中村精男(なかむらきよお)

教育・文化

日本の気象学の草分け

【生没年】安政2(1855年)- 昭和5(1930年)

【享年】 76 歳

【誕生地】長門国萩松本村(萩市椿東)

【墓】東京都府中市(多摩霊園)

明治12年(1879)東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、翌13年富士山頂で初めての本格的な気象観測を行った。ついで明治19年から足掛け4年間ドイツに留学して気象学を研究、わが国初めての気象学の論文を発表し、気象観測の学問的発展に努めた。 明治26年(1893)日本気象の学術書『大日本風土編』を著し、シカゴで開催された世界大博覧会に出品し、日本の気象を外国に紹介した。明治28年には、第3代の中央気象台長に就任し、以来30年の長きにわたりその職にあった。 精男は気象事業だけでなく、わが国の理学教育の発展にも貢献し、明治14年(1881)に東京理科大学の前身、東京物理学講習所を同志21人と創立した。明治16年、東京物理学講習所は東京物理学校と改称され、明治29年、精男は第2代の校長に就任した。昭和5年(1930)に死去するまで、30年間もその職を全うした。精男は語学にも精通しており、英・仏・独語などを話し、さらに日本エスペラント学会理事長としてエスペラントの普及にも努めた。

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中村精男