野坂参三(のさかさんぞう)

政治・軍事

革命家・政治家

【生没年】明治25(1892年)- 平成5(1993年)

【享年】 102 歳

【誕生地】阿武郡萩町御許町(萩市)

【墓】萩市浜崎町(泉福寺)

小野五右衛門の三男として生まれ、母方野坂の姓を継ぐ。父母の死にあい、萩中学校(現、萩高等学校)を1年で退学し、長兄の葛野友槌にひきとられて神戸商業学校(現、神戸商業高等学校)に入学。 慶応義塾大学在学中に友愛会(日本労働組合総同盟の前身)に入り、卒業と同時に革命家として労働者運動、共産主義運動に専念。大正8年(1919)友愛会の派遣でイギリスに渡り、帰国した大正11年、日本共産党の創立に際し入党。 昭和6年(1931)日本を脱出、ソビエト連邦モスクワに入りコミンテルンで活動し、昭和11年、日本人民戦線の結成を提唱した。昭和15年には中国延安に移り、日本人反戦同盟を組織し、中国共産党に協力。 昭和21年(1946)に帰国、民主戦線結成を唱え、平和革命論を主張し、日本共産党を指導、衆・参両議員を務めた。昭和33年には中央委員会議長に就任、日本共産党の歴史とともに歩んだ。

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野坂参三