岡市之助(おかいちのすけ)

政治・軍事

大隈重信内閣の陸軍大臣

【生没年】万延元(1860年)- 大正5(1916年)

【享年】 57 歳

【誕生地】長門国萩(萩市)

【墓】京都府左京区(京都黒谷)

萩藩士岡吉春の長男として生まれ、明治4年(1871)父に従って萩を出て大阪外国語学校(旧制第三高等学校の前身)に学んだ。その後、明治14年、陸軍士官学校を卒業し、ついで明治21年(1888)、陸軍大学校を卒業した。 日清戦争には、第一師団長山地元治のもとで参謀として出征し、日露戦争には、大佐で陸軍省軍務局軍事課長の職で大本営に勤務した。明治38年(1905)陸軍少将、さらに大正元年(1912)には陸軍中将に昇進した。 大正2年、山本権兵衛内閣の断行した軍部大臣現役大中将専任制の現役制撤廃に反対して陸軍次官を辞職したが、翌大正3年第2次大隈重信内閣の陸軍大臣に就任した。在職中に第一次世界大戦が勃発し、異常な激務のため健康を害し、同5年に辞職したが、再起を果たせずに病没した。 父吉春は、慶応3年(1867)岩倉具視の命を受けて錦御旗を製作した。

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岡市之助