阿武 厳夫あんの いずお

教育・文化

山口県最初のオリンピック選手

【生没年】明治42年(1909)昭和14年(1939)

【享年】31

【誕生地】山口県阿武郡大井村(萩市大井)

【墓】萩市大井

大井八幡宮の宮司阿武家の長男として生まれる。大井尋常高等小学校(現在の萩市立大井小学校)を卒業し、萩中学校(現在の山口県立萩高等学校)に入学、陸上部に所属する。同中学校3年生の時に、100m走11秒6の県体新記録をつくり、鴻城中学校(現在の山口県鴻城高等学校)に転校した。昭和3年(1928)の全国中学校大会で、100m走と200mの両種目に優勝し、中学生スプリンター日本一の折り紙がついた。

 昭和4年、慶應義塾大学に進学し、翌年、200m障害で出した24秒3の日本記録は、昭和44年(1969)まで破られなかった。昭和7年(1932)に日本選手権兼五輪100m走最終予選で準優勝、200m走で優勝を果たし、山口県最初のオリンピック選手に選ばれた。同年にロサンゼルスで開催された第10回オリンピックでは、100m走で予選落ちしたものの、400mリレーで決勝に進み、5位に入賞した。

大学卒業後、運動競技の技術研究雑誌『陸上画報』の主筆として活躍していたが、日中戦争に応召し、戦死した。100m走の生涯ベストタイムは、10秒7であった。

(C)萩博物館

阿武厳夫写真