杉 道助(すぎみちすけ)

産業・経済

戦後の関西財界のリーダー

【生没年】明治17(1884年)- 昭和39(1964年)

【享年】 81 歳

【誕生地】阿武郡椿郷東分村松本(萩市椿東)

【墓】萩市椿東(護国山団子岩)

杉相次郎の長男として生まれる。吉田松陰の実兄杉民治の孫にあたる。 明治42年(1909)慶応義塾を卒業し、久原鉱業所から浪速紡績に転じた。翌明治43年、大阪の綿糸問屋八木商店八木与三郎の長女義の婿となり、大正6年(1917)八木商店取締役、昭和13年(1938)には社長に就任した。各種事業の経営に関係し、大阪商工経済会の副会長をへて、昭和21年、戦後新たに発足した大阪商工会議所の会頭に就任、昭和35年までその職にあって関西財界を主導した。また、日本貿易振興機構(ジェトロ)を創設し、日本の輸出振興を図った。 昭和36年(1961)には、日韓会談の政府首席代表も務めた。昭和42年、毎日放送株式会社が前社長杉道助の追悼録を刊行し、その剰余金100万円を萩市に寄付して設けられた「杉道助記念萩市文化奨励賞」(現、萩市教育文化奨励賞)は、郷土の芸術文化発展に尽くした個人や団体に毎年贈られている。 井上靖の小説『あした来る人』の梶大助は道助がモデルといわれている。

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杉 道助