杉孫七郎(すぎまごしちろう)

政治・軍事

宮中に活躍した明治政府高官

【生没年】天保6(1835年)- 大正9(1920年)

【享年】 86 歳

【誕生地】周防国吉敷郡御堀村(山口市)

【墓】東京都港区(青山霊園)

藩士植木家に生まれ、杉家の養子となる。藩校明倫館に学び、安政3年(1856)相州警衛に派遣された。万延元年(1860)手廻組に加えられ、藩主の小姓役となる。文久元年(1861)藩命により幕府の遣欧使節竹内保徳・松平康直らに従い、英・仏・蘭・独・露など西欧諸国を視察し、翌年、帰国した。 文久3年、他藩人応接掛となり政務座に列する。さらに奥番頭格に進んで直目付役となり、元治元年(1864)当役用談役に就任した。慶応2年(1866)長州戦争(四境戦争)では軍監参謀を兼ねて石州口に出張した。 明治元年(1868)戊辰戦争で備後福山藩・伊予松山藩を降したあと、藩に帰って副執政の用務をとる。明治3年、山口藩権大参事として藩政の中枢を担い、宮内大丞を経て、明治5年に秋田県令となった。その後、宮中に戻って宮内大輔に進み、特命全権公使、皇太后宮大夫などを歴任する。明治39年、枢密顧問官となり、さらに議定官をも兼務した。また能書家としても知られ、聴雨と号して数多くの書を残している。

(C)萩博物館

杉孫七郎