藤永元作(ふじながもとさく)

産業・経済

クルマエビ養殖の先駆者

【生没年】明治36(1903年)- 昭和48(1973年)

【享年】 71 歳

【誕生地】阿武郡萩町江向(萩市)

【墓】東京都八王子市(上川霊園) 萩市北古萩町(広雲寺)

藤永彦助の長男として生まれる。昭和8年(1933)東京帝国大学農学部を卒業し、共同漁業(日本水産の前身)に入社した。クルマエビの生態を研究し人工孵化に成功し、昭和18年(1943)日本農学賞を受賞した。 戦後の昭和24年(1949)水産庁の調査研究部長となり、アメリカ・カナダとの漁業交渉や、サケ・マスの資源をめぐるソビエト連邦との漁業交渉に尽力した。 昭和34年(1959)水産庁を退職し、翌年、養殖会社を設立して稚エビの生産を開始した。昭和38年には瀬戸内海水産開発を設立し初代社長に就任、同年、山口県吉敷郡秋穂町(現、山口市秋穂)、ついで大分県東国東郡姫島村にも養殖場を開設し、クルマエビの養殖を推進した。また同年、長年のクルマエビ研究で紫綬褒賞を授与された。 クルマエビ養殖発祥の地である山口市秋穂には、藤永元作の顕彰碑が建てられている。

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藤永元作