平成二十九年十一月十八日 東洋大学白山キャンパス 六二〇三教室

  ヒンドゥー建築論における地鎮祭儀礼

―ヴァ―ストゥ・プルシャ・マンダラの構造、配置、そして、忌避―

                                 出野 尚紀 客員研究員

〔発表要旨〕マンダラの構造的な意味、ヴァーストゥ・プルシャの姿勢と四肢の位置、忌避事項といったヴァーストゥ・プルシャ・マンダラと関連する事項について、九世紀から十二世紀に南インドで編纂された『マヤマタ』七章五十~五十六詩節、十一世紀中盤にパラマーラ朝のボージャ王によって作られた『サマラーンガナスートラダーラ』十三章、十七世紀に現在のオリッサ州でニランジャナによって記された『シルパラトナコーシャ』六~十九詩節、マハープラーナの一つである『マツヤプラーナ』二百五十三章の四書を比較した。

 『マヤマタ』では、中心にあたる心臓と四種五つの急所、北東に頭があり、骨が六本で脈が四本であること、体の各部がどの神格に相当するか、そして、心臓や急所などに建物などを置かずに空隙とすることが記される。

『サマラーンガナスートラダーラ』では、急所、脈、骨がヴァ―ストゥ・デーヴァターの場所に存すること記し、身体の中心に六つの急所が記される。そして、急所の保全と、急所を傷つけるとどのような凶事が発生するかが記される。

『シルパラトナコーシャ』では、身体の十四部分に合わせて寺院本殿の各部を造ることが記され、対応する部分の名所が述べられる。そして、屈折による美が述べられる。本書では、急所は記されず、立位のヴァーストゥ・プルシャと本殿の関係のみが記される。

 『マツヤプラーナ』では、建築開始月と吉凶から始まり、吉事をもたらす星宿、曜日、ヨーガ、月と太陽の関係が記され、建築論書では土地の吟味で記される建築用地の色と味、そして、空気や水分をどのくらい含むか乾燥しやすいかなどの土の性質調査と儀礼的耕作があり、最後の四十九詩節から五十詩節に急所を除去することが記される。

『マツヤプラーナ』の天文学的事項と土地の吟味は、『マヤマタ』、『シルパラトナコーシャ』でもヴァ―ストゥ・プルシャ・マンダラの画き方の前に記されており、記述順が異なっている。建築論におけるヴァ―ストゥ・プルシャの姿勢を表す構成やヴァ―ストゥ・プルシャ・マンダラの忌避事項を三通りから四文献集めたが、平面の三文献には急所があり、そこを空隙としてなにも配置しないようにすることが記されるが、立位の『シルパラトナコーシャ』では急所がなく、ヴァ―ストゥ・プルシャでは急所となる場所も活用される重要な場所となっている。また、立面では筋や骨といったものへの言及はない。

 ヴァ―ストゥ・プルシャ・マンダラでの急所や脈などは、交点や対角線やマス目の線といった直線上にあたるので、平面においてそのまま配置図として使用するのではなく、急所などを避けることによって、交点と線からずらして建築することになる。

 

平成二十九年十一月十八日 東洋大学白山キャンパス 六二〇三教室

 紀平正美『行の哲学』における自我

                  大鹿 勝之 客員研究員

〔発表要旨〕紀平正美(一八七四―一九四九)著『行の哲学』において、自我は一面には一切の他者を拒外するところの力としての一直接態であるが、自我と非我との限界は明了ではなく、実は前に拒外したところの、一切を包摂するところの、一全一的組織態なることを覚ることができると述べられ、拡大させられた混沌界のうちに、一箇の自己を見出し、その能為力によって、空漠なものを組織し、これを一宇宙となし、よって天地を位せしめる働きが大行であるとされている。

紀平は『行の哲学』において、小主観を奪いさることは境の大なる能作力によると述べているが、この小主観というものははたして元から存在しうるのだろうか。以上の『行の哲学』の論述では、小主観、小自我が組織されて完成されることを述べているが、その出発点として主観、あるいは自我というものがはたして原初的に存在しているのだろうか。そうではなく、措定されたものとして存在しているのではないか。その点について、以下、紀平のフィヒテ(Johann Gottlieb Fichte, 17621814)に関する論述を取り上げ、検討した。

フィヒテ『全知識学の基礎』(一七九四年)において、「AはAである」という命題は、「Aがある」ということを定立するのではない。「Aがある」という命題は明白に誤りであろうとも、「AはAである」は依然として正しく、「もしAがあるならば、そうであればAはある」Wenn A sei, so sei A.ということが定立される。「もし」(wenn)と「そうであれば」(so)との間に必然的な連関があることが確立され、両者間の必然的な連関は端的に、あらゆる根拠なしに定立され、Xと名づけられる。Xは、自我が上の命題において判断するものであり、法則としてのXに従って判断されるが故に、自我の中に、自我によって定立されている。もしAが自我の中に定立されているならば、Aは定立されている、あるいは、Aはある、と表現されうる。Aは自我によってXを介して定立され、自我の中に、絶えず自己に等しく、絶えず唯一同一なものがあるということが定立される。そして定立されたXは「自我=自我」、「自我は自我である」表現されうる。この操作によって、「自我はある」という命題に到達している。

 しかしながら、この「自我がある」という命題に至る過程において、二つのことが問題となる。まず、「もしAがあるならば、そうであればAはある」というときのXと呼ばれる必然的な連関は自我の内にあるというが、Xは自我が判断するということはその根拠が求められる。Xを判断するとき、自我がXを判断することは必然的ではない。「Xを判断する」に一人称の主語を付け、その一人称の主語で表現されるものを自我とする場合、「Xを判断する」に一人称の主語必ず伴うとするにしても、その一人称の主語は必ずしも自我ではない。なにがしかの判断する霊が判断しているかもしれない。また、日本語の場合、「Xを判断する」に一人称の主語が伴う必要はない。「Xを判断する」ものが自我であると定立されることにより、「Xを判断する」ものが自我であることになるが、「Xを判断する」ものが自我であると定立するものが必然的に自我であるということにはならない。

 次に、フィヒテは「AはAである」について、「もしAがあるならば、そうであればAはある」ということが定立されるというが、Aを自我として、「自我は自我である」という場合、「もし自我があるならば、そうであれば自我はある」が定立されるとしても、この場合、もし自我がなければ、そうであれば自我はない」ということができる。「もし自我があるならば」については、自我が無条件にあるのでなければ、「自我がない」ことも可能である。

 この議論を踏まえていえば、大行者としての自己の改造にあたって、その出発点である自我のあり方について吟味した上で大行を論じなければ、極めてあいまいな論述に終わってしまう。自我がどのようにあるとされ、そのあり方からその自我がどのように組織されているかを見ることが、紀平の行の哲学をより判然に把握することになる。