白根専一(しらねせんいち)

政治・軍事

伊藤博文内閣の逓信大臣

【生没年】嘉永2(1849年)- 明治31(1898年)

【享年】 50 歳

【誕生地】長門国萩(萩市)

【墓】東京都台東区(谷中霊園)

藩校明倫館に学んだあと、明治初年に上京して慶応義塾に入学する。明治5年(1872)官界に入り、司法省を経て内務省に転じ、秋田県に赴任、権参事・大書記官へと累進した。さらに内務省の大書記官・総務局次長をへて、愛媛県知事、愛知県知事などを歴任した。 明治23年(1890)第1次山県有朋内閣の西郷従道内務大臣のもとで内務次官となる。引き続き、第1次松方正義内閣の品川弥二郎内務大臣を補佐。明治25年、第2回衆議院議員選挙で激しい選挙干渉を実行し、吏党候補者の当選をはかった。しかし、品川内相が選挙干渉を非難されて辞任し、後任の内相に副島種臣が就任すると、属僚とともに副島の排撃を企て、まもなく宮中顧問官に転じた。 明治28年(1895)第2次伊藤博文内閣に逓信大臣として初入閣する。明治29年、第2次松方内閣の成立後に辞任し、明治30年、互選により貴族院議員となった。山県系官僚派の実力者として将来を有望視されていたが、明治31年、病により急逝した。 父の多助は、明治前期に埼玉県令をつとめた。

白根専一

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