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正木退蔵(まさきたいぞう)

教育・文化

東京職工学校の初代校長

正木退蔵

【生没年】弘化3(1846年)- 明治29(1896年)
【享年】 51 歳
【誕生地】長門国萩土原村渡り口筋(萩市)
【墓】東京都豊島区(染井霊園)

 藩士正木家に生まれ、幼くして佐伯家の養子となるが、のちに正木家に復籍した。13歳の安政5年(1858)松下村塾に入り、吉田松陰に学ぶ。藩校明倫館では優秀な成績を修めた。  19歳の元治元年(1864)藩主世子毛利元徳の小姓役となる。慶応元年(1865)藩内戦のさい、武力衝突を回避するため萩城下に結集した鎮静会議員に、飯田俊徳らとともに加わる。その後、大村益次郎の三兵学科塾で蘭学・洋式兵学を学び、三田尻海軍学校で英学を修める。  明治4年(1871)英国に留学、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで化学を学ぶ。明治9年、海外留学生の監督として再び渡英し、化学や物理学などのお雇い外国人教師を日本へ紹介する。滞英中に文豪R.L.スティーヴンスンに会い、師松陰についての情報を提供、スティーヴンスンが著した“YOSHIDA-TORAJIRO”(1880年発表)は世界最初の松陰伝となった。  明治14年に帰国、東京職工学校(現在の東京工業大学)の初代校長となる。明治23年、外務省に転じ、翌年ハワイ総領事となった。  木梨信一の従弟。

(C)萩博物館