曾禰荒助(そねあらすけ)

政治・軍事

日露戦争を財政面で支えた大蔵大臣

【生没年】嘉永2(1849年)- 明治43(1910年)

【享年】 62 歳

【誕生地】長門国萩(萩市)

【墓】東京都港区(青山霊園)

藩士宍戸家に生まれ、のちに曾禰家の養子となる。藩校明倫館に学び、戊辰戦争に従軍。明治3年(1870)大阪の陸軍兵学寮に入り、明治5年にフランスへ留学、明治10年に帰国する。陸軍省を経て、明治14年に太政官へ転じ、法制局参事官、内閣記録局長などを歴任した。 明治23年(1890)帝国議会創設とともに初代衆議院書記官長となる。明治25年、第2回衆議院議員総選挙で山口県第4区から当選、議会では副議長をつとめた。中央交渉部・議員倶楽部にも所属して政府を援助し、国民協会にも参画。明治26年から明治30年まで、フランス駐箚特命全権公使としてパリに在勤した。 明治31年(1898)、第3次伊藤博文内閣の司法大臣に就任。ついで第2次山県有朋内閣の農商務大臣、第1次桂太郎内閣の大蔵大臣となり、日露戦争時は困難な財政状況のなか、国内債・外債の募集、増税などにより戦費を調達した。その後、枢密顧問官を経て、韓国副統監となる。伊藤博文のあとを受けて韓国統監となり、韓国併合には消極的な態度をとっていたが、明治43年に病気のため辞任し、まもなく没した。

曾禰荒助

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