吉武恵市(よしたけえいち)

政治・軍事

サンフランシスコ講和会議の功労者

【生没年】明治36(1903年)- 昭和63(1988年)

【享年】 86 歳

【誕生地】阿武郡萩町(萩市)

【墓】萩市樽屋町(霊巌寺)

吉武常一の長男として生まれる。山口県立萩中学校(山口県立萩高等学校)から第五高等学校(熊本大学の前身)を経て、昭和3年(1928)東京帝国大学を卒業後、内務省に仕官した。 戦後、富山県知事、厚生省労政局長、労働次官を経て、昭和24年(1949)衆議員議員総選挙に初当選、以後3回連続当選した。昭和34年からは参議院に転じ、以後3期つとめた。この間、昭和26年に第3次吉田茂内閣の労働大臣、翌27年には同内閣の厚生大臣、昭和39年には第3次池田勇人内閣、第1次佐藤栄作内閣の自治大臣を歴任した。 特に昭和26年(1951)サンフランシスコ講和会議においては日本側の全権代理として出席し、対日平和条約締結に尽力した。また、戦前、戦後を通じて労働行政の識見・手腕は右に出る者がいないといわれ、わが国の社会福祉の増進に多大な足跡を遺した。 昭和61年(1986)萩市の名誉市民に推挙され、昭和63年には故人の遺志により所有の蓮田2,708平方メートルと現金2,000万円が萩市へ寄付された。

(C)萩博物館

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