オーストラリア・リゾート視察1988

オーストラリア旅行 1988年8月9日出発~20日帰国

目的:横須賀浦賀マリーナ開発計画関連先進地視察

参加:石原団長、開発事業者、宮川、伊達

8月9日17:45成田発~10日メルボルン―ブリスベン―ロックハンプトン―カプリコンイワサキ~11日イワサキリゾート滞在~12日ロックハンプトン―ブリスベン―ヘイマン島~13日ヘイマン島滞在~14日ハミルトン島~15日ゴールドコースト~16日ゴールドコースト~17日ブリスベン~18日シドニー~19日シドニー~20日6:40成田帰着国

オーストラリア・マリーナリゾート視察報告

伊達美徳

(帰国後編集した報告書の担当執筆部分)

●シドニーオペラハウス

いやまったく、建築の造形に感銘を受けたのは本当に久し振りだ。しかも現代建築なのだから、自分でも不思議だ。建築に感動するなんてハズカシイことは、この前は一体いつ、どこであったっけ、思出せないほど若いころか。

その「シドニー・オペラハウス」は、建築を志した者が一度は見たいと思いながらも、例えばパルテノンの様な古典でもなければ、あるいはロンシャンの様な巨匠の作品でもない、しかも南半球にあるので、なんとなく“マイナーなメジャー作品”という妙な地位にあるのだ。

シドニー湾の景観に見事に納まった造形は、アートとして確実な地位を築き、そしてそのプラニングの実に明快なことはアーキテクチュアとしての完成度を見せている。

最近ある仕事で、この国から来た学者グレゴリー・クラーク氏にあったことがある。その話に、パリのエッフェル塔、ニューヨークのエンパイアステートビルのように世界の代表的な都市にはその象徴となる建築があり、シドニーではオペラハウスである、と言われたのであった。そして東京にはその様な建築が無いとも指摘された。

この現代建築をこの国の人は誇りにしているのだ。いくら新しい国だといっても今年は 200年祭をやっている位だから、それなりに古い名建築だってあるのに、オーストラリアの観光パンフレットの巻頭をこれが必ず飾るのである。

一夜をここでオーケストラに酔ったが、多分に建築の空間のなせる技に酔ったのでもある。建築が自然とともに景観を築くべきことは、頭と口では心得ていても、実際に眼でこれを堪能したことはこの歳になるまでなかったといってよい。

ウォーターフロントの開発というような言葉がつかわれるはるか以前に、ここにはその美しい例があった。言葉でその美しさを言い表すほどの筆の力は到底持っていない。

ヨットの白帆の形を模したとか、これが当初のヨルン・ウッツォンのデザインよりも厚ボッテリしたとか、当初予定の工事費も工期も大超過して建築家はクビになった、等々の事件は建築評論好きに言わせておけばよい。

そんなことはあの美しさを見れば、もうどうでもよいのである。“美はすべてを赦す”と誰かが言ったような気がする。

●サーキュラー・キイ

ところで世界の港の産業構造が転換し、海のつながるオーストラリアの港でも変化は起きている。シドニーでもシティー周辺の港湾であるウォーターフロント地区の再開発が興味ある展開を見せている。

シティーの北端の「サーキュラー・キイ」は、今やシティーの海の玄関である。この入江の東口にオペラハウス、西口にはハーバーブリッジがあり、いかにも港らしい景観を形成している。

ここはシドニーの客船埠頭で、湾内を巡るのキャプテン・クック・クルーズの観光船の出入りで賑わい、巨大な外航客船も横づけされている。久し振りに生きた港に出会った。かつての横浜山下町の雰囲気をもっと都市的にしたようである。港とは、日本でも昔はこのようなものであったと、思出させてくれる。

海の玄関としてのリニューアルが怠りなく進められているようで、波止場特有のうらびれた所などまったく無くて、清潔で楽しい施設が整備されている。

●ウォルシュベイ

ここからハーバーブリッジを西にくぐると、古いフィンガータイプのピアーが5本突き出ている「ウォルシュベイ」である。ここはもう完全に港湾機能を完全に失っており、商業、文化、居住等へ機能転換する再開発を、ピアー上や背後地の倉庫や事務所等の古い建物の保全を図りながら進めている。

それらの内、最初に東端のピア1がニューヨークSSSMのピア17のような商業的転換をしたが、立地条件が悪くて成功とは言い難い状況だそうである。

中程のピアーでは、木造倉庫が音楽と演劇のワークショップにリニューアルされていた。公立のシドニー・シアター・カンパニーとミュジック・カンパニーということで、小劇場、練習場、舞台美術製作場、研修所等が設けられている。

木造の小屋組を生かして、なかなかに面白い空間構成であり、使い方も興味深い内容である。これは、今後のこの地区全体の再開発に文化インセンティブとして有効に働くに違いない。

その他のピアーと後背地の再開発は、丁度私達がおとずれた翌日が事業コンペ入選者の発表の日ということで、案内して下さったワールドスクエアのデベロッパーのイポガーデングループがその有力な候補であるらしかった。

イポガーデンの提案は、ウォーターフロントの環境を生かしてヨット係留のできるコンドミニアムを中心にした超高級住宅地へ転換する、という内容だそうである。

後背地にはクリークを掘り込んで、新しい水辺環境を作り出そうとさえしている。さて、コンペの結果はどのようになったのであろうか。

ピアーの上屋を保全しての再生・再開発は、シアトル、ボストン、サンフランシスコ等アメリカで積極的に行われている。実際に現物の建物を見ると、これが保全に値するのだろうかと思われるような、どうと言うこともない意匠の朽ち果てた木材のボロ小屋である。

だが実は、港の景観を永く育ててきたその建築群とワーフの構成に、保全すべき重要な鍵があるのだ。単体としての保存の論理ではなく、景観として風土としての総合的論理に立ってはじめてまちづくりに保全の論理が生きる、と感じたのであった。


●ダーリングハーバ-

ウォルシュベイをさらに西に行けば、「ダーリングハーバ-」である。この港は深く南に切れこんだ入江でシティーの西岸を形成する。

この南部の湾奥は、かつては流通港湾としてオーストラリアでも最も栄えた所であった。

だが1970年代から産業構造の変化によって、この港湾機能も衰えてしまって、シティーのそばにありながら廃墟となっていたのである。

1984年からニューサウスウェールズ州政府の主導で再開発が行われることになり、ダーリングハーバーオーソリティーが組織された。54ヘクタールの広さに及ぶ大規模開発であり、民間企業の参加も求めた。

整備内容はかなりハイレベルである。コンベンションの基盤施設となる会議場と展示場を備え、マリタイムミュージアムと水族館の文化インセンティブの仕掛け、そしてアミューズメント性豊かなショッピング、レストラン、エンタテインメントセンター、カジノホテル等を現代建築の造形で揃える。

そして海とハーバーサイドに思いきった規模でのランドスケープデザインがなされている。湾を横切る大木造橋の保全、水際プロムナード、緑地公園、チャイナガーデン等の豊かなオープンスペースの上にシティーの高層ビル群のスカイラインがひろがる。

ここでは特に既存の建築の保全はなされた様子は見られない。全体に建築の意匠は抑制がききながらもモダンデザインで好ましいものである。色彩や高さにデザインコードがかかっているように見受けられた。

ハーバーサイド・フェスティバル・マーケットと呼ばれるショッピングビルは、ボルチモアのインナーハーバーの2棟をくっつけて、その中間にバッテリーパークのウィンターガーデンをはめこんだようである。これもB・トンプソンなのだろうか。 まだ全部はオープンしていないのだが、なかなかの活気があったのは、エキジビションがそばで行われていることもあるだろうが、魅力ある開発であることも確かである。

シティーから徒歩でも行けるし、モノレールにもネットワークしている便利な立地であり、その上6000台の駐車場を備えており、今後はシドニーの新しい顔となるに違いない。

総じてシドニーの港湾再開発のデザインは、世界のウォーターフロント開発の面白いところを上手に寄せ集めた感がある。そういうのは日本人が大得意なやり方と思っていたのだが、なんとオーストラリア人に先にやられてしまった。

もちろん、オペラハウスだけは世界が真似するものとなるはずだが…。 (19881101記)

●グレートバリアリーフ・トリップ

窓の向こうは地球の果てまで真青な海原、そこに白い帯がはるか水平線まで流れているのが見える。これがあの2000キロメートルに及ぶ世界一の珊瑚礁グレートバリアーリーフか…。見おろすと、これは波打つ一面の珊瑚の海だ。

ヘリコプターはいまやっと下降を始めた。ハミルトン島を飛立って50分以上のフライトで耳がおかしくなった頃、眼下の珊瑚海に点のように浮ぶヘリポートがやっと見えてきた。

その前の夜はフィッシャーマンズ・マーケットで山盛りのロブスターに堪能したので、この日は体を動かすべしと、ホテルのロビーでアクティビティデスクに寄る。

日本語を高校で勉強したというチャーミングな女性スタッフが、なんと日本語で黒板にアクティビティ案内を書き連ねている。

初心者用からベテランまで、陸上から海中まで盛り沢山の活動が用意されている中に、ヘリコプターによるグレートバリアリーフ・トリップというのあった。

私はこれまで未だヘリコプターに乗ったことがない。この際、大珊瑚礁とトンボ飛行機とを同時に初体験したいものと思ったが、ひとりでは怖い。幸いにして渡辺、宮川そして竹居田のお三方が一緒に行かれることになった。

ヘリコプターは6人乗りで、私たちの他には若い同邦人のカップルが肩よせあって幸せそうである。新婚旅行はいまやオーストラリアの時代だそうだ。

このふたりが新婚かどうかはどうでもよいが、なんとスキューバ・ダイビングの道具を一式持っている。海外旅行も見る時代はすぎて体験する時代にになったようだ。

ヘリポートに6人をおろすと2時間後に迎えに来るといってヘリは飛びたって行く。 100メートルほど離れた所にあるこれも人工浮き島からモーターボートが迎えにやってきた。

浮き島はいわば珊瑚礁のクラブハウスのようなもので、20坪ほどの板張りの上に小さな物置きのごとき小屋とベンチがあるだけで、いたって殺風景である。あの大珊瑚礁はどこにあるのか覗きこんでも見えない。

大海原の真只中に客はわれわれ6人だけ、大男が3人よくきたと出迎えてくれる。ヤングカップルは早速にアクアラングをつけて海に潜っていく。さて、中年4人組は何にも見えない海の上でこれから2時間どうしよう、大男にたずねると先ずサブマリンに乗れという。

見れば背の高い塔のようなものがある白い船が横づけされている。潜水艦にしてはとても潜れそうもない形だ。乗れば階段を下に下にと導かれて船底に至り、これは回りが全て透明ガラスで海底がまる見えだ。わかった、潜るのは船ではなくて乗った人間の方であった。

やがてくぐもるエンジン音で動きだせば、これはもう白、赤、青、黄等の色鮮やかな龍宮城の世界が周りに展開していく。珊瑚と熱帯魚の向う一面の花園が怪しげにうごめく。ヴィーナス誕生の巨大な貝が口を開けている。

初めての世界に4人は“アーッ、スゲー”“キャー、でっかい魚”“ヒャー、美しい”等と非文学的に感嘆詞を発するばかりである。全く絵にも描けない美しさとはこのことか、まるでテレビの中の世界だ…ますます詩的でない。

それにしてもこの美しさは只事ではない。本物だろうか。もしかしたらこの船はわれわれに映像を見せているのではなかろうか。エンジン音のテープを聞かせながら。

ひと回りしてサブマリンを出れば、これはもうなんとしても自分の体でもって確めなければならない。大男にそう言うとシュノーケルと足ひれを貸してくれる。ついに念願の南太平洋に身を浸すとやはり水は塩からいのであった。

ついに見る。浮き島から15メートル程のところ、眼の下1メートルにその世界はひろがっていた。巨大なスカイブルーの魚がゆっくりと珊瑚礁の下に潜り込む。魚群がネオンの輝きで流れ模様となる。珊瑚の合間で波にゆれうごくのは巨大なイソギンチャクか。それにしても色も形もあまりに派手好み。時を忘れて珊瑚も海にうつ伏せに浮んで、シュノーケルから荒い息をフーフー……。

やがて浮き島にもどれば、かのカップルも上っている。聞けば沖縄でも珊瑚礁に潜ったことがあるという。日豪の比較を問えば、日本の海の方が珊瑚も魚も可愛らしく繊細だ、という。自然の仕組みは海の中まで固有の風土性をもっているものであるか。

4人とも初めての美の光景、豊かな海の世界を覗いた満足感にひたって、ゆったりと揺れる南海の浮き島にくつろいでいれば、にわかにあたりが賑やかになる。

ふりかえると、巨大なカタマランの遊覧船が近づいてくる。アクテヴィティのメニューにあったクルージングによるグレートバリーリフ・トリップが今着いたのだ。ヘリよりもかなり前に出発したはずだ。この時間の差が料金にも表れている。船は70ドル(約8200円)で、ヘリでは185 ドル(約2万円)である。

横づけになると、ゾロゾロ客がおりてくる。日本人(東洋人)も多くいる。家族づれの子供のはしゃぐ声で、先程までのある種の気だるい世界が急変した。早速にサブマリーンに乗り込んでいる。

われわれは逆にカタマランに乗込んでいって、ビールを仕入れてきた。こころよい亜熱帯の冬の陽ざしを浴びながら飲むビールは格別であった。

オーストラリアはビールの国だというが本当にうまい。その代表的ブランドはスリーエックスとフォスターズだが、フォスターズが旨いとこればかり飲んでいた。

一度、ホテルの和食レストランでキリンビールを注文した。久し振りとあおれば、これがなんとまあ水っぽい味で、同席の宮川氏も妙な顔をしている。だが帰国してから飲む国産ビールは別に水っぽいとも感じない。あれは気候のせいだろうか。 帰りのヘリも無事に飛んで、楽しいトリップであった。これは第1級のリゾート・エンターテンメントであった。 (19880925記)


●サンクチャリ・コウブ(SANCTUARY COVE)

サンクチャリ・コウブはゴールド・コーストの都心から車で北に15分、ブリスべンから45分のところにあり、ニュータウンといってもよい大規模な開発である。パンフレットにはリゾート・コミュニティーという言葉を使っている。

予めおことわりしておくが、われわれの視察は時間もかぎられていたのでヒアリングもしていないし、ほんの一部であるMARINE VILLAGE地区を見ただけであった。したがってこの小文は、パンフレットの内容の一部紹介と、眼で見ただけの個人的感想である。1979年から開発に着手して、まだ開発中であるが、視察したマリン・ヴィレジ地区はほぼ完成しているようで、ハーバーに面した商業開発はなかなかの賑わいをみせていた。さすがに観光客らしき日本人は見えないが、われわれと同じような視察の一行がいた。

マップをみると開発地区の北西の臨海ゾーンは、この地方に特有の海岸地形であるラグーンをハーバーに活用してウォーターフロントの住宅地、商業地、ホテル、ビール醸造所そしてマリーナを配置する。これに対して南西の内陸ゾーンは18ホールのゴルフコースが二つと各種のスポーツ施設がある。

全体に低密度、低層の開発で,植生に留意している様子も見える。この開発の建築家 (Executive Architect)はカナダのHULBERT GROUP である。 マリン・ヴィレッジは当開発のセンター地区に相当するところである。100 店舗以上の各種の商業施設とマリーナで構成された典型的なウォータフロント開発である。

ここに隣接してリゾートホテルとしてハイアット・リゼンシーがあり、林の中に低層で5棟に分れて建っている。ホテルのルームレイトは300 ~400 ドルとなっている。

2階建てにデッキをめぐらしてロフト風というかコロニアルスタイルのデザインの町並を造る手法は、どこかで見たような意匠が渾然一体となっている。ボルチモア・インナーハーバーがあればバンクーバー・グランヴィルアイランドもあり、ニューヨーク・サウスストリートシーポートもある、と言った具合である。

この後でみたシドニー・ダーリングハーバーもそうであるが、オーストラリアでは世界のモデル的開発の集大成をみる観があった。多分、次は日本でそうなるだろう。

単なるリゾートではなく定住に対応したかなり高級な開発であり、1500戸の戸建てとテラスハウスは価格30万~80万A$、一等地では1000万A$にも及ぶ結構な高さである。(もちろん日本と比べたら安い)

マリン・ヴィレジのハーバーに面する住宅群(Harbourfront Villa)は景観的にもすぐれた意匠で、カリフォルニア調というかゴールドコースト調というべきか。白を基調とした住戸はそれぞれにヨット係留の船着き場(jetty) を備え、水辺に面するデッキテラスで景色を満喫できるプランは素晴らしい。

ゴルフ場に面する住宅は、これまた立派なプールと芝生の庭をもって、各戸にゴルフカートの車庫がついている。つまり、家からカートに乗ってそのままゴルフ場にでるのであり、買物にもいく。このカートも家の値段に含まれるという。

セールスポイントにセキュリティーをあげていることが注目される。24時間のセキュリティーサービス体制を備え、例えば住宅街区にはそこの定住者か特に認めた者しか入れないようにしている。

この開発主体は、ディスカバリ湾開発会社(DISCOVERY BAY DEVELOPMENTS Pty Ltd,)であり、その役員は代表、専務、営業・販売担当、財務・管理担当、開発担当そして飲食担当で構成されている。

住宅開発は14社の建売り事業者が入っているが、その建築が勝手なデザインにならないように誘導する機構が働いている。サンクチャリ・コウブの住宅開発の建築申請をコントロールしている機関は建築審査委員会(the Architectural Review Comittee)であり、建売り事業者の建築申請は、通常の手続きとして州の審査会に申請する前に、この建築審査委員会で承認を受ける仕組みになっている。

1985年に制定した“サンクチャリ・コウブ条例(Act) ”によって開発の全体フレームは定められているが、建築審査委員会では敷地内の住宅配置、建築材料、仕上げ、造園や景観のアイテム等の各種のガイドラインをもって事業者を指導している。

したがって、その建築のデザインコードを運用するために、コーディネーターという職種がある。建築主側のデザイナーやアーキテクトと建築審査委員会の間にはいって、開発コンセプトに適合した建築とするべく、形態から材料まで最高級の品質とするように調整をしている。彼等は快適で維持管理しやすいモデル設計例として6つのスタイルを作りあげているという。

総合的なウォーターフロント・ニュータウン開発の一つの模範事例としてあげられよう。レベルの高い全体計画内容やそのコントロールの仕組みなど、もうすこし調べなければならないと思っている。 (19880925記)