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河上弥市(かわかみやいち)

政治・軍事

生野で挙兵した奇兵隊二代総督

河上弥市

【生没年】天保14(1843年)- 文久3(1863年)
【享年】 21 歳
【誕生地】長門国萩金谷(萩市椿)
【墓】兵庫県朝来市(護国神社) 萩市北古萩町(長寿寺) 下関市上新地町(桜山神社)

藩士河上忠右衛門(家禄103石)の長男として生まれる。文久3年(1863)6月、高杉晋作が下関で奇兵隊を結成するや参加。同志とともに小倉藩領の門司・田ノ浦を占領し、砲台を築き気炎を上げた。同年8月、京都に上るが、政変が起こり帰国。9月に高杉晋作が政務役となったため、滝弥太郎とともに2代目の奇兵隊総督となる。 大和(奈良県)で挙兵し、苦戦する天誅組に呼応するため、筑前の浪士平野国臣らと共に挙兵を画策。同年10月2日、都落ちした七卿のひとり沢宜嘉を擁し、7名の奇兵隊士とともに脱走した。そのさい「南八郎」と変名。ところが天誅組が敗れたため、平野らは挙兵中止を唱えるが、河上が強く反対。ついに但馬の生野代官所を襲い、占領した(生野の変)。しかし、姫路・出石藩などの追討軍が迫ると、挙兵に参加していた但馬の農兵に裏切られ敗走。10月14日、妙見山下で同志12名と共に自決。死に臨み、高札に「議論より実を行へなまけ武士、国の大事を余所に見る馬鹿 皇国草莽臣南八郎」と大書した。

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