダンデザインの防火建築帯ビルは生きながら廃墟化へ

2017/04/16【言葉の酔時記】新聞のチャイナとコーリア外国人名表記はいったいどうなってるんだ?

2017/04/09【花見と戦争】あの戦場に消えた人や戦場に送りだした人のことを改めて思う花の春の日

2017/04/06【お花見宴会】母校キャンパスの満開桜の下で楽しむ花見を来年もできるだろうか

2017/03/24【横浜ご近所探検隊】戦後復興期まちづくりの防火建築帯について若い人たちが研究

2017/03/21【横浜ご近所探検隊】公開空地を公開しないで食い逃げしてる違反ビル二つ

2017/03/18【オペラ見物】モーツアルト「魔笛」を勅使河原三郎演出で観てきた

2017/03/09【五輪騒動】新国立競技場設計騒動が鎮静したら次は絵画館前サブトラックでまた騒ぎ

2017/03/01【横浜水上徘徊】寒の船で川巡りして見上げる関東大震災復興橋梁

2017/02/14映画「MERU」を観たがヒマラヤ登攀人生ドキュメンタリー映画だった

2017/01/27【能楽を観に】傘寿となった人間国宝・野村四郎が演じる隅田川を観てきた



まちもり通信 総合目次

下記をクリックすると当該ページリストにジャンプします。左のバナーからもジャンプします

https://sites.google.com/site/machimorig0/

http://datey.blogspot.com/

https://www.facebook.com/dateyf

http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html

https://sites.google.com/site/machimorig0/#tohoku

https://sites.google.com/site/machimorig0/#kanto

https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokai

https://sites.google.com/site/machimorig0/#kinki

https://sites.google.com/site/machimorig0/#chusikoku

https://sites.google.com/site/machimorig0/#kyusyu

https://sites.google.com/site/machimorig0/#keikan

https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki

https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosisangyo

https://sites.google.com/site/machimorig0/#chusinsigaiti

https://sites.google.com/site/machimorig0/#tyusankanti

https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

https://sites.google.com/site/machimorig0/#saigai

https://sites.google.com/site/machimorig0/#saikaihatu

https://sites.google.com/site/machimorig0/#machidukuri

https://sites.google.com/site/machimorig0/#bunzo

https://sites.google.com/site/machimorig0#nogaku

http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

https://sites.google.com/site/machimorig0/#date




https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokeisin


北海道

山形県・岩手県

宮城県

福島県
地震津波原発核毒おろおろ日記(2011~連載)

【震災核災5年目】福島核毒の地に野生動物が高濃度の放射性物質を摂取しつつ生きる2016/03/11

【震災核災5年目】3・10東京空爆を忘れまい、3・11福島核災を忘れまい2016/03/10

東電福島原発事故は浪江町請戸の住民たちを直接に殺していたのだった2015/02/24

東電福島原発核毒バラマキ事件の最悪トバッチリ被災地・飯館村の酪農家の話を聴いた2015/02/23
【福島核毒地帯徘徊9】バス内はいま十マイクロシーベルト車窓の街が溶けて流れる2014/10/27

【福島核毒地帯徘徊8】福島の核毒の地に生きる物の類はどうなるのだろうか2014/10/01
【福島核毒地帯徘徊7】高汚染核毒地帯を通り抜けて富岡町の東電第2原発近くへ2014/09/30
【福島核毒地帯徘徊6】天災と人災の浪江町沿岸部の復興は隣り町に核毒基地が2014/09/29
【福島核毒地帯徘徊5】浪江町ゴーストタウン中心街は震災と核災の2重苦の風景2014/09/27
【福島核毒地帯徘徊4】除染でつるつるに剥ぎ取られる村は本当に昔に戻るのだろうか20140925
【福島核毒地帯徘徊3】核毒に明け渡した飯館村を核毒除去産業が占拠している2014/09/24
【福島核毒地帯徘徊2】見えない核毒が創り出した見えるべきものが見えない風景2014/09/23
【福島核毒地帯徘徊1】当たり前の農家の風景にひそむ不気味さを読み取ろう 2014/09/22


<新潟県長岡市法末集落の震災復興から今日まで>
  2度も震災・4mの豪雪・棚田で米つくり・茅で屋根を葺く
中越山村で茅葺屋根の小屋をつくる2008
  初めての棚田米つくりは集落住民たちの支援で成功
    *********



横 浜
横浜ご近所探検隊が行く<「伊達の眼鏡」ブログ連載中>

【横浜ご近所探検】半世紀前モダンデザイン防火建築帯ビルは生きながら廃墟化へ2017/04/17

【横浜ご近所探検隊】戦後復興期まちづくりの防火建築帯について若い人たちが研究2017/03/24
浜ご近所探検隊】公開空地を公開しないで食い逃げしてる違反ビル二つ2017/03/21
【横浜水上徘徊】寒の船で川巡りして見上げる関東大震災復興橋梁2017/03/01

【横浜都計審】議題16件を3時間で片づけ絵が無くても内容が分る能力委員はエライ2016/06/24
【横浜都計審(3)】特別緑地保全地区が増えるけど北側急斜面地ばかり2016/02/01
【横浜都計審(2)】ふわふわネームと言葉だけで絵がない綱島SST地区計画2016/01/27
【横浜都計審(1)】審議会会長が横浜市長をしかりつけて危うく保留になりそうだった
2016/01/25
計審傍聴③】この住宅過剰時代に公有地を使って大規模開発をする意義はどこに?2015/01/24
【横浜都計審②JFE社宅跡地には超幅広超高層壁状建築が出現するのか2015/01/23

【横浜都計審①】地区計画議案の公的大規模開発の内容がさっぱり分らない2015/01/23
【谷戸の変容】違法建築判決の共同住宅ビルは典型的な谷戸の斜面緑地開発だったが、2016/12/06
【中世浄土景観】横浜金沢の称名寺の伽藍配置軸線の微妙な歪みが気になる2016/12/01

死者の空間と生者の空間のせめぎあいが面白い墓地の景観2016/05/06
MM21地区に結婚式場が4つもできてそんなに結婚する人がいるか2016/05/02
南区新庁舎は歴史継承や環境向上について都市デザインがないただの箱2016/03/16

都市計画決定から2年経っても動いてない大船駅前北地区再開発2016/01/21

横浜駅西口で60年以上も生きる屋台群と20年で消えた東急ハンズ2016/01/13
横浜寿町ドヤ街は新築高層ドヤ建築が林立し周辺地域へも拡大中2015/01/05
鎌 倉
<鎌倉世界遺産談義あれこれ>
https://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/kamakura1005
<鎌倉フォトエッセイ >
大銀杏が消えた風景(2010.05) 
<若宮大路論考>
頼朝の若宮大路-中世の意志の道(道路緑化の文化史的考察1983/03)
<かまくら春秋エッセイ・連載・街づくりを考える>
------------------------------------
鎌倉まちづくりエッセイ集(1993~1998)  

川崎

横須賀

藤沢・平塚・箱根・小田原

【東京駅周辺徘徊その8】東京駅八重洲口開設は十河信二の都計法抜け穴策略にはじまる2017/02/09

【東京駅周辺徘徊その7】戦争直後に登場して5か月で消えた幻のモダン建築八重洲口駅舎2017/01/31

【東京駅周辺徘徊その6】震災復興初代八重洲口駅舎が丸の内駅舎や八重洲橋と比べて貧弱2017/01/19

【東京駅周辺徘徊その5】復興記念館にあったこの東京駅八重洲口駅舎の絵は幻か2017/01/16

【東京駅周辺徘徊その4】八重洲側の駅ビルとその南北のビル群の大変化この30年2017/01/10

【東京駅周辺徘徊その3】駅前の行幸道路でやんごとなきお方が眺める景観の変化2017/01/05

謹賀新年】2017年新春のお遊びは東京は日本橋の景観戯造2017/01/02

東京駅周辺徘徊その2】ナントカランドになった東京駅の歴史について長屋談義2016/12/27

東京駅周辺徘徊その1】東京の丸の内と大手町はやデブデカ超高層おしくら饅頭2016/12/24

【東京・渋谷駅定点観測】日夜どんどん変わりゆく渋谷駅で老人はウロウロ立体迷路2016/11/18

【大岡山花見】願わくば花の下にて春死なむ卯月朔日想い出の地に2016/04/02
【お花見宴会】母校キャンパスの満開桜の下で楽しむ花見を来年もできるだろうか2017/04/06

東京駅開業百年赤レンガ駅舎復元に浮かれて戦災遺構消滅問題をだれも問わない2014/12/21
千代田区丸の内・東京駅復原反対論から考える風景の記憶論考集(ブログ編)(2008/07~)
千代田区丸の内:赤煉瓦東京駅復原反対論考集(サイト編)(1985~)

◆千代田区:敗戦記念日定点観測:金モール軍服長靴の若者がスマホをいじる靖国の夏2017/08/15

◆千代田区:8月15日の靖国神社風景(2013/08)

◆港区:赤プリがボテ太りビルになって東京は超高層建築も次々建て替える時代2016/05/18

◆港区麻布東京路地徘徊:元麻布の谷底街の路地の上に狸の大入道(2013/09)
◆渋谷区神宮外苑長屋談議:2020年東京オリンピック新国立競技場はスゴイ2013/10/
麻布我善坊谷風景今昔未来譚(その1)(その2)(その3)(その4)(2013/07)

渋谷駅20世紀開発の再開発時代(2012.05.08)
丸の内貼り混ぜ屏風の世界・東京駅はそのまま復元してはいけません(2010)
新宿の戦後復興(200810)
東京景観戯造・日本橋、国立・学園通り ・浜離宮庭園、小石川後楽園、清澄庭園(2010)   
墨田区:すみ田風景づくり「墨田区景観形成計画」1990 
墨田区:清澄庭園と震災復興共同店舗付き住宅
新橋:江戸の名園浜離宮に押しかけ”貸景”2003
台東区:浅草の風景・建築という見世物(2010)  
中央区:歌舞伎座の改築2009 
中央区日本橋:有名建築家たちが関った老舗百貨店の白木屋が消えた2001  
国立と鎌倉:景観と財産権のはざま2002   
町田市博物館37年目の訪問(2009)
東京各地:東京風景(ブログ「伊達の眼鏡連載)


千葉県・茨城県・栃木県
今市:徳川家康の日光杉並木・近世の象徴の道(道路緑化の文化史的考察1983)

群馬県・山梨県・長野県



富山県・石川県
剣岳:昔山岳部(2009)   ◆昔山岳部その2(2009)

福井県

静岡県・愛知県・岐阜県
静岡:清水湊を訪ねた(2010.11) 



滋賀県・京都府
   初めての学会論文:東京工業大学卒業研究 ・建築学会発表論文(1961)
京の名刹 法然院の謎ー建築と襖絵の出自を探る(2015)
   大学卒業研究論部鵜の一部をドキュメンタリー風エッセイにしました




<ふるさと高梁の風景>
   まちもり散人の生まれ故郷の高梁盆地へのオマージュを綴り続ける
高梁・美しい故郷に(2012.03)   
高梁とハイデルベルク:異国で発見した故郷 2010                 

<倉敷>

島根県

徳島県
宮崎県

沖縄県

外国旅行の最初は1974年アラスカ経由でヨーロッパ巡回、最近は2011年のネパール、もうこれが最後だろう。その間、北アメリカ、南アメリカ、北東アジア、ヨーロッパ、オーストリアの各地を訪ねた。
でも、旅行記をほとんど書いていない。何回も行っていた頃は忙しかったからだなあ
https://sites.google.com/site/matimorig2x/nepal2011

◆ヨーロッパの旅
スイス:ヨーロッパアルプスは日本の棚田と同じだった(2006)
スイス:アイガー北壁 (2010)
ヨーロッパ各国:ファッションタウンという青い鳥を求めて巡る旅1995
ドイツ高速道路-現代の意志の道 (アウトバーンの自然緑化の文化史的考察1983)
ドイツ:はるかなるベルリン

◆外国あれこれ
タジキスタン:アフガン難民救援の友人(2002)
北京:オリンピックマラソンの風景
キルギス共和国ユニセフ現地事務所代表の杢尾雪絵さんの講演を聴いた2025/11/01



東京駅赤レンガ駅舎の復元をめぐる歴史的建築と都市景観に関する論考・資料集
東京駅赤レンガ駅舎こそは、20世紀日本の悲劇とそこからの復興を体現している貴重な歴史的遺産であった。ところが21世紀の初め、その記念碑の姿を破壊して、戦前の姿にコピー再現するとは歴史を忘却する仕業だった。あの戦後最悪の時にここまで力を入れて巧みに修復し、歴史的建築とモダンデザインの見事な融合を見せ、60年も親しまれた戦後の姿を保全するべきであった。
https://sites.google.com/site/machimorig0/tokyost-syudai

東京駅周辺まち歩きガイド資料2017年5月版:まちもり散人編集(pdf 4MB A4版8p)2017/05/13
現代まちづくり塾まち歩き行事でガイド役を仰せつかって作成した、東京駅、丸の内、八重洲あたりのMAPと変遷史年表など、色眼鏡でみる都市景観の変容の現場

東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド
【4】JPタワーは現代世界戦争時代の開幕記念碑
2017/06/29

【3】空気を売って修復費用捻出「2012東京駅」2017/06/20

【2】「1947東京駅」は米軍への復讐戦だったか2016/06/13

【1】今見る東京駅赤レンガ駅舎は4代目の姿2017/06/02

【東京駅徘徊2016/12~17/01】【1】デブデカ超高層   【2】ナントカランド東京駅
【3】行幸道路 【4】八重洲口大変化 【5】震災復興八重洲幻豪華駅舎
【6】貧弱な震災復興八重洲駅舎 【7】戦争直後幻八重洲駅舎 【8】八重洲口開設秘話

謹賀新年】2017年新春のお遊びは東京は日本橋の景観戯造2017/01/02

【消されゆく戦争の記憶】5月25日の日本の悲惨な記念碑の東京駅をを消してしまった2015/05/24
東京駅開業百年赤レンガ駅舎復元に浮かれて戦災遺構消滅問題をだれも問わない2014/12/21
   建築史家の平井聖先生の講演、建築史を超える文明批評に興味が尽きない
   丸ノ内に三菱1号館、昔に壊したものを再現登場、テーマパークか、歴史文化振興美談か
   中央郵便局を部分保全して再開発か、重文指定して全面保存か、制度ジレンマが見える
   東京中央郵便局舎の改築計画が登場、モダンデザイン建築の記念碑保全の論理と手法
   もしも東京駅赤レンガ駅舎を世界遺産登録するとしたら、、 
   1945年、東京駅赤煉瓦駅舎炎上、苦難の時代に復興を成し遂げた人々
   煙の中から復興をした赤レンガ駅舎にその後に苦難がまちうけていた
   戦災復興から60年の赤レンガ駅舎を戦前形態に復原する計画の意味はどこにあるのか
   狸だって金に換えるのは葉っぱだよ、それをキョウビは空気を金に化けさせるんすかい
   保存か撤去か激しい論争の末1995年8月15日、元日本総督府、現韓国国立博物館が撤去された
   東京駅、三菱一号館、日本橋に景観復原(復元)の思想を問う
   1988年にシンポジウム『赤煉瓦の東京駅保存をめぐって』、学者発言に保全論理の矛盾がある
   2002年9月、シンポジウム『赤煉瓦の東京駅保存、どう残すのか、なにを残すのか』
景観再考ー歴史の景観(PDF) (1992)
   東京駅の保全について国土庁調査の経緯と保存運動のもつ問題点を指摘
   2001年7月に新聞にJRと東京都が東京駅復原に同意したという記事が載った 
   東京駅前に戦前からあった丸ビルが消えた風景
   東京駅赤レンガ駅舎は生きている戦争記念碑、凍結した原爆ドームと大きく違う意義あるところ
   近代以降の日本の都市の資産は、その価値が未評価のまま消滅しつつある
   2005年3月信濃毎日新聞に東京駅復原と三菱一号館復元計画の記事に一言つっこみ
   2003年8月、雑誌「ラピタ」種村直樹氏のエッセイで赤レンガ駅舎復元反対と
   『東京遺産』(森まゆみ 岩波新書)、原風景を大切にといいつつ東京駅赤レンガ駅舎復原を礼賛して矛盾
   東京丸の内の三菱商事・古河・丸ノ内八重洲の3ビル建替て昔々壊した「三菱一号館」を復元とか
   赤煉瓦の東京駅の保全を決定づけた関係省庁による八十島委員会報告全容を公開
   八十島委員会の議事録・東京駅赤レンガ駅舎保存を決める検討はどうだったか
   1988年頃に東京駅周辺総合整備調査の検討資料の一部、80年代後半に何を考えていたか興味深い
   丸の内と東京駅に関する歴史年表、日本のビジネスセンター成立の経緯
【資料】東京駅の風景1987年
   東京駅再開発が世間の大きな話題となっていた頃の東京駅の風景
   開発の大波が押し寄せつつある頃の丸の内あたりの風景
   丸の内の百鬼夜行風景を斜めから撃つ評論集:私家版自家製ブックレット


人間の営みがつくる景観は文化の表現・自然の営みがつくる風景は生態の表現
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

   2020世界運動会の新国立競技場建設計画は神宮外苑の景観を壊すと反対論があるが、
   そもそも神宮外苑の景観はなにを意味して作ったものか、そこから考えてほしいものだ。
   この30年近く孤独なキャンペーン、不幸な戦争の記憶を消してしまう復原に反対

   自然風景の四季折々の変化や人文景観の昔と今の変化を定点観測して愉しむ面白ページ
   妙な風景を見て、これがもしもこうならと、画像をいたずらしたら、見えてくる景観の本質
ネパール:フォトエッセイ「異文化への旅・ネパール風土逍遥」(2012.01)
   カトマンヅ、ポカラ、ルンビにを訪ねて、異文化の風景を考えた
   景観の概念、緑、土木、歴史、建築、街並み、高架、川の民俗
   道路や河川などの都市空間を切り裂く構築物を文化的視点で歴史を探る講演録
   わたしのふるさと高梁盆地へのオマージュ 
 ・道路緑化の文化史的考察1983若宮大路、日光杉並木、高速道路 
   日本や外国のあちこちをあるきまわって、その風景をおちょくるブログ
   東京のあちこちをふらふら歩いて、その風景をおちょくるブログ
   都市景観行政の先頭を行く横浜都心部の港に巻き起こった結婚式場景観騒動の行方は?
   日本はどこにいっても同じような醜い風景、わたしの醜景コレクション展覧会
   棚田と森と集落の風景が美しい山村は中越震災からよみがえった、
   緑に包まれる山村は中越地震で大崩壊、その復興の風景の行く末は?
   生産の緑、生活の緑、生態の緑、一様でない緑の意味を考える
◆景観エッセイ



---------◆まちもり瓢論<中山間地の今とこれから>---------
 中山間地問題については、2004年の中越震災復興支援にかかわったことから関心を持つようになった。
特に山間地では、日本の人口減少時代の最先端で起きている問題に直面していながら、
実はほとんどまともな政策がないことに気が付いた。
一方、地方都市の衰微も著しいが、日本列島全体で人口減少時代に、
地域の人口増加策は現実的ではないだろう。
今やハッピーに地域を閉じる政策が、農村にも地方都市にも必要だ。
https://sites.google.com/site/machimorig0/tiiki-tojikata

   豪雪の山間地は棚田と伝統民家と森林が織りなす美しい風景が四季を彩るのだが、、
   住民たちがハッピーに地域を閉じる政策が日本にはないがそれでよいのか
   中山間地の縮減閉鎖対策を企業のソーシャル・コミュニティ事業として起す策の提案
   長岡市の法末集落、鯖江市の河和田などで地域特性のある伝統文化を活かす地域づくりの例
   都市住民のためのクラインガルテンの逆転発想で閉鎖する農山村住民を呼び込む都市住まいの場を
   未曽有の豪雨災害に襲われた伝統工芸漆器産地の盆地は復興に向けて立ち上がる
   遠目で美しい草原の風景は近寄ると牛や羊の凸凹のふみ跡だらけ糞だらけの農場だった
木喰の風景(2009.04)
   高僧の残した遺産が山梨の山村に静かにいい期続けて潜在する地域力となっている
中越山村で茅葺屋根の小屋をつくる2008


日本の各地に固有の特色を持つ「ものづくり」産業があるのだが、技術革新と流通改革によって、
次第に中央資本の傘下に入って特色を失ってきている。地域の個性のある
まちづくりを、
固有の
ものづくりと連携することで、新たな地域再生を目指して、
「ファッションタウン」(通産省)あるいは「もの・まちづくり」(国土庁)と称する政策を進めたが、失敗した。
https://sites.google.com/site/machimorig0/sabaeft-teigen

■「ものづくり」と「まちづくり」の連携による地域再生

■もの・まちづくり都市の実践



---------◆まちもり瓢論<都市計画審議会を改革せよ>--------
各都市のまちづくりの基本となる法律は「都市計画法」である。都市の大勢の市民が土地を利用しつつも、
生活環境や生産活動に問題が起きないように、それぞれの使い方を規制したり、
適切な使い方に誘導したりする仕組み「都市計画」という社会的ルールを決めている。
土地はその都市計画に沿った使い方をしなければならない。
 この「都市計画」を決める時には、県知事や市長が一方的に決めるのではなく、
その素案をあらかじめ市民に示し、意見を求めて改め、原案を作る。
また原案について市民の意見を求め、その上で「都市計画審議会」の審議で可決されて初めて、
この都市計画が決定する。この都市計画審議会は都道府県や市町村が設けているが、
どうやって審議しているのか、近くの市や県の都計審を傍聴したが、どうもわからないのだ。
 2008年4月、横浜市都市計画審議会の市民委員の公募に応募して運良く当選、
11月から審議会に参加した。2年間やってわかったことは、
まともな審議をしていない、審議能力がないことだ。
ここに都市計画審議会関係の論をまとめて、まちづくりの今後の参考とする。

あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている横浜都計審の実態(要約版2013

あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている(総合版横浜都計審レポート2010)
  ・第1話 各地の都計審を傍聴する
    ・第2話 都計審初出演と生産緑地の不思議
  ・第3話 土地区画整理事業はいまも有効なまちづくり手法か
  ・第4話 附帯意見決議作戦も失敗
  ・第5話 都計審議決はどの程度の法的効力があるか
  ・第6話 都計審はいったい何を審議するのか
  ・第7話 郊外開発誘導型の都市計画は変らないのか
  ・第8話 都市計画マスタープランは時代にどう対応するか
  ・第9話 都市計画審議会活性化のための提言
  ・第10話 横浜都計審つれづれぐさ

横浜都計審:横浜ご近所探検隊が行く(ブログ「伊達の眼鏡」連載)
委員をクビになってからも趣味で傍聴に行ってあれこれと揚げ足取りをして遊んでいる
【横浜都計審】事業が先計画が後から追いかける横浜市の都市計画2014/11/20
【横浜都計審】76か所もある都市計画決定を2時間で審議する超能力委員たち2014/11/18
【横浜都計審傍聴③】住宅過剰時代に公有地を使って大規模開発をする意義はどこに?2015/01/24
【横浜都計審傍聴②】JFE社宅跡地には超幅広超高層壁状建築が出現するのか2015/01/23



https://sites.google.com/site/machimorig0/taikenteki-jutaku

マンション撲滅論①:買ってはいけない7か条】こんな不安定な資産に大借金2015/12/01

「まちもり叢書・街なかに暮す」発刊
……DTP出版の自著「まちもり叢書」の中の一冊で、中心街地論と都心借家居住論を書いている

くたばれ名ばかりマンション
……地震が来たら住宅難民続出の大規模分譲共同住宅:ブログ連載中
【名ばかりマンション広告】高層区分所有共同住宅新聞折り込み販売宣伝を読んであれこれ思った2016/07/19

賃貸借都市の時代へー体験的住宅論2000~2008
……わたし自身が日本の貧困住宅政策の犠牲者だったので、日本の居住政策には恨みつらみがいっぱいある
姉歯大震災の喚起するもの2005~2007
……建築家の性善説はもろくも崩れて性悪説に大転換、そして分譲型共同住宅の危険性もあぶり出した事件
長周期地震波災害-明日来る大地震に備えて借家へ(2010.03)
……大規模な分譲共同住宅(名ばかりマンションは、大地震が来たら大変なことになるよ
片想いの賃貸住宅政策-住宅供給公社よ、もっとがんばってくれ(2010.03)
……自分の主義で選んで賃借住宅に入っているのに、大家の県公社がだらしないったらありゃしない
民主党の都市と住宅政策はどうだったか(2009‐2010)
……民主党の都市政策はなんにもわかってなかった

 

 30年くらい前からわかっていた中心街地問題、経済政策優先で進める都市と住宅政策、中心街地活性化を中心商店街活性化と勘違いした政策が、日本の生活圏を破壊した。中心生活街の再生へとかじを切り替えよ

https://sites.google.com/site/matimorig2x/yokohama-kangai-hukei

前現代期都市建築の遺産価値について―その設計者として―(2012.09)
都市を再生する-都市構造の再編成 (2008)  
生活文化圏としての中心街づくり(2002)
中心市街地活性化問題の背景と周辺 1998~2008
わたしの帰る街を-土地問題の今-2000  
わたしたちは都心に住めるか(1994)
■事例(横浜都心部)
横浜都心「関外」風景の変化を見つめるこの12年2014年2月
横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか(2010)
横浜関内地区戦後まちづくり史(2007)pdf (html版はこちら
横浜B級観光ガイドブック(2010)
■事例(静岡)門前町の盛衰ー静岡の街並み(2010)
■事例(水戸と宇都宮)・タワーの ある風景(2010)
■事例(新発田)同時多発の中心街再生策で5年後が楽しみ
■事例(横須賀)
横須賀-近代が育んだ国際海の手文化都市
横須賀市中心市街地形成史ー成立と施策 ウェルシティ横須賀(建築学会論文)






核毒が降ってくる大おまけまでついた未曽有の災害に何もできずオロオロするだけの日々
再び唱える「福島第1原発を世界遺産にしよう」 (2013.4)
   この惨禍を後世に伝えるためにこの現場を文化遺産に、あらゆる資料を記憶遺産に登録しよう
   チェルノブイリと谷中村に見るような荒廃する森と海が日本に登場するに違いない
大地震災害が日本の高齢化と人口減少社会における変動を大きく後押しして大移動時代がくるだろう
   昭和三陸大津波があった1933年は中国と戦争中、2011年の東日本大震災と世相を見比べる
   東日本大震災のまだなまなましい津波の爪の後を東北太平洋岸部の都市の空中写真で見る

陸前高田市:奇蹟の一本松のレプリカ復元保存はどのような意味を持つのか(2013/06)
名取市北釜地区:復興で仙台・名取都市圏はどう変わるのだろうか (2013/04)
核災3年目(その1)復興計画の向こうにある次の災害への対策は(2013/03)
震災核災3年目(その2)大被災地区を海や森の自然に還す考えはないのか(2013/03)
震災核災3年目(その3)まちづくりとして公営住宅建設を進め居住政策を転換せよ(2013/03)
震災核災3年目(その4)南三陸町の復興を遠くから眺めて(2013/03)
仙台:森の長城で大津波に備える市民プロジェクトが動き出した(2012/11)  
東松島野蒜(その1):自然と人間はどこで折り合って持続する環境を維持できるのか(2012/11)
東松島市野蒜(その2):津波跡の旧市街跡と丘陵新市街はどう連動して復興するのか
石巻:石巻で映画「猿の惑星」の主人公になった眩惑に見舞われた(2012/11) 
長岡市法末集落:震災復興に歩む山村(ブログ連載2005~)



 太平洋戦争で破壊と荒廃の日本の都市は、戦後1950年代後半から次第に復興へと向かった。戦中はアメリカ軍による空襲が、戦後は失火による大火が日本各地の木造都市を荒廃させた。
 とにもかくにも、不燃都市をつくろうと1950年代後半から再開発による都市復興が始まった。
 大火が起きても一定の範囲で焼けどまりするように、線上に耐火建築を配置する防火建築帯造成事業があり、次のこれを面的に街区に広げた防災建築街区造成事業、更に公共施設の道路や駅前広場の整備と不燃建築を一体にして造る市街地改造事業へと進んだ。
 そして都市計画事業として、総合的に公共施設と建築物を整備する市街地再開発事業へと、展開していった。
 わたしはその防火建築帯時代から携わってきて、まちづくりでいろいろなことを考え発表してきた。
https://sites.google.com/site/dandysworldg/zengendai-tosikentiku
新たな都市再開発のテーマ「軽装備再開発」 (2004)
社会環境の変化と市街地再開発事業の新たな方向(2002)
再開発事業における既存建築の保全活用に関する研究(2002)
日本の都市再開発コンサルタント史(1991)
定期借地権とまちづくり-懸念される土地制度(1995)
21紀型まちづくりの跡地利用を(1999)
技術概念の転換を再開発建築の技術問題(1973

都市を造り直す (2007)
書評『都市再生街づくり学大阪発・民主導の実践』(2009.05)
戦後復興街並みをつくった市井の人々書評:初田香成著「都市の戦後」(2011.08)
戦後復興期の都市建築をつくった建築家 小町治男氏にその時代を聴く(2014.01)





渋谷区神宮外苑:新国立競技場・神宮外苑・五輪運動会騒動論考集(ブログ編)(20131/0~)
2020年オリンピック主会場新国立競技場計画の神宮外苑に再開発等促進区の地区計画が定められたが、これは都市計画としてはなかなかの問題をはらんでいる。建築家はここに目をつけるべきだよなあ。
都市計画入門書「初めて学ぶ都市計画」(2009年 市ヶ谷出版社 代表執筆者:伊達美徳)
    学生はもとより、まちづくりに関心のある市民のために、都市計画の本的な考え方と制度を分りやすく編集
https://sites.google.com/site/machimorig0/hajime-tosikeikaku
くたばれ自動車     ◆ブログ「くたばれ乗用車」
   本当に電気自動車は有効か、肥大化した自動車産業を見直せ
国土形成計画2007を読む(2008.04)
伝統文化を生かした地域再生の可能性(2009.08) (htm版) PDF版(4MB)
   人口減少時代になって住民たちがハッピーに地域を閉じる政策が日本にはないがそれでよいのか
地域の持続可能とはなにか(2009.02)
1984年から2003年まで20年で地域でなにが変わったか(1984,2003)
-----まちづくりNPO論集-----
第1回全国まちづくり大会は大成功だったがー草の根まちづくりはこれからら(2005)



建築家山口文象と彼がおこした設計集団RIA


 建築家・山口文象の人生は、20世紀とともに歩みだし、関東大震災が彼を建築運動家として、呱々の声をあげさせた。ドイツでW・グロピウスに学んで帰国後は、新進スター建築家として実に順調でしたが、戦争が総てを奪った。
 戦後は、運動家と作家を止揚して設計組織RIAを起こして再出発、初めは庶民住宅の設計を中心に、後には都市の計画と設計へと展開をしていく。
 日本近代建築史の特異な体現者の生涯と、彼が創設したRIAの初期を追う。

資料】山口文象 総合年表(2014年7月改訂版)


最近掲載記事>2015/10/15現在

     山口文象が滞欧した1930~32年頃のベルリンにおける世情とグロピウス事務所のこと 
コラム:山口文象とブルーノ・タウトの出会いータウトの日本日記から(2015/08)
   1933年から1936年まで日本にいたタウトとその間の山口文象との意外な関わり方
◆1925・住宅地に建てられる店舗(「店舗及住宅」1925年12月号)
◆1938・民家風の一住宅 絵と文(「住宅」1938年?月号)
◆1953~60・RIA初期の建売住宅(3Kハウス、白雲観光、近鉄学園前モデル住宅、登美が丘ラムダハウスほか)


Ⅰ.山口文象(+初期RIA)の建築作品と活動
・1902~20少年時代
・1920~23逓信省時代
・1923~30
離陸の時代
・1930~32ヨーロッパ遊学
・1949~78戦後詳細年譜
 
Ⅱ.山口文象(+初期RIA)主要建築作品等 
https://sites.google.com/site/dateyg/bunzo-archives-1/1923sousya
1923~30創宇社建築会
1924~34橋梁デザイン
1924~27分離派建築会
1926東京朝日新聞社社屋(東京・中央区)
1927日本橋白木屋(東京・中央区)
1927山崎商店(処女作)
1931菊池一雄アトリエ(東京世田谷)
1933小泉八雲記念館(松江)
1934北鎌倉の茶席(旧関口邸・現榛澤邸・鎌倉)
1935小泉八雲図書館(富山)
1935山田智三郎邸(鎌倉)
1936梅月堂(山形)
1936番町集合住宅(東京・麹町区)
1936小林邸(東京・大田区)
https://sites.google.com/site/dateyg/bunzo-archives-1/1936kurobe
1936黒部川第二発電所、小屋平堰堤等(富山県宇奈月)
1936前田青邨邸(鎌倉)
1936山崎発電所及び早川取水堰堤(箱根、小田原)
1939F邸(東京・大田区)
1940山口文象自邸(東京・大田区)
1940林芙美子邸(現・林芙美子記念館、東京・新宿区)
https://sites.google.com/site/dateyg/bunzo-archives-1/1950kugahara
1949・総同盟会館・全繊同盟会館(東京港区・青雲荘の隣り)
1950久が原教会(東京・大田区)
1953~66RIA1953~66
1953~60・RIA初期の建売住宅(3Kハウス、白雲観光、近鉄学園前モデル住宅、登美が丘ラムダハウスほか)
1954~88・神奈川大学横浜キャンパス(横浜)
1959大森教会(東京大田区)
https://sites.google.com/site/dateyg/bunzo-archives-1/1971zenojidera
1959朝鮮大学校(小平)
1954~88・神奈川大学横浜キャンパス(横浜)
1964新制作座文化センター(八王子)
1971是の字寺海竜院(岡崎)
1973平安教会(京都)
1973町田市郷土資料館(現・博物館、町田)

Ⅲ.山口文象(+初期RIA) 著述・対談・講演
1924・制作する心(「分離派作品集第三」)
1925・創宇社建築展(「マヴォ」第7号)
1925・住宅地に建てられる店舗(「店舗及住宅」1925年12月号)
1927・橋を語る
(「工芸時代」9月号)
1928・Internationale Neue Baukunst
ヒルベルザイマー著の翻訳「アトリエ」9月号)
1929・明日の建築へ
(「アルト」4月号)、・新興建築について(「近代生活」1929.12月号)

1928~30・論文三部作
1932・欧州建築夜話(「建築科学」11月号)
1933・1933年を回顧する
(「新建築」12月号)
1935・明日の住宅は?
(「住宅」1月号)
1936・堰堤随感
(国際建築9月号)
1938・ブルーノ・タウトの死
(「セルパン」1938.3月号)
1938・民家風の一住宅 絵と文(「住宅」1938年?月号)
1946・『集合住宅の記録』(ブルーノタウト『Siedlungs-Memoiren』1933翻訳)
                 (講演記録1948年2月8日 新日本建築家集団歴史研究部会報告 東大建築家教室にて)
1949・講演・創宇社建築会について(明治大学講堂にて)
1952・我々の問題としてのローコスト住宅(「新建築」10月号)、・朝日住宅相談室(「婦人朝日」連載)
1953・住宅志言(「新建築」11月号)、・住宅(朝日新聞社)
1954・座談会・庶民住宅をどうするか
(「新建築」4月号)
1955・昨日・今日そして明日へ(「新建築」10月号)  ・RIAレポート  
    ・
鼎談・戦前から戦後へ(山口、三輪、植田「建築文化」1955.9))
1956・RIAレポート
1957・家具はだれのものだ
(建築文化3月号)
1962・対談・都市計画にヒューマンスケールを
(川添登「建設ニュース6月号」) 
    ・対談 戦前戦中戦後
(「建築」1962.6月号)、
       ・ハイマートローゼ(「室内」1962.7月号)、
       ・RIA特集(「建築」1962.6月号)
1964・芝居小屋(「建築」1964.3月号)、・前衛建築家の宙かえり
(「新建築」1964.6月号)
1966・プランニングにおける思想性(「新建築」1966年3月号)
1967・対談・下町かたぎの建築家
(日本短波放送、海老原一郎)
1968・思想と現実の狭間における建築家の意識(「都市住宅」12月号)
1969・
ワルター・グロピウス(「建築家」1969 秋号 日本建築家協会)
    ・座談会 分離派・中央電信局・山田守
(「建築記録中央電信局」1969)
1971・
座談会:建築と演劇(「現代建築家全集11:山口文象とRIA」三一書房)
1972・
講演・建築はどうなる(「建築家」1972年夏季号 日本建築家協会)
    ・講演・建築学生は何を学ぶか
    ・対談・山口文象1929-1932(「近代建築の目撃者」佐々木宏1977)
1974・対談・「生活空間の創造」ワルターグロピウスについて
(「建築雑誌」1974.11)
1975・対談・兄事のこと
(「建築をめぐる回想と思索」長谷川尭1976)、
    ・対談・建築を創る(JIA会館にて 聞き手:佐々木宏)
1978・地域に根をおろした建築を(「建築士」)
1978追悼(植田一豊 1978年6月1日 山口文象葬儀)

Ⅳ.各種論考・紹介・資料
     山口文象が滞欧した1930~32年頃のベルリンにおける世情とグロピウス事務所のこと 
コラム:山口文象とブルーノ・タウトの出会いータウトの日本日記から(2015/08)
   1933年から1936年まで日本にいたタウトとその間の山口文象との意外な関わり方
●コラム:未来が明るかった頃:奈良の西郊にできたモダン建売住宅・その1その2その3その4(2015/03)
     1956年、奈良西郊の近鉄あやめが池地区で住宅博覧会開催、山口文象はモダンコンクリ建売住宅を出展
コラム:山口文象設計の総同盟会館・全繊会館を“発見2014
   1936年に建った青雲荘の隣りに戦後1949年に建った労働運動の拠点の施設
   近代日本の社会主義出発と労働運動拠点の設計はコンドルから山口文象に引き継がれた
   山口文象自邸は今はピアニストの子息が住み、春と秋にサロンでピアノコンサートを開く
   1936年、日本労働運動指導者・松岡駒吉は設計者としてなぜ山口文象を選んだか
   2014年5月27日、友愛労働歴史館での講演に使用した画像
   東京都港区の芝にある同じ敷地内に、戦災で焼けるまで隣あって並んでいた対照的な二つの建築
●コラム山口文象90年前の橋の設計図:新宿地下広場で土木学会百年記念展覧会2013/11/23
   山口文象が起した「住宅のRIA」から「都市のRIA」への大転換と建築家の職能新展開への論考 
   山口文象たちが1953年に創設したRIAは2013年には60年,記念誌を刊行
   1931年に建った彫刻家・菊池一雄のアトリエは、山口文象がまだ無名時の設計の木造モダンデザイン 
   このサイトに掲載している山口文象論考の中から厳選して自家製DTP本を作った
   1936年は山口文象のピークの年、山形市七日町に梅月堂がモダンな姿で登場
   観光地箱根の玄関口あたりにある山崎発電所と取水ダム
   東京中央郵便局が改築されるが、原設計者は吉田鉄朗ではないと山口文象は異論
   建築家小町和義氏は山口文象の戦中戦後をよく知る、山口は本当に戦争に加担しなかったか
   山口文象とその時代略譜、1963年に建った演劇集団の根拠地の建築群は今、
   モダニズム旗手建築家は戦争で逼塞、戦後の再出発から終焉までを克明に追う
   建築家・山口文象の建築・ポスター・家具等(抜粋)のデザイン一覧 
   建築家・山口文象と初期RIAを研究する人のための文献資料等の表題一覧 
   山口文象・植田一豊・三輪正弘・近藤正一らによる各種論考、最近のRIA出版物まで
   「新建築に於ける唯物史観」、「合理主義反省の要望」、「新興建築家の実践とは」
   1982年「建築家山口文象人と作品」(RIA)を上梓、21年ぶりに新資料による評伝を出版
   創宇社建築会創立メンバー竹村新太郎氏が語る近代建築運動の現場
   「住宅のリア」の時代のRIAが取り組んだ戦後庶民戸建て住宅設計は400軒を越えた
【評伝】山口文象(2003年版)
   大工棟梁の家に生まれ助走、離陸、飛翔そして止揚と建築家の道を行く
   時代そのものがまだ若かった戦後、山口文象率いるRIAが森ビルの第1号を設計したが、、
   創宇社建築会をおこして近代建築運動にまい進した二人の軌跡
   自然の中の造形にかかわったデザイナーとエンジニアたち
   自然との調和ではなく黒部峡谷美と対峙する建築。表題コラム他にも多数。
   松江と富山に小泉八雲ゆかりの建築、東京に林芙美子邸、両作家と山口の接点は?

後列:三輪正弘、石関、上平、(坂根弟)、北島道生、田中、福井稔、伊達、近藤正一、山家啓助、鳥飼勢三、
中列:北住、水口禎、坂根良朗、石村勇二、山澤、富永六郎、
前列:植田一豊、(池辺陽)、山口栄一、山口文象、稲地一晃、樋口金治
初期RIAメンバー 1962年山口邸でのRIA10周年記念パーティにて カッコ内はRIA外

●関連する外部リンク
システムを設計する建築家 近藤正一とRIA (WEB「建築討論」2017年6月号 日本建築学会)




 わたしの趣味の能楽鑑賞は、1992年春から観世流シテ方・野村四郎師に謡を習いだしたことから始まる。この師匠はまことに教え上手で、曲目の趣旨や演者として事実も語ってくださる。能楽を観る興味が一段と深まる。わたしはそのうちに謡稽古は舞台を観るための手段のようになり、一時は毎週のように観ていたものだ。今は能楽もちょくちょく見るが、時には芝居なども見るから、舞台偏見鑑賞作文を書き連ねる。

【銀座観世能楽堂】超便利になったが地下3階しかも狭くなって閉所恐怖症には苦手2017/05/06

【オペラ見物】モーツアルト「魔笛」を勅使河原三郎演出で観てきた2017/03/18

【能楽を観に】傘寿となった人間国宝・野村四郎が演じる隅田川を観てきた2017/01/27
【能「六浦」】野村四郎が舞う称名寺の楓の精がつくりだす能の音と姿の構図の美2016/11/28
能役者・野村四郎が人間国宝に、兄弟3人そろって人間国宝とは野村家はすごい2016/07/16
・大阪傾奇き建築は村野藤吾ファサードを隈研吾が腰巻コピー継承する現代遊郭その22016/04/06
能「仲光」を観て演技は素晴らしいがストーリーに違和感があった2016/02/20

歌劇「オテロ」を観てきたが実は歌劇「イアーゴ」だなこれは2015/03/23
琉球の古典芸能の組踊をみて現代の沖縄問題をつい考えてしまった2015/01/19
能「鉄輪」蝋燭能でみたが暗くて目が疲れて眠くなった2014/08
能「檜垣」の登場人物にも演者にも観客にも老いを重ねて観てきた2013/12





プロフィル(顔写真と略歴)

◆仕事 など
伊達計画文化研究所(1989設立~2006.7廃止)

◆卒業研究論文(東京工大藤岡通夫研究室)
 ・遺構による近世公家住宅の研究(大学卒業研究論文1960)
   東京工業大学理工学部卒業研究の生まれて初めての論文
                                 http://goo.gl/xP4RD4
   上記研究の一部を日本建築学会に論文発表(1961)
 ・京の名刹 法然院の謎ー建築と襖絵の出自を探る2015)
   上記論文の一部のドキュメンタリー風エッセイ

◆身辺いろいろ
白内障手術一部始終日記(2012/09)
   わが身体に初めてメスが入った手術体験記
思い出エッセイ「杖」  にわか重病身障者は「誤診」だった(2003~06)
   大腿骨頭壊死症なる不治の難病に罹ったが、奇妙なことに自然治癒した

津波と戦争そして原発ー1933年と2011年の日本(2011.08
   かつて日本が中国と戦争を始めたころ大津波が東北地方を襲った。2011年の津波時と比べてみたら、、。
思い出エッセイ「少年の日の戦争-母のための小さな自伝」
     敗戦は8歳の時、その日からなんだか奇妙な出来事が身の回りにあった
神主通信兵伊達真直の手記を読み解く「父の十五年戦争 (2010・04)
   満州、日中、太平洋の各戦争に3回とも兵役についた父は、奇跡的に3度とも無事に戻ってきた。

伊達ファミリー・アーカイブス(ファミリーのみ公開)

since20140725   local アクセスカウンター

Ċ
まちもり散人,
2014/07/27 20:22
Ċ
まちもり散人,
2014/07/27 20:22
Ċ
まちもり散人,
2014/07/14 4:11
Ċ
まちもり散人,
2014/07/13 3:31
Ċ
まちもり散人,
2014/08/07 3:41
Ċ
まちもり散人,
2014/07/18 6:05
Ċ
handa.pdf
(206k)
まちもり散人,
2014/07/12 4:02
Ċ
まちもり散人,
2014/07/23 0:35
Ċ
まちもり散人,
2014/07/14 5:04
Ċ
まちもり散人,
2014/07/14 4:56
Ċ
まちもり散人,
2014/07/07 23:15
Ċ
まちもり散人,
2014/07/07 23:18
Ċ
まちもり散人,
2014/07/07 23:22
Ċ
まちもり散人,
2014/07/07 22:58
Ċ
まちもり散人,
2014/07/07 23:01
Ċ
まちもり散人,
2014/07/07 23:12
Ċ
まちもり散人,
2014/07/06 5:02
Ċ
まちもり散人,
2014/07/18 1:39
Ċ
まちもり散人,
2014/07/14 5:07
Ċ
まちもり散人,
2014/07/24 3:39
Ċ
まちもり散人,
2014/07/11 5:04
Ċ
まちもり散人,
2014/07/16 5:20
Ċ
まちもり散人,
2014/08/07 4:06
Ċ
まちもり散人,
2014/07/01 5:14
Ċ
sensou.pdf
(186k)
まちもり散人,
2014/07/14 4:06
Ċ
まちもり散人,
2014/07/02 21:41
Ċ
まちもり散人,
2014/08/03 23:37
Ċ
まちもり散人,
2014/07/16 6:26
Ċ
まちもり散人,
2014/07/16 6:20
Ċ
まちもり散人,
2014/07/16 6:32
Ċ
まちもり散人,
2014/07/17 0:13
Ċ
まちもり散人,
2014/07/08 20:20
Ċ
まちもり散人,
2014/07/31 1:34
Ċ
まちもり散人,
2014/07/27 21:22
Ċ
まちもり散人,
2014/08/04 22:37