片山東熊(かたやまとうくま)

教育・文化

迎賓館を設計した近代建築家

【生没年】安政元(1854年)- 大正6(1917年)

【享年】 64 歳

【誕生地】長門国萩

【墓】東京都港区(青山霊園)

15歳の明治元年(1868)戊辰戦争に従軍し、明治3年、横浜で英学を修める。明治6年、工学寮(のちの工部大学校、現在の東京大学工学部)に入り、造家学科で辰野金吾らとともにお雇い外国人コンドルに学ぶ。明治12年、第一期生として卒業、工部省の技手に採用された。 明治14年、有栖川宮邸建築掛となり、翌年、有栖川宮熾仁親王に従い渡欧。英・仏などで室内装飾品の調達を行い、明治17年に帰国。さらに北京公使館移転および建築掛として中国へ出張、明治19年に完成させ帰国した。 その後、建築局技師、皇居御造営掛となる。明治23年、東洋一とうたわれた日本赤十字社中央病院(現在は博物館明治村に移築)を完成させる。明治24年、工学博士の学位を得る。 明治29年、東宮御所造営調査のため渡欧、翌年、技官となる。明治32年に着工し明治42年に完成した東宮御所(赤坂離宮)は壮麗な洋風宮殿で、現在迎賓館(国宝)として使用される。明治37年、宮内省の内匠頭となった。 代表作品は東京国立博物館表慶館、奈良・京都の両国立博物館本館など(いずれも重文)。

(C)萩博物館

片山東熊