佐々木義彦(ささきよしひこ)

産業・経済

郷土の教育充実に貢献した実業家

【生没年】明治20(1887年)- 昭和50(1975年)

【享年】 89 歳

【誕生地】阿武郡椿郷東分村後小畑(萩市椿東)

【墓】東京都府中市(多磨霊園)

佐々木義一の長男として生まれる。山口県立萩中学校(現、山口県立萩高等学校)を経て、神戸高等商業学校(現、神戸大学)を卒業した。 台湾銀行を経て、帝国人絹、日本精粉、神戸製鋼などの重役を歴任し、昭和36年(1961)東邦レーヨン(現、東邦テナックス)の社長に就任した。戦前、戦後を通じ、わが国の産業経済の発展に尽力し、昭和40年(1965)には勲三等旭日中綬章を受章した。 萩に対しては、越ヶ浜小学校や椿東小学校、明倫小学校、萩高等学校の施設整備や、小畑地区の灌漑用水と公会堂の整備などに多額の寄付をし、教育の充実や福祉の増進に大いに貢献した。昭和47年(1972)萩市の名誉市民に推挙された。 なお、後小畑の生家にあった胸像は、現在、萩市江向の中央公園内に移築されている。

(C)萩博物館

佐々木義彦