兼常清佐(かねつねきよすけ)

教育・文化

西洋と日本の音楽を追究した評論家

【生没年】明治18(1885年)- 昭和32(1957年)

【享年】 73 歳

【誕生地】阿武郡萩町土原(萩市)

【墓】東京都東村山市(小平霊園)

旧藩士兼常吉勝の長男として生まれる。萩中学校(現、山口県立萩高等学校)、山口高等学校(山口大学の前身)を経て、京都帝国大学を卒業した。大正3年(1914)東京音楽学校(現、東京芸術大学)の邦楽調査掛となり、日本各地の民謡や雅楽の調査に従事した。 大正11年(1922)ドイツへ留学し、足かけ3年ベルリン大学で西洋音楽を研究した。帰国後、倉敷紡績社長大原孫三郎の援助を受け、労働科学研究所で音と音楽を研究した。 西洋音楽や日本音楽に関して多くの著作や論文を遺したが、とりわけ昭和10年(1935)雑誌『中央公論』誌上に発表した「音楽界の迷信」の「名ピアニストが叩いても、猫が上を歩いても、同じ鍵盤からは同じ音しかでない」の一文は、当時物議を醸した。 昭和6年(1931)に萩中学校の寮歌、昭和9年には萩市歌も作曲した。

(C)萩博物館

兼常清佐