近藤清石(こんどうきよし)

萩地域

山口県郷土史編纂の功労者

【生没年】天保4(1833年)- 大正5(1916年)

【享年】 84 歳

【誕生地】長門国萩五間町(萩市)

【墓】山口市八幡馬場(神福寺)

豪商大玉家(後年藩士)に生まれ、のちに藩士近藤家の養子となる。国学を近藤芳樹に学び、諸国を遊歴、伊勢の足代弘訓から強い影響を受ける。安政6年(1859)藩校明倫館に入学。その後、手廻組に加えられ右筆役となる。慶応2年(1866)には戊午(安政5年)以来の事跡編纂掛となり、古記録の調査にあたった。 明治元年(1868)議政局書記を経て、明治5年、山口県庁御用掛、山口県神官教導職管事を兼任。明治6年、玉祖神社宮司、地誌訂正取調掛兼務となり、社家の指導につとめる一方、地誌および旧記の編纂に尽力した。この間に「山口県地誌略」「山口県史略」などを著した。 明治18年(1885)地誌局廃止のため退官。郷土史の研究を精力的に行い、「防長旧族志」「大内氏実録」「山口名勝旧蹟図誌」など防長両国の史実に関する数多くの著作を残した。明治34年、山口県から防長風土記編纂方を委嘱され、4年半をかけて研究の集大成となる「山口県風土誌」をまとめた。また、和歌・随筆・絵画にもひいで、のちに山口の特産品となる大内塗を復興し、雪舟の古跡雲谷庵を再興した。

(C)萩博物館

近藤清石