講演:超高齢オールドタウンはゴールドタウンかゴーストタウンか 2003

超高齢オールドタウンはゴールドタウンかゴーストタウンか

―横須賀中心市街地計画をもとにしつつ―

副都心黒崎開発推進会議 まちづくり講演会 講演録

日:2003年7月28日(月)

於:北九州プリンスホテル プリンスホール

あいさつ( )

皆様、ようこそお越しいただきましてありがとうございます。本日の講演は、都市計画家の伊達美徳様に『超高齢オールドタウンはゴールドタウンかゴーストタウンか』というタイトルでお話をしていただきます。

まずはじめに、伊達様のご紹介を簡単に申し上げます。伊達様は大学で歴史の勉強をなされ卒業されましてから、これまで一貫して既成市街地でのまちづくりの仕事に携わってきております。

伊達計画文化研究所を主宰され、各地のまちづくりの仕事をされるとともに、(NPO)日本都市計画家協会の常務理事事務局長としてまちづくりで社会貢献する活動を支援されています。また、大学講師、国や自治体の委員なども歴任されております。

著書は『街なみ・街づくり』『都市再開発』『景観考・建築家山口文蔵人と作品』など多数ございますが、詳しくはお手元の配付資料をご覧ください。また、ホームページで『まちもり通信』を開設されております。こちらもお帰りになりまして是非ご覧いただければと思います。

それではご紹介はこの位とさせていただきまして、伊達様よろしくお願い致します。

(伊達)

こんにちは。実はあまり北九州市にはご縁がなく、一昨年『ファッションタウン』の全国大会にて、小倉で一日シンポジウムをしたことがあり参加したくらいなものです。

本日はそのファッションタウンをテーマにしながら、これからのまちづくりの話を聞いていただければと思って参りました。

お手元に配布してあります資料は、今日話をしようと思っている筋書きと、私がどのようなことをしているかについて書いているので、話を聞きながらご覧いただければと思います。

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レジュメ

講演テーマと自己紹介

伊達 有徳(都市計画家

今日は「超高齢社会オールドタウンはゴールドタウンかゴーストタウンか」という題で、つたないわたしの話を聞いていただくことになり、ありがとうございます。

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はじめに、講演の基本となることを書いておきます。わたしは学者ではありませんので、資料を整え理路整然と話をするよりも、実例を中心にわたしの実感によるまちづくりの話をいたします。かなり辛口となることを、予め申し上げておきます。

●今の中心市街地活性化計画は間違っている

いま、全国で中心市街地活性化計画とその事業なるものが、進められていますが、まだ成功とか失敗をいうには早いかもしれませんが、どうも失敗する方が多いような気がするのです。こちらの街はいかがでしょうか。

どこの街でも中心市街地活性化が中心商店街活性化になっていますが、これは根本的に間違っていると思っています。なぜか。

●高齢社会は沈滞するは、間違っている

日本は世界一の超高齢社会に突入します。だれも経験したことのない社会ですから、まちづくりもどうしてよいか、わかりません。「不良老年」が活躍する街が生き残るでしょう。なぜか。この話が今日の中心テーマです。

●人口減少社会では、住む魅力のないまちはつぶれる

日本の総人口は、来年あたりから減少の方向に向かうはずで、100年かかって倍増しだのを、今後100年で元に戻ります。これから人口大移動が起きますが、なぜか。そして黒崎は生き残れるか。

●人口減少社会では、女性がまちを牛耳る

人口減少社会は、女性が社会に進出しやすいまち、それが生き残る街です。なぜか。

●中心市街地活性化のお手本

神奈川県横須賀市は、昔も今も軍港基地のある町です。ここで25年、私はまちづくりのお手伝いをしてきています。今から18年前に中心市街地整備計画を始めて、着々とまちづくりが進められてきています。今日はひとつのお手本として、ご覧いただきましょう。

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さてそれでは、話をする私がいったい何者であるか、自己紹介をしておきます。

●まちづくりNPO

今の一番重要な(金銭的ではなくて心理的に)仕事は、(NPO法人)日本都市計画家協会(伊藤滋会長、約560会員)で、都市計画家たちの、まちづくりによる社会貢献活動が円滑に行くように、裏方の使い走り(常務理事事務局長)です。

まちづくりに関する人材支援、家協会賞授与、政策提言、シンポジウム、出張支援など、多くの活動家たちによる多様なボランティア事業活動で、面白くも忙しい日々です。

都市計画家とは、街を愛する人ならば、あなたもわたしも都市計画家です。皆様も、どうぞ入会してくださいませ。年会費は、正会員3万円、賛助個人会員1万円、学生会員5千円で安くありませんが、払った会費分のみかえりがあると思ってはいけません。その会費と自分の活動でもって社会に貢献するのです。だからといってただ働きするのではなく、活動には少ないながらも必要な対価を支払います。

●ものづくり十まちづくり

わたしは机に座ったままで現場を知らない都市計画家にはなりたくないので、自分のオフィスも持っていて、仕事としてまちづくりの現場に出かけています。

ハードウェア作りとソフトウェア作りの中間あたりを仕事の領域として、基本的に現場主義でありたいといつも思っています。

近年の主な仕事では、「もの」づくりと連携する「まち」づくり、つまり都市政策と産業政策のドッキングを目指しています。鯖江(眼鏡・漆器)、今治(タオル)、豊岡(カバン)、桐生(織物)、墨田(ニットなど)、多治見(陶磁器)など各地で、もう10年になろうとしています。今は、鯖江に力を入れています。

北九州市では、一昨年でしたか、ファッションタウン全国大会のときに、わたくしも参加しました。ファッションタウン運動も、ものづくりをまちづくりの一体化運動です。

●既成市街地のまちづくり

わたしはニュータウンや郊外開発を目の敵にして、既成市街地整備のまちづくり一筋に取り組んでいるうちに、いつのまにか40年が経ってしまいました。

中心市街地問題も高齢社会問題も、もう四半世紀も前から問題提起していたのに、政策が間にあわなかったのが残念です。

もともとは、大学で歴史を学んで社会に出ましたが、それでは食えないので設計事務所にはいって、たまたま都市再開発をやることになり、大阪、名古屋、太田、武蔵野、浦安、横須賀など、各地の協働まちづくり現場にどっぷりとつかってきました。

同時に、まちづくり現場を左右する都市計画から都市企画そして都市政策へと、しだいに上流にも遡行して、各地の自治体の総合的あるいは個別的な計画づくりにも関わってきたのです。

筑波大学大学院、東京工業大学建築学科、慶応義塾大学大学院あるいはARK都市塾などで、まちづくりの現場とは何かを教えたり、反対に社会人学生に教えられたりもしてきた。

●2つのテーマ「生活まちづくり」「歴史まちづくり」

わがテーマのひとつ「生活まちづくり」については、20世紀最後になって、今日ご紹介する、プランナーとしての会心作「ウェルシティ横須賀」(一生暮らせる健康生活都心)に至り、やっと成功例ができました。

21世紀最大のまちづくり課題である中心市街地の再生策は、住宅政策に尽きると思っています。商業政策ではありません。

もうひとつのテーマは「歴史まちづくり」であり、21世紀は文化の時代であると思っています。その視点では、例えば東京駅赤レンガ駅舎を当初形態に復元する構想がJRにあるのですが、わたくしはもう15年も前からそれに反対して、今の形で保全するのが歴史文化の本質だと唱えています。もっとも、これには世論が味方してくれないので嘆いています。

これについて詳しくは、伊達のインターネットサイト<まちもり通信>をご覧下さい。

(以上 2003/07/28)

(ここから講演記録)

●『都市計画』の本来的な意味は、『良いまちをつくり、良いまちを守つていくこと』

私自身は、現在は都市計画家という肩書きで仕事をしております。

都市計画というと皆様はどのような印象をお持ちになるでしょうか、逆に私から伺ってみたいことでもあります。

どうも都市計画というと、あまり良い印象を持たれていないようなことがときどき出てきているようで残念です。

具体的な話で、一昨年、千葉県知事選で都市計画家という肩書きで立候補した私の友人がいますが、僅差で次点になり負けてしまいました。

後でその友人に、「都市計画家という肩書きは選挙で票が集まる方にいきましたか。」と聞いたところ、「どちらかといえばあまり集められなかった感じがある。」と言っていました。

そこには、都市計画というと、土建屋と組んで公共事業の無駄遣いをしていると取られている部分があるようで、これは誠に残念です。

都市計画というのは、基本的には『良いまちづくりをすること』すべてを言いますが、どうやら道路を造ったり、箱モノを造ったり、高速道路を造るのが都市計画だと思われて誠に残念です。

日本の都市計画は、明治初期にそのような道路や河川づくりから始まったことが、いまも尾を引いている部分もあります。

それと全く反対に、何も造らず、歴史的な良いまちを守っていくこと、暮らしやすい環境を保っていくこと、それらも都市計画なのです。

私は、(NPO)日本都市計画家協会の常務理事という肩書きもあります。これはみんなで集まって社会に貢献しようという会であり、特定非営利活動法人として一昨年に内開府の認証を得た会です。年会費は3万円、一般業界団体の方にとってはこの位はたいしたことないでしょう。

しかし、みんなで集まって何かをしようと集まり、何の見返りもないけれど、まちづくりで社会に貢献しようという人たちが年間3万円払って活動しているということは、今時この不況下では都市計画を本業としている者でもなかなか大変なことです。

現在、日本全国で560会員が集まって活動しています。私は事務局長として使い走りの役目をしております。

まちづくり』と言ってもよいのですが、『都市計画』とわざわざ言っているのは、最近では『まち育て』、『まち守り』などという言葉まであって、「都市計画という言葉は古い、まちづくりという言葉ももう古い、今はまち育てだ」とも言っている人もいます。

でも、言っていることは一緒で、良いまちをつくっていく、良いまちを守っていくことが都市計画です。この都市計画の本来的な意味に立ち戻って、『都市計画家』とは良いまちづくりをする人間であり、法律のことをよく知っているいわゆる専門家、土木の分野で道路の造り方などをよく知っている人も都市計画家ですし、その一方で、今日お集まりのようなまちづくりに関心のある方々も、みんな都市計画家なのであるという定義で、(NPO)日本都市計画家協会で活動をしております。

都市計画のプロもいますが、まちづくりに興味のある主婦もいますし、新聞記者やイベントを仕事とする人、市長や役人の方もいます。都市計画というものをもっと身近なものとして、土建屋の話だけでなく、もっと広く考えていきたいということです。

私の本業は、都市計画のコンサルタントであり、NPOでの活動もしていますが、私自身も実際に長い間まちづくりをやってきておりますので、今日はまず最初に、このようなことをやってきたという実例で、私の自賛するまちづくりというものをスライドを使ってお見せしたいと思います。その後、これからまちづくりはこうでなければならないという、今私か考えていることをお話しようと思います。

●横須賀市の中心市街地整備の経緯

〈横須賀市の賀例をスライドで説明〉

 私はここ20年位の間、横須賀市で“御用”都市計画家として、役所や民間の仕事などいろいろなことをしております。

 横須賀市は東京から50km圏内の位置にあり、人口は約43万人、現在のところあまり増加せず横ばい状態です。今日の話は中心市街地のまちづくりがテーマになるかと思いますが、横須賀でも中心市街地のまちづくりを20年程してきておりますので、ご参考となると思います。このような良いまちづくりができたという成果を見て頂きたいと思います。

 1985年(昭和60年)、今から18年前になりますが、横須賀中心市街地整備計画』を立てました。今では『中心市街地活性化計画』というものを日本全国でやっていますが、横須賀の場合、昭和60年に計画ができ上がり、その3~4年前からさまざまな作業をしていたのですから、もうすでに20年前からまちの中をどうしようかということを考え、私も関わってきたわけです。

 この図の赤色の部分の100haの範囲が中心市街地であり、緑色の範囲が丘陵地の住宅地です。海に出ている半島の部分が米軍基地であり、この一部に潜水艦や航空母艦が出入りしています。この半島の左側の部分が日本の海上自衛隊基地です。

 横須賀市の北側は横浜市という非常に強力な大都市に隣接しているので、都心の商業的な力は43万人ではなく、実際はせいぜい20~30万人位の力量と言われています。黒崎の駅乗降客数が35、000~36、000人/日であり、横須賀の都心部にある横須賀中央駅もだいたい同じ位ですので、黒崎と横須賀はほぼ同じ位の力量と言えます。

 横須賀では、中心市街地の整備をどのようにしていくかについて大きなテーマを考えています。一つ目は『まちの姿と形を整える』ということで、つまり形を美しくする、今で言えば景観という言葉ですね。二つ目は『まちの働きを活発にする』ということで、いろいろ機能をきちっとつくっていこうということです。三つ目は『この街を愛し育む心づくり』です。ここのところを注意してほしいのですが、要するにモノばかり造るのではなく、この街を愛せるような人づくりを考えていきたいということをテーマとしていました。

 このもととなるものは、市民参加の40人委員会で計画づくりを行ってきました。市民に対してどのようにアピールするか、委員会で作った計画をまとめたものがこのパンフレットです。
 この中でもいろいろなプロジェクトがありますが、そのうち汐入駅に近接した地区とJR横須賀駅に近接したウェルシティという2つ実例をご紹介したいと思います。

●汐入駅周辺の再開発事業について
ー芸術劇場を核とした『文化と交流』の再開発-

一つ目にご紹介するのは、汐入地区で行った計画です。

 横須賀の中心市街地のエリアにはJR横須賀駅、京急汐入駅、京急横須賀中央駅の3つの駅があります。この汐入駅前に文化施設を中心としたまちの核づくりとして市街地再開発事業を行い、7年前に完了しています。 市民に対してまちづくりのマスタープランを理解していただくためにパンフレットを作成しました。何年もかけていろいろな調査を行ったり、市民参加や地権者の方ノマとの会合を行ったりしてきました。

汐入駅の駅前再開発において大きな核となるのは、『横須賀芸術劇場』という約1,800人収容可能なオペラの公演もできる舞台を持つ劇場です。実は、ここに入れる施設を、劇場にするか科学館にするか、または美術館にするか、総合情報センターにするか、いくつかの案を行政として考えました。それぞれについて事業採算計画を立てました。

行政が行う施設に事業採算というのもおかしいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、行政として投資効果が一番高いものはどれかを検討し、その中で最終的に市長が芸術劇場と判断したわけです。この施設は7了年前にオープンいたしました。大変な借金を背負ったことも事実ですが、実は公的施設には珍しく、経営的には終始トントンです。

再開発を行う前の写真がありますが、以前ここには米軍将校のEMクラブがありました。米軍施設になる前は日本軍の下士官の慰安クラブでした。

 米軍基地へと向かう途中には、ドブ板通りという基地のまち特有の雑然とした商店街がありますが、それはそれでまた面白いところです。再開発地区はその入り口にあたる場所にあります。

 このEMクラブの建物の米軍からの返還運動を1947年頃より行っておりましたが、それが成功して米軍から返還され、これを核としてこの地域を活性化するために再開発を行ったわけです。

 再開発の計画では、核となる劇場だけでなく、劇場とホテルがセットであるぺきだということでシティホテルを誘致しました。そのホテルは今日のお話をしているプリンスホテルです。

 上の再開発前と再開発後で全く同じ場所で撮った写真がありますが、一番高い建物がプリンスホテルです。ここではホテルのほか、集合住宅、劇場があり、足元には専門店街が入っている複合施設となっています。小規模な専門店街、大規模なホテルと劇場を併せ持った再開発を行い地域の核をつくっていったわけです。

この時、普通ならば米軍の跡地だけをきれいにして何かを建てると考えそうですが、それでは地域のためにはなりません。

その周辺にはバー街がありますが、ドルショック以降は米軍はみんな基地の中で飲んでいる方が安く、外に出てきても安いビール1杯で何時間も粘られていたりと儲かりません。

地域としてはバー街をもうワンランク上の良いまちにしたいということがあり、この跡地と周囲のバー街とセットにして、バーの経営者や地主さんたちと一緒になってまちづくり、つまり再開発事業を行ったわけです。その再開発事業も商業再開発というものではなく、むしろ『文化と交流』の再開発を行ったことが特徴です。

一商店街におけるまちのつくり方一

当地区内では権利者の方と勉強会を100回以上、毎晩夜遅くまで行いました。

このEMクラブには戦後、ルイ・アームストロングをはじめいろいろなエンターテイナーが訪れ、ここで日本のジャズメンも育っていきました。この建物を壊す時にも、いそのてるを氏、松本英彦氏、前田武彦氏など、日本のジャズミュージック草分けの関係者が数多く訪れてお別れ会をしました。

ドブ板通りの再開発整備前後の写真を見て頂きたいのですが、このようにバー街は整備されましたが、これは良くなった事例をお見せしているのではなく、再開発によって悪くなってしまった状況をお見せしています。なぜ悪くなってしまったか。計画は私か担当しましたが、設計は別の建築家が行ったものです。私の計画と建築家の設計とが食い違っているところが、ここにあります。

再開発前の商店街は、小さな店舗が道路に面して向かい合って商売をしていましたが、再開発後は、建物の格好は良いのですが全部道路に壁を向けてしまっています。夜になると真っ暗です。

つまり、対面して初めて商売が成り立っている小さな名物商店街が、整備後は壁になってしまったわけです。

建築的には格好は良いのですが、実はまちづくりにはなっていないという非常に残念な現状です。以前は右も左も向かい合って商売をしていたのがこのようになってしまう、再開発の時にはまちのつくり方を考えていかなければならないということです。

ドブ板通りは、以前は水兵がひしめき合って賑わい、商店も非常に儲かっていた時代もありました。現在では舗装もきれいになり、一部再開発により大きなマンションもできるなどしています。

また、まちの中心部にある目抜き通りの中央大通りでは、車道を縮めて歩道を拡げる整備を行いました。

●JR横須賀駅周辺の再開発事業について

ウェルシティ横須賀
一『健康生活都心』をテーマとした再開発-

 もう一つの事例として挙げる『ウェルシティ』は、JR横須賀線横須賀駅の駅前再開発です。駅前の貨物ヤードの跡地をどうするかについて、横須賀市、都市基盤整備公団、神奈川県住宅供給公社の3者で検討してきた結果、公共的な再開発ということで住宅と地域施設を中心とした開発となりました。

約10年がかりの仕事で、一昨年完成したこの施設は、『健康生活都心』をテーマとし、健康な生活を都心で過ごすことができるようなまちづくりをしようとしたものです。これをカタカナにして「ウェルシティ」という、現在のニックネームとなっています。

ここには高層住宅群としてファミリータイプ分譲住宅140戸と約100戸の賃貸住宅、超高層住宅棟にはいろいろなタイプの人のための分譲住宅220戸、それから非常に重要なこととして、元気な高齢者のためのケア付きの住宅が156戸、そこに住み続け寝たきりになってしまった人たちのための有料老人ホームが60ベッドあります。

つまり、若い世代には『賃貸住宅』、ファミリーには『分譲住宅』、少し体が弱くなってきたら『高齢者ケア付き住宅』、寝たきりになったら『有料老人ホーム』というような形です。

もちろんこれだけでは暮らせませんので、その他に『健康増進センター』、『保健所』、『保育所』、『青少年の家』、『生涯学習センター』、コンビニエンスストアなども入れています。

つまり、私の理想としては、「ここで一生暮らせるまちができればいい」そんなことを思って計画したまちです。長い間、そのようなまちづくりをしたいと仕事をして起案しましたが、その典型がようやくここでできたわけです。

このウェルシティに若いうちに入って、子どもを育て、高齢者になってもこのコミュニティの中で住み替えができ、文化や健康施設もある生活ができるわけです。このようなまちが現実にできて、市長も理解してくれました。国からの補助金制度もありました。ここもまた商業を中心とした再開発ではありません。

以上のように、汐入駅周辺の再開発では『文化と交流』を、ウェルシティでは『健康な生活ができ、一生を送る』まちづくりを行ったわけです。上空から見るとわかりますが、既存のまちと完全に一体となっています。

一中心市街地活性化の要諦は住環境の整備一

 しかし、20数年前から横須賀でまちづくりに関わってきていますが、中心部の人口が増えたかというとそうではありません。中心市街地整備計画を作った年から毎年人口は減っていき、一生懸命に住宅も造りましたが、2000年頃、15年位かかってようやく効果が見え人口が増えてきています。 やはり、まちづくりにはだいたい10~15年程見ないと効果は出ません。


 よく言われることですが市長は任期であるだいたい4年位しかまちを見ません。また、行政マンは異動などがあるので二期分の8年位でしょうか。商売人はだいたい1~2年先しか見ません。

 しかし、生活者はそうはいきません。すっとここで生活しなければなりません。良いまちづくりをするためには、そしてその効果が出るには15年位は見ないとならないというのが、実際私か今まで一生懸命やってきた横須賀市中心市街地の例を見ての印象です。

 横須賀の中心市街地において、ここ15年位で新しく造った住宅は、約2、000戸です。一方で歯抜けも出てきていますが、中心市街地の活性化ということにおいて住宅、つまり良い暮らしの空間をつくることをテーマにまちづくりをやってきてようやく効果が出てきたところです。

 今日の話の基本的なテーマとなりますが、中心市街地の活性化は日本全国あちこちでやられていますが、私は、中心市街地活性化の一番の根本は商業開発ではない、と思っています。住宅整備、住宅環境の整備だと思っています。

 全国、どこへ行っても、商業のことは一生懸命に中心市街地活性化の中に入っていますが、どうも “中心市街地活性化”ではなく、“中心商店街活性化”と間違っているのではないかと思います。私は、中心市街地の活性化は商業ではなく、居住環境を良くすることだと言っていますので、商業の人からはだいたい目の敵にされてしまいます。

 実は今日の話の根本はここにあります。結論を言いますと、商業は商売人のために商業をしているのではなく、良い暮らしをするために商売が成り立っているのです。商売のために暮らしがあるのではないのです。良い居住環境をつくることで、そこに大勢の人たちが住むことになります。人は物を食ぺず、物を買わないで生きていけるわけではありません。

 かつて昔のまちは、そこに人が住んでいて、そこで流通する物や作った物を売り買いして、お互いに助け合いながら暮らすことでまちが成り立っていました。つまり商店街には、基礎的体力としてその地に人が住んでいたということです。それがどんどん規模が大きくなっていって、よそからもお客が来るようになります。郊外に人ノマは出て行って、後を商売の場に変えました。

あるところのこのようなまちづくりの座談会などで、中心市街地の商店街のおじさんが、「いやー、人がいないですね。お客が全然いませんね。」とおっしゃる方がいますが、私か意地悪く「ところであなたは、お店の2階にお住まいなのですか。」とお聞きしたところ、「いいえ。郊外のニュータウンに住んでいて、車で通っています。」と答えました。どうもお話が矛盾していると思いませんか。

今日お見せしてきたように、私としては、まちの真ん中で暮らすという住宅のつくり方について一生懸命やってきているつもりです。


●オールドタウンかゴールドタウンか
世界一の高齢社会におけるまちづ<り

さて、話が大きくなりますが、日本の人口と地球全体の人口の増加傾向をグラフにすると、グラフの形に注目していただきたいのですが、世界の人口がなだらかに上昇していくのとは対照的に、日本の人口は急激に増加し、急激に減少する傾向を示しています。
このギャップが日本のまちづくりの大問題だと思います。これを今後のまちづくりとしてどう受け止めるかということを考えていかなければならないと思います。このことからオールドタウンの話になるのですが、これがまちづくりの根本であると考えています。


 日本はこれから確実に世界一の高齢国になります。日本でも世界でも初めてのことで、世界一の高齢国はどのようなまちづくりをしたら良いのか、実は誰も経験がなくてわかりません。世界一の高齢国に対応したまちづくりをするところが生き残るまちとなるでしょう。

 これから日本の人口は減っていきます。全国一率に平均して半減するようにはなりません。人口はどこかに集まっていきます。人口が減り、高齢化するということになればどこに人が集まるでしょうか。大都市にまた人口が集まってきている現在の現象は、実は高齢化人口減少時代の人間の本能的な生活維持作戦でもあるのです。

人が集まるまちが、これからたぶん生き残っていくまちなのです。それが先程申し上げた『暮らしやすいまち』に集まるということです。

2018年の人ロピラミッドを見てもおわかりのように、上の方が太っていってしまうという高齢化が進んでいきます。人口が減り、どんどん高齢者が増えていくことに対して、私たちはどのようなまちづくりをしていけば良いかということを考えたいと思います。


一元気な高齢者の方を迎え入れるまち、これがゴールドタウンー

ここで重要なことは、『オールドタウンはゴールドタウンかゴーストタウンか』ということですが、“01d Town (オールドタウン)”の前にGをつけでGold Town(ゴールドタウン)”になる可能性を充分に持っているということです。

今日も私も含めてご年配の方が多くいらっしゃいますが、年齢別にどのくらい資産を持っているかというグラフを見ますと、今の高齢者の多くは資産を持っているという統計が出ています。この資産をどう社会に活かしていくかということがまちづくりの大きなテーマになると思います。

1960年と2020年の年齢別人口比率を見ると、60歳以上のお金を持っている人の割合が現在と逆転して多くなると判断できるでしょう。高齢者が増えると介護の必要が出て大変であるという声もありますが、実は統計から見ると、元気な老人の方の割合が8割、15~20%位の方がケア住宅に入るだろうという推測がされています。

 この2割弱の方々をきちんとしなければなりませんが、8割の高齢者の方をどう活かすかがゴールドタウンの成功の道でしょう。人が増え、お金を持っている方が増えるということを考えると、まさにゴールドタウンでしょう。その方々をいかにまちに集めるか、その集めたまちが、たぶん勝ち残るまちなのではないかと私は思いますが、いかがでしょうか。

一人当たりの可処分所得は、一番高い層が50~59歳で年平均約227万円、65歳以上の平均は約182.6万円との試算が出されていますが、これはそれほど差はないものと考えられます。

特に、若い世代は住宅ローンや子育てにお金がかかっていますが、高齢者の方はそのようなものはありません。資産を持ち、可処分所得のある人たちをいかにまちに迎え入れるか、良い住宅環境をつくるまちづくりをしたところが、21世紀に生き残る町です。この人たちがお金を使ってくれれば商売も繁盛ですね。

そのような視点から言わずに、商店街のアーケードをどうするかとか、空き店舗をどう埋めるかという議論ばかりが多いのが、いまの中心市街地活性化計画です。それでよいのでしょうか。

一暮らしやすいまちをつくること一

 では、そういうお前は、どういう生活なのだと問われるでしょう。

 私自身はどうなのかというと、去年の9月まで、鎌倉の都心部から2km位の緑豊かな谷戸に住んでおりました。若いときから住んでおり、東京都心まで1時間半程かけて通っていましたが、さすがに高齢者になると妻の買い物も大変になってきて、去年、横浜都心に引っ越しました。

最近ではご近所探検ということで自転車で走り回ったりしていますが、高齢者が暮らすには都心部はいいですね。歩いたり自転車で回ったりするのにちょうどいい半径1km以内には、横浜球場、伊勢佐木モールという百貨店などの高級ショッピングモールもある一方で、市場のような商店街もあります。

山手地区という高級住宅地もあれば、いわゆるドヤ街もありますし、風俗街もあります。音楽ホール、劇場、博物館、シティホテルなどの都市の楽しみの場もあります。利用できる駅もこの範囲に6つあります。いろいろなものが揃っていて、実に 『暮らしの選択性が高い』のです。

ただし、鎌倉と比べて大きく違うところは、鎌倉ではウグイスやホトトギスの鳴き声、風のさやぎ、雨の音が聞こえるのに、横浜都心では自動車の騒音しかしませんし、空気も悪いのですね。

しかし、暮らしやすい都心をつくりたいと横須賀では仕事として実践しましたし、自分自身にとっても暮らすにはこのような所がいいと思っています。

もう一つ重要なことがあります。私か住んでいるマンションは分譲ではなく賃貸です。神奈川県住宅供給公社の賃貸住宅です。

 私は、分譲マンションは基本的に反対なのです。都市の中で小さく土地を区分して持つべきではないと思います。都市はこれからもリニューアルして、時代とともに使いやすく直していかなければなりません。だんだん使いにくくなり、建て替えをしなければならなくなってきても、土地が小さく区分されてしまっているために非常にやりにくくなっています。

住宅についてもこれからコストをかけずに、きちんと運営していくことを考えると、都心に分譲マンションは造るべきではないというのが私の信念です。

一方で、都心に公共的な管理下にある住宅をもっと増やすぺきだと思います。特に、高齢化していくと、分譲マンションの管理は大変です。

もともと住宅というのは社会資産であり、個人資産として経済的な流通に入れて、経済政策としてしまったことは、日本の社会政策の大きな間違いであったと思います。

住宅というものは基本的人権のようなものであり、社会的資産であると思います。住宅は万人が必要なものなのですから。

そのことを理解し、都市では公共が住宅を管理するシステムをとるぺきであると考えます。つまり道路や公園と同じなのです。

田舎の山の中や田んぼの真ん中で暮らしたいという人を、禁止するわけではありませんが、その代わりコストはかかります。医者がすぐに来てくれるかどうかわからないし、家で寝たきりになっても介護がつくかどうかわからないという不安がありますが、そのような人は、運転手やお手伝いさんがいる暮らしをすればいいでしょう。

ここでは基本的な政策を提案しているのです。それが『都市で良い暮らしができるまち』をつくっていくということなのです。

一生活空間でものづくりを復活させて生き残るまちへー

都市における暮らしを言うと、単に生活だけがあれば良いというわけではありません。やはり生活を支えるためには産業がなければだめです。

北九州市は産業のまちということで、以前は大変発展していて虹色の煙が出ていたという時代もあったと聞きますが、実は日本では、都市の生活空間とものをつくる生産空間とは長い間一緒にありました。

その最も典型的なものは、日本近代産業の先駆けとなった繊維産業で、繊維産業はほとんど家内産業でやってきており、そのことが日本の産業の基盤を作り、次へとステップアップしてきたわけです。

家内工業が産業化し工業化することによって、街中から工場が工業団地に移り、それも生産現場がアジア諸国へと移っていき、都市産業はどんどん廃れていってしまうという結果を引き起こしています。

私は、かつてのような『ものづくりのあるまち』を復活できないかということについて、現在いろいろな都市でやっています。

眼鏡の日本一の産地である福井の鯖江を例にとってみましょう。眼鏡枠生産においては世界生産量の8割、日本生産量の9割を占めていますが、眼鏡屋さんが鯖江の町中にたくさんあるというわけではありません。

また豊岡は日本一の鞄の産地です。ここもまた、町の中には鞄屋さんはほとんどありません。つまり、もとはそこで作ってそこで売っていましたが、だんだん流通経路が変わり、そこは単なる工場のみの機能となってしまうわけです。

鯖江も眼鏡の工場はありますが、眼鏡を企画したり売る能力が無くなってしまいました。豊岡も鞄工場のまちではありますが、売ったり企画したりする能力はすぺて商社となってしまいました。結局、いかに工場で安く作るかが勝ち組なので、商社は安いコストですむ中国やベトナムなどへ生産を発注するようになってしまいます。

各地域では作る技術は持っているのですから、そこに企画する能力や売る能力をつけて、それをまちの中、そして暮らしの中でやっていけば、これからもまちは生きていけるだろう、ということをここ10年程しているのです。

北九州市はこれだけ大きな生産基盤があるのですから、家庭的な生産であったり、ものづくりとしての技術力が高く、あの人の作るものは買いたいというものが確かにあるでしょう。そのようなものをまちの中で活かしていけないでしょうか。

つまり現代で言えば、IT産業ではSOHOがまさにそうなのですね。SOHOというのは、実はIT産業が非常に進んできて家内工業となってしまったわけです。同じようなことがもっと『ものづくり』でもあるのではないでしょうか。

黒崎に行けばこれが買える、黒崎でしか買えないもの、黒崎のまちに行けばだれだれさんが住んでいてこんな素晴らしいものを作っている、というまちこそが魅力的なまちだと思いませんか。

この前、鳥取に行きましたところ、駅前のある万年筆屋さんでは、1本10万円の万年筆を、注文から3年も待つのにもかかわらず、わざわざ遠くから買いに来るようです。その万年筆はおじさんが1本1本手作りで作りますので待ち行列だそうです。

このように、生活かあってものづくりがあってそのものを流通させること、これらがワッセット揃ったまちをつくることを目標としたまちが生き残れるのではないでしょうか。

お金があって能力や技術があって、体は少し足腰が不自由かもしれませんが、そのようなゴールドマンたちがまちに住んでくれることになれば、鬼に金棒だと私は思います。そうでないところはたぶんゴーストタウンとなってしまうでしょう。

というようなことが私の話の結論です。

(以上)