中村正路(なかむらまさみち)

萩地域

養蚕普及に努めた実業家

【生没年】万延元(1860年)- 昭和5(1930年)

【享年】 71 歳

【誕生地】長門国萩目代村(萩市椿東)

【墓】萩市中津江(龍蔵寺)

萩藩士中村機一の長男として生まれる。明治初年ころより養蚕業に着目、先進地を視察して技術を学び、自宅傍らに私立の養蚕伝習所を創設した(設立年不明)。明治22年(1889)には椿郷西分村(現萩市椿)沖原に蚕室、製糸場、付属桑園を創設し、養蚕普及に努めた。山口県蚕業巡回指導者を依嘱され、山口県養蚕業奨励会長にも就任。明治25年には、朝鮮から亡命した宋秉畯(日本名 野田平次郎)が正路を頼って来萩、親交を結んだ。この後、朝鮮から養蚕技術習得希望者が多数来萩、彼の地に技術が広められたという。大正8年(1919)には、萩出身の実業家賀田金三郎とはかり、椿郷東分村(現萩市椿東)上野に山口県初の製糸工場を設立。この間、郡会議員、県会議員を歴任。 一方韓国併合の後、朝鮮半島北部の咸鏡北道鏡城においてリンゴ果樹園等の農場も経営し、昭和5年(1930)に移住した鏡城において死亡。遺骨は萩市中津江の龍蔵寺の中村家墓所に合葬。墓前には韓国農商工部大臣宋秉畯の献じた灯篭がある。

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中村正路