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井上 馨(いのうえかおる)

政治・軍事

鹿鳴館時代を現出した初代外務大臣

井上 馨

【生没年】天保6(1835年)- 大正4(1915年)
【享年】 81 歳
【誕生地】周防国吉敷郡湯田村(山口市)
【墓】東京都港区(長谷寺) 山口市水の上町(洞春寺)

幕末のころは聞多と称した。号は世外・三猿。周防国吉敷郡湯田村(山口市)に生まれ、志道家の養子となって萩城下に移り住む。藩校明倫館で学び、万延元年(1860)に藩主小姓役を任ぜられた。文久2年(1862)12月には高杉晋作・久坂玄瑞らと江戸・御殿山に建設中のイギリス公使館を焼き打ちした。翌3年、伊藤博文(俊輔)らとロンドンに秘密留学し、西洋文明を目の当たりにして攘夷の不可を悟る。元治元年(1864)6月、伊藤と共に帰国。征長軍が迫るや恭順派と対立し9月、刺客の襲撃を受け重傷を負う。翌慶応元年(1865)、伊藤と共に長崎に赴き、薩摩藩名義で銃7,000挺を買い付けた。さらに薩摩に赴き、大久保利通らと薩摩・長州和解を話し合う。同2年9月には広沢真臣らと宮島で幕府使節勝海舟と談判して、長州戦争休戦を決める。王政復古で新政府に出仕。明治18年(1885)には初代外務大臣となり、幕末に欧米列強との間に結ばれた不平等条約改正のため尽力するも失敗。その後、農商務・内務・臨時総理・大蔵大臣などを務め、実業界にも多大な影響力を及ぼした。

(C)萩博物館