三浦梧楼(みうらごろう)

政治・軍事

脱藩閥を目指した陸軍中将

【生没年】弘化3(1846年)- 昭和元(1926年)

【享年】 81 歳

【誕生地】長門国萩中津江(萩市椿東)

【墓】東京都港区(青山霊園)

下級武士五十部家に生まれ、のちに三浦と改姓する。藩校明倫館に学んだあと、奇兵隊に入り、慶応2年(1866)四境戦争(幕長戦争)に従軍。明治元年(1868)戊辰戦争では鳥羽・伏見、北越など各地を転戦した。 明治2年(1869)、奇兵隊ほか諸隊が起こした脱隊騒動の鎮定に尽力し、翌年、兵部省に入る。明治4年、陸軍少将、東京鎮台司令官、明治8年、元老院議官を歴任。明治9年、広島鎮台司令官となり、萩の乱を平定した。明治10年の西南戦争時、第三旅団司令長官として出征し、翌年、陸軍中将、西部監軍部長に昇進した。 明治14年、鳥尾小弥太らとともに北海道開拓使の官有物払下げに反対したため、陸軍士官学校長に左遷される。さらに陸軍改革を主張したため山県有朋らと対立し、明治19年に免職となった。その後、学習院長、貴族院議員を歴任。明治28年、朝鮮国駐在特命全権公使となり、朝鮮における日本勢力の回復を図って閔妃殺害事件を主導したため、広島で一時拘禁された。明治43年、枢密顧問官に就任。大正政変後は政党勢力を重視し、党首会談を仲介した。

三浦梧楼

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