高島北海(たかしまほっかい)

教育・文化

フランス教育功労賞の日本画家

【生没年】嘉永3(1850年)- 昭和6(1931年)

【享年】 82 歳

【誕生地】長門国萩江向(萩市)

【墓】東京都府中市(多摩霊園)

藩医高島良台の次男として生まれ、藩校明倫館で学んだ。明治5年(1872)工部省鉱山寮に出仕して生野鉱山学校に入り、お雇い外国人コアニーからフランス語・地質学・植物学などを学び、わが国最初の地質図である山口県の地質図を作成した。 明治12年、農商務省山林局に奉職、同17年に渡欧し、同21年までフランスに留学、ナンシー森林学校で学んだ。留学中に彼地の美術家たちと交流を持ち、彼の日本画がガレやプルーヴェなどに影響を与え、アール・ヌーボーを一層促進する契機ともなった。その功績によって、フランス政府からオフィシュー・ダカデミイ章(教育功労勲章)を受章した。 53歳になった明治35年(1902)画家専業を決意し、その後、文展の審査員をつとめるなど中央画壇で活躍した。晩年は石柱渓や青海島・須佐湾など、山口県内の景勝地を紹介することに心血を注いだ。特に阿武郡川上村(萩市)などにまたがる渓谷を長門峡と名付けて世に広め、その整備と保護に尽力した。

高島北海

(C)萩博物館