野村素介(のむらもとすけ)
政治・軍事
能筆家の文部官僚
【生没年】天保13(1842年)- 昭和2(1927年)
【享年】 86 歳
【誕生地】周防国吉敷郡長野村(山口市)
【墓】東京都台東区(谷中霊園)
藩士の有地家に生まれ、野村家の養子となる。はじめ、萩の藩校明倫館で学ぶ。安政6年(1859)4月、江戸へ行き、桜田藩邸(上屋敷)内の有備館に入り、ついで塩谷宕陰から漢籍・経書・歴史を、小島成斎から書道を学んだ。 文久2年(1862)に帰国して明倫館舎長となり、慶応2年(1866)2月、家督を継ぎ、藩主側近として活躍。 明治に入ると山口藩参政兼公議人兼軍政主事から権大参事となり、同4年(1871)、官命によりヨーロッパ諸国を視察する。帰国して茨城県知事、文部大丞・教部大丞・文部大書記官・元老院大書記官・元老院議官などを歴任。明治23年(1890)には貴族院議員、ついで錦鷄間祇侯となる。「素軒」の号を持つ書家としても知られ、選書奨励会審査長・書道奨励会会頭なども務めた。 また、同じく長州出身の杉孫七郎と共に多くの書を揮毫し、防長孤児院運営のために寄付した。このため現在も山口県をはじめ各地に、たくさんの筆跡が残されている。
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