井上 勝(いのうえまさる)

産業・経済

生涯を鉄道に捧げた「鉄道の父」

【生没年】天保14(1843年)- 明治43(1910年)

【享年】 68 歳

【誕生地】長門国萩土原村(萩市)

【墓】東京都品川区(東海寺墓地)

萩藩士井上勝行の三男として萩城下土原に生まれる。幕末の一時期、野村弥吉と称した。安政2年(1855)、開明派として知られた父に従い、江戸・浦賀に赴く。同5年、藩命により長崎でオランダ士官より兵学を学ぶ。さらに同6年、江戸へ出て西洋砲術を修業した後、箱館(函館)で武田斐三郎に師事し、英国領事館員から英語を学んだ。文久3年(1863)には井上馨(聞多)・伊藤博文(俊輔)らとイギリス・ロンドンに秘密留学。鉱山学や鉄道の実業を学び、明治元年(1868)に帰国した。木戸孝允(桂小五郎)の推薦で新政府に出仕し、同4年、鉄道頭となって京浜間の鉄道敷設を指揮。翌5年これを開通させる。その後も関西の鉄道敷設を指揮し、日本人技術者の実力で逢坂山トンネルを完成させるという快挙を成し遂げた。同23年9月には鉄道庁長官となる(26年3月退官)。また同年には、貴族院議員にも選ばれた。明治29年、汽車製造合資会社を興して社長になるなど、鉄道事業による日本の近代化に尽くしたが、鉄道視察中にロンドンで客死。鉄道の父と呼ばれ、後年、東京駅前に銅像が建立された。

井上 勝

(C)萩博物館