楫取寿子(かとりひさこ)

萩地域

吉田松陰の妹

【生没年】天保10(1839年)- 明治14(1881年)

【享年】 43 歳

【誕生地】長門国萩松本村(萩市椿東)

【墓】東京都港区(青山霊園)

杉百合之助の次女。吉田松陰の妹。寿(寿子とも)と称し、久子とも、希子とも書いた。15歳の嘉永6年(1853)小田村伊之助(のちの楫取素彦)と結婚し、翌安政元年(1854)に長男篤太郎(小田村希家)、安政5年に次男久米次郎(楫取道明)をもうけた。元治元年(1864)夫が椋梨藤太らにより野山獄に投獄されたとき、あるいは慶応2年(1866)の長州戦争(四境戦争)のときには、烈婦として評判が高かったと伝わる。

明治初年、夫とともに三隅村二条窪(現長門市)に隠棲し、小堂を建て村民向けに法話を開く。夫が群馬県令に就任すると、県民の教諭のため浄土真宗の布教を望み、西本願寺の仲介で山口県から僧侶を招き、県内各地の説教所開設に尽力した。また、生糸の直輸出を図る新井領一郎の渡米に際しては、兄松陰の形見として短刀を渡したことでも知られる。明治14年(1881)健康すぐれず死去。

楫取寿子

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