阿武天風(あんのてんぷう)

教育・文化

大正期に活躍したSF・冒険小説家

【生没年】明治15(1882年)- 昭和3(1928年)

【享年】 47 歳

【誕生地】阿武郡三見村三見市(萩市三見)

【墓】長門市仙崎(遍照寺)

三見郵便局長をつとめる、阿武平十郎の次男として生まれる。本名は信一。明治34年(1901)山口県立萩中学校(現、山口県立萩高等学校)を卒業し、海軍兵学校に進んだ。兵学校では、山本五十六と同期。 3年間の訓練ののち少尉となり、明治38年(1905)巡洋艦「千代田」や「扶桑」に乗り組み、日露戦争に従軍した。しかし、海上勤務で左足を負傷し、明治39年退役した。 退役後は作家を志望し、冒険小説家の押川春浪に見出され、明治41年(1908)博文館から春浪主筆の少年向け雑誌『冒険世界』が創刊されると、同誌に海軍随筆や探検実話、冒険小説などを発表した。 明治44年(1911)博文館に入社、春浪から『冒険世界』の主筆を引き継いだ。大正6年(1917)同社を退社後は、革命直後のシベリアを訪れ、大正期後半には主に講談社系の雑誌で活躍し、SF・冒険小説の分野に膨大な著作を遺した。

(C)萩博物館

阿武天風