賀田金三郎(かだきんざぶろう)

産業・経済

台湾開発に貢献した実業家

【生没年】安政4(1857年)- 大正11(1922年)

【享年】 66 歳

【誕生地】長門国萩米屋町(萩市)

【墓】萩市北古萩町(海潮寺)

札差商の賀田久兵衛の長男として生まれる。家業を継ぐも、明治18年(1885)に上京、藤田伝三郎の興した藤田組に入る。軍・官公庁などの各種物資用達に従事。後に大倉組に転じ、明治28年(1895)、日清戦争直後に総支配人として台湾に赴任、各種事業に従事した。明治32年(1899)には、台湾の通信・交通事業整備を志して独立し、賀田組を設立した。台湾各地に支店を設け、建築請負、用達、運送業を初めとして、樟脳製造、製糖、金融、開墾、農業など、幅広く事業を展開した。特に台湾東部の開発は、当時の台湾総督府も躊躇した事業であった。 政府や軍の信頼を得て、後に要請により軍靴などの皮革製品製造事業も手がけ、韓国併合の後には、朝鮮半島における農場や電力会社の経営にもあたった。一方、郷里に産業を興すことにも意を配り、大正8年(1919)には萩の実業家・政治家の中村正路とはかり、萩製糸株式会社を設立するなど、明治・大正期を通じて実業界において活躍した。

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賀田金三郎