岡 十郎(おかじゅうろう)

産業・経済

日本近代捕鯨の先覚者

【生没年】明治3(1870年)- 大正12(1923年)

【享年】 54 歳

【誕生地】長門国阿武郡奈古村(阿武町奈古)

【墓】萩市福井下

明治3年(1870)、西村利右衛門の五男として生まれ、長じて明治24年(1891)に、福井下村(現萩市福井下)の岡吉輔の養子となる。これより先、明治22年には慶応義塾に学び、業を終え帰郷する際に、福沢諭吉より「郷里長門国は韓海(朝鮮半島近海)と一衣帯水の地にあり、韓海の水産業振興が緊要であり有意義である」との示唆を受けたとされる。 岡家においては家業の酒造業を継ぎ、明治30年(1897)には県会議員に当選。その後これを辞し、明治32年に三隅村(現長門市三隅)の山田桃作とともに、仙崎(現長門市)を本拠に、捕鯨砲と汽船を導入した我が国最初の近代的捕鯨会社を創設した。この日本遠洋漁業株式会社は朝鮮半島近海での捕鯨で成果をあげ、全国の捕鯨会社と合同して事業を拡大し、日本の近代捕鯨を牽引していった。後に、岡の興した捕鯨会社は南氷洋捕鯨にも進出、さらに日本水産株式会社とも合併して、日本を代表する総合水産会社となった。

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岡 十郎