都野豊之進(つのとよのしん)

萩地域

採鉱冶金学の先覚者

【生没年】安政2(1855年)- 昭和7(1932年)

【享年】 78 歳

【誕生地】長門国萩越ヶ浜(萩市椿東)

【墓】萩市平安古町(安養寺)

都野庄兵衛の長男として生まれる。明治14年(1881)工部大学校(現、東京大学工学部)鉱山科を卒業し、明治34年(1901)、山口県内初の採鉱冶金学博士となる。 朝鮮から萩へ帰郷後、笠山に銅の精錬所を設立し、萩の青長谷(萩市山田)にあった赤鼻銅山や四国の別子銅山から銅鉱石を運搬し、精錬を行った。今でも、笠山には精錬時の煙を吐き出した煙突と、銅鉱石や精錬した銅を運搬した船着場の跡が残っている。また、越ヶ浜には都野町という地名も伝わっている。 さらに豊之進は、私費を投じて笠山山頂までの登山道を開設した。この登山道は、長男の正一(東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科卒業)によって、昭和10年(1935)笠山山頂の噴火口付近の土地とともに萩市に寄付された。笠山頂上には、都野父子の頌徳碑が建てられている。

(C)萩博物館

都野豊之進