宍戸たまき (山県半蔵)(ししどたまき (やまがたはんぞう))

政治・軍事

長州藩外交担当者・明治政府高官

【生没年】文政12(1829年)- 明治34(1901年)

【享年】 73 歳

【誕生地】長門国萩松本村(萩市)

【墓】東京都豊島区(染井霊園)

藩士安田家に生まれ、藩校明倫館に学び、明倫館学頭の山県太華の養子となる。安政元年(1854)幕府の勘定奉行村垣範正に従い、北日本・ロシア事情を探索。安政5年、藩主世子(世継ぎ)毛利元徳の侍読(側儒)に抜擢され、政務に参与する。文久2年(1862)佐久間象山を招聘するため、久坂玄瑞とともに信州松代に赴くが失敗。翌年の8月18日の政変後は京都に潜伏し、情報収集にあたる。元治元年(1864)禁門の変後、自宅に禁固されるが、慶応元年(1865)赦免された。 その後、長州再征討にさいし幕府への歎願書提出のため広島に赴く。慶応2年(1866)楫取素彦(小田村伊之助)とともに再び広島に赴き、幕府の問罪使と交渉するが拘禁され、長州戦争(四境戦争)開戦後に釈放された。その功労により藩主から宍戸姓を賜った。 明治2年(1869)山口藩権大参事となり、明治4年、司法大輔となる。文部大輔、元老院議官を経て、明治12年、清国駐箚特命全権公使として琉球の帰属問題について対処。さらに参事院議官、貴族院議員を歴任した。

宍戸? (山県半蔵)

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