桂 太郎(かつらたろう)

政治・軍事

日露戦争前後の難局を担った首相

【生没年】弘化4(1847年)- 大正2(1913年)

【享年】 67 歳

【誕生地】長門国萩平安古(萩市)

【墓】東京都世田谷区(大夫山)

藩校明倫館に学び、14歳のとき藩の洋式銃陣に加わる。長州戦争(四境戦争)に従軍し、戊辰戦争では第四大隊二番隊司令となり、奥羽鎮撫総督に従い東北・北陸方面を転戦した。 明治3年(1870)兵制研究のためドイツへ留学。明治6年に帰国後、山県有朋や大山巌を補佐し、近代軍制を整備。日清戦争には第三師団を率いて出征し、台湾総督・東京防禦総督を経て、第3次伊藤内閣の陸軍大臣となる。明治33年、台湾協会学校(現在の拓殖大学)を創設し、初代校長として後進育成にあたった。 明治34年(1901)内閣総理大臣となり、日英同盟を締結。明治37年、日露戦争を遂行、翌年勝利する。明治41年、首相に再任し、明治43年に韓国併合を断行、辞職後は元老となる。大正元年(1912)首相に返り咲いたが、憲政擁護運動の高揚によりまもなく辞任した。ニックネームは「ニコポン宰相」。3回内閣を組織し、西園寺公望とともに「桂園時代」を築いた。首相在任2,886日は通算での最長記録。 萩市川島の桂太郎旧宅は、桂が少年時代を過ごした土地を明治40年に買い戻して建てた。

桂 太郎

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