二階重楼(にかいじゅうろう)

萩地域

山口県植物学の先達

【生没年】安政6(1859年)- 昭和7(1932年)

【享年】 74 歳

【誕生地】長門国大津郡三隅村(長門市)

【墓】萩市恵美須町(端坊)

大津郡三隅村(長門市)の大谷家に生まれ、大谷伊三郎といったが、後に萩の二階家を継ぎ、重楼と改名した。明治18年(1885)から35年(1902)まで山口農学校教諭として在職した。 明治21年(1888)の萩菊ヶ浜におけるツルフジバカマなどの採集が山口県における最初の植物標本となった。山口農学校在職中に採集した植物標本は、すべて東京帝国大学(東京大学)に送られ、日本植物学の創設、発展に大きく貢献した。 その後、岡山県立農学校を経て、徳島県立農学校を大正5年(1916)に退職し、萩に引き揚げて今魚店町に住んだ。退職後は山口県の委嘱により薬用植物の調査を3カ年にわたり行った。そのかたわら一般植物の採集と調査にも従事した。 没後、所蔵標本はすべて東京科学博物館(国立科学博物館)に寄贈され、東京大学所蔵の標本とともに、現在も重要標本として研究に活用されている。県指定の天然記念物で、萩市のみの稀種である指月公園のミドリヨシノは、重楼が採集した標本が学名の記載に用いられた。

(C)萩博物館

二階重楼