田中市郎(たなかいちろう)

萩地域

萩の博物学の父

【生没年】明治10(1877年)- 昭和21(1946年)

【享年】 70 歳

【誕生地】阿武郡萩町土原(萩市)

【墓】萩市川島(善福寺)

中島勇一の三男として生まれ、田中家の養子となる。萩学校および山口師範学校に学んだ後、萩の椿西小学校訓導、厚狭(現、山陽小野田市)の徳基女学校教諭を歴任。明治38年(1905)からは昭和8年(1933)まで、萩中学校(現、山口県立萩高等学校)の博物学教諭として在職。 萩中学校教諭を務める傍ら、萩近郊で魚類・鳥類・植物などを精力的に採集・研究したほか、外国産の珍しい生物にも関心をもちそれらの標本も収集した。興味深い生物を入手すると、それを学生や市民に向けて解説しながら提示するなど、積極的な普及活動も展開した。 昭和12年(1937)、収集した標本を広く一般に公開するための博物館、田中博物館を独力で開館。これが萩における博物館の祖となった。後、標本はすべて萩市に寄贈され、没後も萩市が設置した萩科学館や萩市郷土博物館などを経て現在の萩博物館へと引き継がれ、各種の展示会や教育普及、研究など多岐にわたって活用されている。とりわけ、リュウグウノツカイなどの珍しい深海魚の標本は、萩の自然環境を現代さらには後世に伝えうる貴重な資料である。

(C)萩博物館

田中市郎