五島清太郎(ごとうせいたろう)
教育・文化
寄生虫学の世界的権威
【生没年】慶応3(1867年)- 昭和10(1935年)
【享年】 69 歳
【誕生地】阿武郡川島庄(萩市)
【墓】東京都豊島区(染井霊園) 大阪市北区(長柄墓地)
五島守篤の次男として生まれる。明治12年(1879)大阪英語学校(旧制第三高等学校の前身)、同15年京都同志社英学校(現、同志社大学)、同17年東京大学予備門、同20年東京帝国大学理科大学動物学科に入学した。 明治27年(1894)渡米して、ジョンズ・ホプキンス大学でヒドロ虫類、ハーバード大学で棘皮動物の研究を行った。明治29年帰国して第一高等学校教授、同42年(1909)東京帝国大学教授となり、動物学を講じた。 大正2年(1913)寄生吸虫類の分類形態学で帝国学士院賞を受賞した。寄生虫学の世界的権威で、国際学術会議に日本代表として4回出席して学界に貢献した。 珠玉の名篇とされる『実験動物学』のほか、『中等動物教科書』など多くの著書、論文を遺した。特に語学に堪能で、『日本動物学彙報』の欧文篇編集にあたったほか、ダーウィンを日本に紹介した。
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